伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

伊勢日記 5

2009-04-15 10:57:50 | Weblog

伊射波神社いざわじんじゃ)を無事に後にし、次は 伊雑宮
いざわのみや)へと行きました。
到着するまでは、背中に重りの様な荷物を背負っているのを
感じていました。 国津神、それ以前の埋没神達を背中に
背負う感がありました・・・。
参道に歩を進める毎に、体が軽くなるのが分かりました。
参道の半ば左手には、森の中に井戸があります。
皇女倭姫命も、この井戸で禊の沐浴をしたであろうと思いま
すと、感慨深いものがありました。

平安時代以降、伊雑宮こそが天照太御神を祭る本宮である
と主張する活動が、地域住民により繰り返されて来ました。
江戸時代には、伊勢神宮の内宮を格下と主張した事件にま
で発展し、町民の約50名が島流しなどの刑に処せられ、
無念の思いのまま亡くなられています。
伊勢神宮外宮の祭神である
豊受大神天御中主神および
国常立神と同一であり、最高神格だとする活動を行なった
代表的な神道家である
度会家(わたらいけ)は、この伊雑宮の
在る地域の出身です。
つまり、伊雑宮近辺の出身者は、古来より神様に対して
「熱い」ものを有していました。
なぜ、このような風土を生み出したのか?
それは稲作文化に原因がありました。
伊雑宮近辺は古来より、伊勢志摩における大きな米所でした。
つまり、それなりに地域が潤い精神的余裕があるので、その
分の伊雑宮の神様への感謝の思いには強いものが昔からあ
ったのです。
また不思議なことに、伊雑宮の祭事を守る限り、他所では
不作な年でも豊作に恵まれ、害虫被害にも遭わなかったの
です。これは、コメを神界より現実界に降ろした天照太御神
が鎮まる神社が在る御蔭です。
御米の守護神である伊雑宮が存在したのは、内宮の2千数
百年の歴史をはるかに超えます。現実的な遺跡発掘で、縄文
時代にまで遡り証明する事が可能だと感じます。

伊雑宮の正式な神紋は、古来より篭目紋(かごめもん)で
す。ユダヤ教でも篭目紋を「
ダビデの星」として重視しています
が、紋章を使用している歴史の古さでは伊雑宮が勝ります。
ユダヤと日本の共通点では、ユダヤの伝承でも神界から降り
て来た食物として、の中で増える食物としての「マナ」が
あります。お米も水を加えてで煮詰めるとかさが増します。
マナとコメと言う2文字の発音に、同様な意味を感じます。
ユダヤ民族のマナは、後世に「マネー」お金の語源に成って
います。 日本では、関西コメ相場が現代の金融デリバティブ
の基本概念の元だとされている様です。
神様が認める人類が使用すべき貨幣は、本来は食料だった
のでしょう。つまり貯蓄すれば劣化する貨幣です。
腐る前に「分配する」しかない貨幣です。

マナの発音は、ハワイでは「最高に神聖なモノ」を意味してい
ます。 太古に太平洋上に存在した大陸に、稲作の原点が
あったと私は感じます。
大陸の沈没を逃れて、やっとの思いでハワイや伊勢の沖に
流れ着いた人類は、「共通の思い出」と共に四方に流転した
のでした。              (やっと中日、まだ続く)

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (349)
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