伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自分の心と向き会う

2009-10-04 10:05:50 | Weblog
今までの信仰の盲点は、皆ですれば安心してしまう事にあります。大丈夫、効果があると錯覚を起こしてしまうのです。「赤信号も皆で渡れば怖くない」は、信仰においても在るのです。
特に、開祖がとっくの大昔に死んでしまっていて、現在の時代に合わせた仕様を確認できない場合は、とんでもない変容を起こした信仰に変わっているのが世の常です。
もし、釈尊が日本仏教の巨大建造物を見れば、「これは何教ですか?」と聞くことでしょう。
もし、日蓮が現代の法華教団が伊勢神宮の参拝を禁じている事を知れば、怒ることでしょう。
日蓮自身が立教の前に、伊勢神宮外宮に対して100日間の特別参拝を実践し、日本を外来仏教から救い出して、神様の国に戻す祈願をしていたのですから。日蓮には、日本=神国だと言う観念が強く、救国の一念で生きていた事は、蒙古襲来の時の日蓮の行動にもよく現れています。

信仰が組織化される時点で、個人の尊厳は軽視されて行きます。個人の内在神よりも、教団維持の為の神仏への信仰が強化されて行きます。
でも、よく考えて下さい。死ぬ時は一人で死んで行く事を。
本当の最後の最後の時に向き会うのは、自分の心と向き会う事を肝に銘じておかなければ生けません。自分自身の良心と向き会うのです。
伊勢白山道の要点は、
「自分の心に神様を預かっている事。」 これを意識するだけです。
預かった神様に対して、どんな気持ちを日々与えているのか?
どんな日々の行動を見せているのか?
常日頃は「心に預かる神様」=「内在神」は無言であり、手助けはしてくれません。でも、自分が死ぬ時に、必ず向き会います。
伊勢白山道の形式も、自分の心と向き会う為の手段に過ぎません。
自分の「良心」=「内在神」を大切にする生き方は、自分自身と他人をも大切にする生き方に、必ず成ります。
自分なりに、心と向き会って生きましょう。

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コメント (484)
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