伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神を小間使いにするなかれ

2009-10-05 10:12:00 | Weblog
御祈祷(ごきとう)とは、「祈願、きがん」といい、神に感謝を捧げ、更なるご加護をいただけるように願う儀式です。神宮の御祈祷は、「御饌(みけ)」と「神楽(かぐら)」に大別されます。内宮・外宮にはそれぞれ内宮神楽殿・外宮神楽殿があります。参拝者の御祈願を大御神さまにおとりつぎしております。  (伊勢神宮HPより引用)

祈祷・祈願と言う文字を神社において使用する事を、見直すべき時代に入っています。
この字を使用するが為に、日本の固有の神様の祭りが誤ったものに民衆に受け取られています。この文字は、仏教の影響を受けたものであり、霊的な背景には「呪詛、じゅそ」「争い・勝つ」
「欲望を叶える」の様な、とても神様が嫌われる「我良し」を意味する物が隠れています。
これでは神様とは「お願いをするべき存在」であると、民衆は不幸な勘違いをしてしまいます。
なぜ不幸なのか?
神様に対して、個人の欲望を「命令する形」に成り、不敬な態度を神様に対して知らずにしている事に成るからです。これは、神様の実相と、神様を守る眷属神(けんぞくしん、神を守る精霊)の存在を、現代の神社界が感知出来ないが為の不幸な行為です。神様に対する畏(おそ)れを忘れてしまっています
もし、あなた自身が自分で育てた子供から小銭を出されて「~を叶える様に動いて欲しい」と頼まれて、良い気持ちがしますか?命の親であり「完全なる公平」な神が、個人の欲望に加担すると思いますか?自分の願望が叶えば、陰では困る人も存在する願望が在るのが社会の構造です。
もし私が自分の子供から御願いをされたならば、可愛いが故に叶えて上げたいとは思うでしょう。
でも、それが本人の為に成るかどうかを考えます。そして本人の成長を考慮して陰から支えるかも知れません。言える事は、子供から願われて「はい、そうですか」とは絶対に成りません。
逆に、「甘い!」と子供を叱り付ける事もあります。 神様もまったく同じです。

全能なる神様に対して、細かい事を言いつける必要は全くありません。神様に対して、
「今まで生きて来れた事への感謝」「現状への感謝」
を神前に居る短い間だけでも、懸命に感謝すれば良いです。この態度を示せば、普段にその人物が思っている事を神様は感知して、必要ならば動きます。神様に一々御願いするよりも、数倍叶えられる事が多いです。願望は神前ではなく、普段の生活中に虎視眈々(こしたんたん)と思えば良いのです。皆さんも、泣き言と文句の多い同僚の言う事よりも、黙って頑張っている同僚の発言を聞くでしょう。 神様も同じです。
勿体無い参拝を行なう民衆が多いのは、神社側にも責任があります。

神社で祈祷や御祓いをする場合は、神恩感謝(しんおんかんしゃ)を選択し、ひたすら神様に感謝を捧げれば良いです。
この神恩感謝の祈祷の項目自体が無い神社が存在する事は、まったく嘆かわしい事です。
もし無ければ「家内安全」を選択し、神様に祈願するのでは無くて、神様に「奉納、ほうのう」するのだと思って下さい。
自分の普段の思いと行動を、神前に「奉納」するのです。
神様には、「現状への感謝」の気持ちを捧げる事が、最も神気(しんき)が与えられます。この授かった神気が、現実界の自分の周りの事を変化させるのは簡単です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (555)
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