伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

形から心へ

2009-11-10 12:14:08 | Weblog

感謝のみの気持ちを神前で思い、先祖供養で感謝だけをしようと思っても、自分の心の何処かに御願いの気持ちが有る様に思えてしまい、そんな自分を情けなく思う人も居るでしょう。

自分の心の根底に在る、依存し何かにすがろうとする気持を、どうすれば捨てる事が出来るのだろうか?と思い悩む人も居ます。

このように思う人が居るのは、
1.見えない存在への御願いは自分自身に反射し、依頼心により霊的に自分を縛ることに成るから、余計に苦しく成るだけだ。
2.自分の努力ではない、見えない存在に期待をする事は、たまたま叶えば「ラッキー」で終わり、
叶わなければ「して損した」と人間は思ってしまいます。これは霊的存在が分からないが故の、とても不敬な本当の意味で勿体無い、自分の運気を下げる思いだ。
・・・と、私が色々な形で説明して来たからでしょう。

はたして人間は、見えもしない「心から」「本心から」を気にする必要があるのだろうか?
自分の心の根底に在る感情まで、制御できるのか?制御する必要があるのか?
私の答えは、「NO」です。
なぜなら、今、自分が居る世界は現実界の次元だからです。
見える世界、行動の実績が優先する世界だからです。
神前でも先祖供養の場でも、口に出して御願いをしなければ、それで良いのです。その時の自分の深奥まで心配する必要はありません。

精神世界に関わる人間の欠点は、見えない世界を重視しすぎて、現実の行動に無責任に成ることです。
この世は、口に出した事、行なった行為が絶対の次元であり、それが具現化する世界です。
その様な次元に縁が有り、みんな訳有りで産まれて来たのです。せっかく、この次元に居ながら、見えもしない次元や、来もしない未来に逃げる事は生けません。
見えない事などは、気にせずに捨て置けば良いのです。
1.神仏への信仰を語りながら、自分だけが神仏の力を切り売り「販売」出来ると自称し、教団を作って大もうけをする輩。
2.全ては1つ、愛が大事と言いながら、他人の家庭を破壊して夫婦を離婚させる事も平気な輩。
本当の正しい神仏から観れば、このような連中はどの様に観えるでしょうか?
こんな連中に頭を下げて、家族の為の大切な御金を差し出しては生けません。霊的には、地獄界を援助する事に成ります。

日本の昔からの習い事において、「道」が付くものは型が大切です。
茶道も、作法手順を大切にします。型を繰り返した奥に、自分の「心」を「観る」のです。最初から、茶道の「心」は分からないし、それで良いのです。でも、50年間茶道をしても、やはり作法を大事にしているでしょう。
心が分かっても、この世の次元では作法(=生きる事)は無くならないのです。
作法が消える時は、違う世界の作法で生き続ける時です。

人間は、何回も作法を繰り返すうちに、その心が分かります。
繰り返さない内は、分かりません
感謝の参拝と先祖供養をする時も、
口で感謝の言霊を発すれば良いです。
形が本物に変わって行きます。 必ずです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (601)
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