伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

伊勢~熊野、天河へ 4

2009-11-26 11:22:50 | Weblog
伊勢神宮内宮の正面奥の駐車場の先には、県道12号線の入り口があります。
左手に五十鈴川を見ながら、太平洋側の南勢町(なんせいちょう)まで通じています。内宮から海へ至る道です。明治時代に、伊勢市へ海産物を搬入する生活道路と参拝の為の道を兼ねて開発された様です。
伊勢の森林地帯と五十鈴川の源流を見たくて行きました。道幅の大半が1.8mですので、非常に危険な道路でした。右手からは岩石の崩落があり、左手は五十鈴川の断崖が口を開けていました。問題は、奥地に人が住んでおられるので、対向車が来ることです。運が悪ければ、車幅しかない道路を崖に沿って数十メートルもバックしなければ生けません。たまたま私の場合は運が良かったので、曲がり道の退避場の在る場所で対抗車と何度も出会いましたが、林業の4tトラックが来た時はゾッとしました。私の後方を走っていた人が気の毒でした。ガードレールも無いので、もし川側に落ちれば死んでもおかしくない道です。読者には、行って欲しく無い道でした。

神宮所有の森は、左手に続く五十鈴川の向こう岸から見渡す限り、太平洋側まで続く膨大なものです。立ち入り禁止ですので、私たちも川に下りて右手側にしか行きませんでした。
県道沿いには、途中に高麗広(こうらいびろ)公民館がポツンと在りました。郵政事業の補助金を受けたとても立派なログハウス調の公民館でした。ごく僅かな住人が広い地域に点在する中で、神宮の神域沿いに必要なものか賛否が分かれた事でしょう。
この高麗広と言う名称は、地域に由来のある名称だと思います。中国大陸を感じさせます。伊勢には、2千年ほど前に「渡来して来た」人々が集団で住み始めた起源が在る様です。 
なんの為にか?
伊勢神宮を創建した時の天皇は、神宮の造営に道教の仕組みを細部まで組み込ませています。現在でも本殿の配置には、陰陽五行による天体の配置が正確に反映されています。伊勢神宮は、星を祭る御宮でもあります。
この時に道教の知識を得る為に、大陸から道教の関係者を家族毎にたくさん招待したと思います。集団で渡来して来た人々の名残りが、地域の名称に残存すると感じます。

伊勢の森林地帯は江戸期から明治に掛けて、日本の人口の3割ほどの人間が伊勢に集中する御蔭参り(おかげまいり)が起こりました。
この時に、人々の食事と湯を沸かす資源に、伊勢の森林が伐採されています。雑木に至るまで綺麗サッパリと伊勢の森林の大半が禿山に成ったそうです。神宮所有地の森林も切られた様です。従って、伊勢の森林の大半は樹齢200年以下の木が大半を占めています。
伊勢の山が禿山に成った時に生じた事は、伊勢近海の海から魚が消えたそうです。山の落ち葉が産み出す細菌と栄養分は、五十鈴川を流れて近海の魚介類を育てていたのです。山の落ち葉も無駄では無かったのです。

川下では広大な五十鈴川も、源流では川幅2mぐらいの小川でした。巨石が至るところに散見され、伊勢が聖地として必要な、磁気を貯める岩盤層を地下に持つ事を感じました。
年齢の若い森林は、日が明るく届き気持ちが良かったです。
次は、瀧原宮へと向かいました。    (続く)

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コメント (397)
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