伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

あいさつは霊的に深いです

2010-01-08 10:48:08 | Weblog
日本には古来から、生きる上での生活の色々な知恵が在ります。
例えば町中に在る神社は、人間がより良く生きる為の霊的な知恵だったのが起源の1つにあります。
神社は、地域の土地の精霊の「寄り代」(よりしろ)です。それぞれの土地には、人間が住む以前からの生き物の精霊が居るものです。そこに人間が住み始めて土地を掘り起こし、岩を移動させて木々を切るわけです。やはり以前から居る見えない霊的存在には面白くないのです。すると、やはり住む人間に良くない現象が起きたわけです。
地域の土地の精霊に対して、場所を決めて「礼儀」を尽くした事が神社の起源の霊的な意味の1つです。
これを行った村と、しない村とでは、自然災害や村人の健康・生活において差が出るのが人々に認識されたのです。人間とは、本当に無駄で無意味な習慣ならば、継続しない合理的な面を持つものです。
そう言う意味では、数千年間も継続している神社とは、凄いものです。この様な神社となりますと、地域の精霊に留まらず、国土の精霊を祭り礼儀を示す神社と成っています。

人間の生活においても、お世話に成っている人物に会えば挨拶をするのが常識です。もし黙ったままでは、次回からもお世話をして頂けるでしょうか?気まずい感じに成りますね。
更にお世話に成っている人には、定期的に会いに行くものです。もし会いに行けなければ、年賀状や暑中見舞いの葉書を書く習慣も日本には昔から在ります。これは霊的な礼儀を行う民族の習慣から来ている面があると私は思います。

つまり、礼節を示す事や挨拶を行う事は、非常にスピリチュアル的に大切な意味があります。
また、これ以上の大げさな呪術や行法も、本当は不要なのが真相です。
霊的存在に対しては、一方的で良いですから感謝の気持ちを意思表示すれば十分なのです。これ以上の表現は、逆に魔物を呼びます。
使役・利用しようとすれば、使われて利用されるのが霊的真相です。

ただ、人間は怠惰な生き物です。日々、自分を取り巻く存在に対して、挨拶と言う礼儀を示そうとしても忘れるものです。
だから目に見える形で、神棚や仏壇、短冊の霊位を用意するのが現実界では有効です。
先祖供養を自分が出来る日だけ行って、普段に寄り代(位牌か短冊)を置いておくだけでも霊的には非常に有効です。自分に掛かる悪い磁気を、身代わりに成って受けてくれているものです。
生きている人間と、見えない存在にも挨拶をする意識で生活をしていますと、人間の運命などは簡単に変わります。
今日も「明るく」すべての存在へ挨拶をしましょう。最高で最善のスピリチュアルな生活をしている事に成ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (536)
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