伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

自分なりで良いですよ

2010-01-16 10:28:11 | 先祖供養について

先祖供養の本質は、思いやりの行為であれば良いのです。
日本に仏教が伝来する以前の日本には、自然霊を敬い大切にする素朴な風習が連綿と既に在りました。それが「祭り」と呼ばれるものです。
先祖も死ねば自然に帰ると言う考えを持ち、先祖も自然霊の一部だと認識されていました。
自然霊だと言う認識ですから、森の中に聖域を決めて立ち入りを控え、四季の食べ物を感謝の気持ちとして置き、感謝を捧げるだけの信仰でした。
これが外国から仏教が入り時代が過ぎますと、インドの言葉でも無く中国語でも無い、国籍不明の呪文を唱える事が先祖供養だと勘違いされてしまいました。
今の時代でも、意味不明な言葉を唱えることが先祖霊に喜ばれると言う幻想に落ちたままの人が大半です。
自然霊である先祖にとっては、これは悲劇です。そんな言葉を聞かされて嬉しい訳がありません。
膨大なお経の中の一節を100万遍繰り返されたところで、自然霊には何の有難みもありません。

自然霊とは万物に宿るものですから、木や岩にも寄って来て宿るものです。だから、先祖霊を意識した供養を行う時は、木や岩に相当する「寄り代」が大切なのです。
寄り代を伊勢白山道では、短冊や位牌を利用しているだけなのです。
この霊的な意味を、供養者が認識しているか否かだけでも供養の成果は違います。
寄り代を設ける霊的エッセンスさえクリアすれば、後は「自分なりの」感謝の気持ちを置くだけで良いのです。
初めての人には伊勢白山道も型に拘っていると誤解されますが、「寄り代」と「感謝の気持ち」さえ在れば、後は自分なりの感謝の気持ちを置く場所(上記の、森の中の聖域に相当する家内の場所)を決めて、寄り代に対して感謝の気持ちを置いて行きましょう。

自分が生まれ出た家系の霊線を浄化する事は、自分自身が今回に借りた肉体を再生させます。自分の命が来た元を良くするからです。
あか(垢)の他人が金銭と交換で浄化を出来る事では、絶対にありません。自分のお尻は、自分で拭かないと恥ずかしいです。
「臭いの元は、元から絶たなきゃダメ!」のCMにも、真理の断片が在る様です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (465)
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