伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

忘れない為の方便

2010-01-29 10:19:20 | 先祖供養について
お墓の状態が子孫に反映すると言う先生がいます。これの真相は、家において正しい先祖供養がされていない場合、行き場所が無い供養が必要な先祖霊が墓に集まるとは言えます。そして、霊の「寄り代」の状態(この場合は墓になります)が、子孫の状態に反映します。
つまり、自宅において正しく「寄り代」を設けた先祖供養をしていれば、お墓があっても無くても、さほど重要ではありません。仏教国の中で個人の墓を設ける事に執着しているのは日本仏教だけです。本場のインドでは、遺骨や遺灰をガンジス川に流すのが主流ですし、その他では合同の遺骨塚や自然界へ還す葬り方をしています。

日本でこれほど個人の墓を重視するのは、やはり大きな金銭が動くからです。京都の超有名寺院の狭い墓所などは、一区画の使用権利が数千万円だそうです。これの順番待ちが数年では無く、家の数代にも渡り空く順番待ちをしているそうです。
これが霊的には無意味などとは、日本仏教界では言えません。しかし仏教経典にさえ、墓の根拠は無いのです。逆にこの世に執着を残させる物を否定しています。
近年では、都会に隣接する山林が墓所用に乱開発されて販売されて来ました。墓事業は、まさに不動産業と化しています。

では、墓の必要性は何か?
これは先祖霊の存在を「忘れない為の」モニュメントとしては、必要なのです。
だから、自宅に先祖霊の事を忘れないための「霊の寄り代」モニュメントが在れば、それで良いのです。100円の短冊1枚でも霊的には十分なのです。
金銭に余裕がある人は、立派な墓や仏壇も設ければ良いです。これも先祖への思い遣りの形です。しかし、せっかくモニュメントを設けても、日々の生活の中で先祖霊への感謝供養を忘れていれば意味が無く、先祖霊の状態の反映を受けてしまいます。

この現実界での私たちは、肉体を今借りている最中なのです。成仏する前の先祖霊たちとも、共に生きている最中です。
性への未練を残した先祖、食事への未練、金銭への未練、これらの思いを持つ先祖霊たちを代表して私たちは生きています。
先祖霊の状態の自分への反映は、肉体を借りている間の家賃みたいな物です。もちろん安心している先祖霊の反映も受けています。
この事を知って寄り代(=位牌や短冊の事)による感謝の供養をするだけでも、人の人生は大きく変わります。自殺の有無などの人の生死を分ける事にも成ります。以上の事は、より良く生きる為の生活の知恵だと私は思っています。

内在神(本当の自分、真我)という存在を、自分の心に感じる時は、先祖霊からの反映は幻のごとく消えてしまいます。
しかし生きている間は、行き戻りしながら歩いて行くものなのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (451)
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