伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

飽きる間は、まだまだです

2010-01-13 11:36:36 | Weblog
人間の厄介な習性の1つに「飽きる」事が在ります。
今の仕事に飽きた、長年着た洋服に飽きる、長く乗った自動車に飽きる、など色々とあります。
良い意味では、成長への本能だと言い訳がされています。悪く言えば、飽き性だと言われます。
この飽き性とは、霊的には幼い段階だと私は思います。飽きるとは、冷たく愛情不足な嫌な感じがします。
物事に飽きる事は、自分の境涯が進めば有り得ません。
つまり飽きる対象に問題が在るのでは無く、あくまでも飽きた本人の心の幼さの問題です。
飽き性の人間は、人生が苦しいと思います。いえ、ただの苦しみでは無く、生きる事自体が苦しい方向へと、自分自身で向かわせる選択をしてしまうものです。
仕事に飽きて続かず。異性に飽きて大きな代償を払う。飽き性とは生きる程に、大切な物事と人情までを失くして行く事に成ります。

人間の永遠のテーマの1つに、男女の関係が在ります。旦那が浮気をしていると泣く女性は、古来から居ます。
「そこの、あなただけの問題ではあ~りません」(きみまろ風)
浮気をする男性は、やはり未熟です。その浮気相手にも必ず飽きます。その次の女性にも絶対に飽きるのです。
奥様は安心して家庭を守っている事が、馬鹿な旦那がコソコソと舞い戻る秘訣です。ただ一言ですが、旦那に対して自分が浮気を気付いている意思表示をしておく事です。それ以上は何も言う必要がありません。
その上で奥様が楽しそうに平気ならば、旦那は逆に不安に成るものです。

一休禅師は、「人間は腹に糞を抱えた糞袋だ」と言いました。
どんなに着飾っても、人間(肉体)は糞袋なのです。
肉体同士の好いた飽いたも、糞袋同士の一瞬の出会いに過ぎません。
人間は必ず足腰が弱り、老いて行きます。相手が老いて行く姿にも、「愛情が持てる心」に成る事ができれば、この世は楽しい事ばかりと成って行きます。 
自分自身が変われば良いだけの事です。


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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (518)
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