馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

「お前に苦言を呈す、バカヤロウ」!

2011-12-31 16:22:44 | 日記

 

12月31日(土)大晦日、本年締めくくりの日。

本年最後のウオーキングでもするかと防寒着で8時に外に出た。

通常コースの幕張メッセを止めて谷津干潟へ向かった。

遊歩道の桜並木は枯れ落ち葉もなく深緑のまだ小さな葉が

朝陽を浴び、ウオーキングする人に木漏れ陽となって注ぐ。

 

一昨年6月25日あいつが旅立った谷津保健病院前で黙祷する。

今年6月25日 彼の一周忌があったが、出席出来なかった。

  

その数日前に「お前に苦言を呈する、バカヤロー」!というメールをもらった。

一周忌の幹事からのメールだった。

突然で驚き、当惑した。訳が分からない。

推察した「一周忌には来るな」と解釈した。

無理に出席すれば幹事に理由を問い質さなければならない。

彼の弔いの席で施主である妹さんや他の方に不愉快な思いをさせて

一周忌を台無しなってしまう恐れがあった。

 

その時 私は「又か」?と溜息ついた。

 

以前にも友人が亡くなると私は罵声と非難を浴びたのだった。

山岳部同期が24歳の夏、北アルプスで転落死した時も

遺体収容とその傍に付き添いをしたが

葬儀では片隅でなぜか先輩に怒鳴られていた。

 

51歳の時脳腫瘍で亡くなった山岳部同期の最後を看取ったが

残された奥さんと子供を庇うためにしたことが先輩達を怒らせた。

その後

今は廃部になった山岳部OB会とは一切の縁を断った。

 

労組の書記長として会社側と相対峙していたが

会社側は私を破壊者、思想的に問題有りと悪評を触れ回った

その事は労使交渉の駆け引きなので致し方ないが

組合執行部内部では私へ執拗な中傷バッシングが続いた。

 

7年前 学生時代友人が突然「金貸してくれ」と飛び込んできた。

当時金銭的に苦しい状況だったが貸した。

恐らく 返済は無いものと思っていたが

2年後突然やってきて金返した。

その金が不正な倫理に反する調達だった。

その時、突然「お前、俺の前で煙草吸うんじゃねえー」と怒鳴った。

当時吸っていた。

それから感情を爆発させ罵声を浴びせた。

汚い蔑視の言葉を発して去って行った。

後に電話が携帯、事務所、自宅に架かってきたが出なかった。

すると突然事務所にやってきた。

私は沈黙の応対をした。

私に罵声は浴びせなかったが元気なく悄然と帰って行った。

 

又、6年前 九段スズキ本店の長野夫婦が夜逃げしてきた。

必死にバックアップした。

http://www.award-navi.com/main/

立ち直ると、私を罵り関係を絶った。

その他 版下製作者、友人の息子等はお人よしで愚鈍の私を

あざ笑うかのように利用して去って行った。

 

このような対人関係になるのは、私自身のパーソナリティーに

欠陥があるのだろう。

人間という漢字は人の間と書くが、私が上手に人との間を調節出来ないのだろう。

察しの悪い男なので相手は苛立ち感情剥き出しで論理の通らない言葉で

攻撃してくる。

若い頃は反発もしたが、老いては対立を避け遠ざかることにした。

 

一周忌に参加できなかったのは私だけではなかった。

大学時代の一部仲間は出席したが、亡くなったあいつの勤め先の友人達には

一周忌を知らせていなかったため、施主である妹さんは苦慮していた。

その後、斎場、納骨に参列して頂いた関係者にお手紙で非礼と滞りなく

一周忌を終えた報告をした。

 本来 一周忌はご遺族が行うのであって親族以外は介入しないのだが

先年秋、学生時代仲間有志で彼を偲ぶ会を開いた。

 

それに妹様と娘さんを招待したのだった。

私はグループから去った。

 

今年は 妻の癌入院、私の入院、会社の苦境、大震災

中東の権力者の崩壊、北朝鮮の金正日の死

底知れぬ胎動が地球内部にあるのだろうか

 

だが、大先輩が言うように、暖かい援助と協力、励ましをして

いただける人間関係のほうが多いのだ。

息子の結婚を皆様が祝福してくれた。

それが何より嬉しい。

 

哲学者中村元の語りをユーチューブで聞いた。

 

異質に対する理解と寛容

人間はやがて朽ちて滅んでしまう。

存続し続けない、いつかは消えるのだ。

相手に対して寛容の精神

 

私がこの世を旅立ち三途の川で先に逝った友人達は待ち構え

「おい!苦言を呈す、バカヤロー」!

「よく来たな」と暖かく迎えるか

どちらだろうか?


オセチ料理を頂く。

2011-12-30 17:38:11 | 日記

12月30日(金)午後、銀行で入金状況を確認。

駅横のシャポーに行き惣菜の店に立ち寄る。

店のオバサンに、言いかけようとしたら

「○○さんですね、部長から承っています」

オセチ料理の詰め合わせを2セット戴いた。

神奈川にある駅ビをメーンとして惣菜専門店を出店していて

私の住まいの駅にも店舗があり、正月のオセチを

私に贈ってくださったのだ。

15年前

私が展示会に初めて出展した時、展示ノウハウが分からず

経験豊かなこの方に教えて頂き、手伝いもしてくれた方だ。

その後、勤めていた食品会社で嫌がらせ退社に追い込まれたが

能力があるので惣菜会社にスカウトされた。

息子への祝福、そして弊社の苦境を案じての手伝い。

ありがとうございます。

 

それから人形町新高屋の漬物を買い、乾物屋で煮干と炒り子を購入。

自宅に戻ると冷蔵庫が一杯でおせち料理入らず

北側の部屋窓辺にとりあえず置いた。

今年はあと一日だ。

 


仕事納め 関係各位様に感謝申し上げます。

2011-12-30 10:32:30 | 日記

12月28日(水)午前11時 宅急便が届いた。

宛名はイケメンになっていた。

イケメンが開けるとチョイス商品カタログだ。

送り人は以前、間接的お客様だったが、今では飲み仲間だ。

イケメンの結婚祝いで贈ってくれたのだ。

メッセージに「直接お伺いして渡したいと思っていましたが

柳橋へ行く機会がないので送りました」と書かれていた。

イケメンも私もこの方の影ながらのご支援を受けていたので感激した。

先週も横浜から来た知り合いに祝福を受けた。

そして独立して1年経過、苦闘されている方からも

イケメンに新潟の地酒が贈られた。

伊豆にお住まいの友人からも祝福メッセージがメールできた。

イケメンにとって皆様を招いての披露宴も出来ず

辛い思いであったが、様々な形で取引先、諸先輩達に

祝福されたのだ。

貧しくとも幸福な門出なのだ。

関係先にお礼と感謝を申し上げます。

 

本年 最後の入金確認を午前中済まし

午後から、海外送金と支払いを実行。

 

夕方、今年最後の事務所での仕事納めなので

外食することにしてイタリアンレストランに予約電話したが

浅草橋近辺の店は断られてしまった。

やっと両国橋を渡ってちゃんこ料理屋が並ぶ通りのイタリアンの店に入れた。

http://r.tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13015428/dtlrvwlst/3448942/

ささやかな今年最後の宴を3人だけで

生ビール、ピザ、パスタで閉めた。

    

店内で驚いたのは料理はおいしかったが

厨房で料理人が体が大きく元相撲取りのように見えた。

廃業してちゃんこ料理ではなくイタリア料理の店を始めたのだろうか?

 

 


断酒を断念!

2011-12-27 16:48:04 | 日記

1226日(月)石川県 加賀 山中温泉から荷物が届いた。

送り人は蒔絵職人の方からだった。

開梱すると日本酒が3セット入っていた。

山中温泉の地酒だ。

弊社は蒔絵に仕上げる筆記具類を

蒔絵職人さんに供給している。

先年、息子が打ち合わせで山中温泉に行った時

お土産で頂いた。

日本酒をさほど飲めない私も大吟醸の旨さに酔いしれた。

 

来春に新しいデザイン型のボールペンを製作

蒔絵を施すことになった。

既成ボールペンに今まで絵付けしてきたが

来春からは蒔絵専用のボールペンの販売を開始する。

楽しみだ。

 

先週土曜日に病院で血液検査結果を聞き

医師より節酒を言われたが、夕方、試飲と称して飲んだ。

更に帰宅途中、亡くなったあいつと飲んだ居酒屋の前を

通った時、店の玄関から客で来ていた

大手ホテルの洋食シェフにばったりあった。

先週、シェフにボールペンとキーホルダーを余っていたので

プレゼントした。

「あんたにお礼でこの店に焼酎のボトルを入れたから飲んでくれ」

又又 飲んでしまった。

今日こそはアルコールを一滴も喉を通さないと決意したのだが

やはり無理だった。


去年の12月24日

2011-12-25 17:07:21 | 日記

12月24日(土)去年の12月24日は妻が入院した。

癌治療のため、複内放射線治療が始まった。

あれから1年が過ぎた。

あの日のことは、はっきりと覚えている。

 

治療中の待合廊下で2時間待ち続けた。

廊下に流れるアメイジンググレイスの曲

  

 

ストレッチヤーで意識無い妻が出てきた。

クリスマスイヴなので院内食事にチキンが出たが

意識がぼんやりした妻はアルミホイルに包まれたまま食べようとした。

 

夕闇の駒沢公園を通って駅に向かった。

私も前立腺癌の疑いで入院もあり心身疲れきっていた。

ポプラの葉が地面一面に落ちていて、黄色い葉は一枚一枚

じっとり湿っていた。

一陣の冷たい風が吹きぬけ、木についている葉はカサカサと下に落ちたが

それらは地面に触れるや動かなくなった。

だがどの葉の耳も上に向かってピンと立っていて

私が歩く音を聞いているようだった。

 

まだ治療は継続しているが順調に回復

定期検診も一ヶ月に一度から二ヶ月に一度になった。

今年の12月24日は自宅でLEDロゴプロジェクターの検品作業をしている。

放射線が命を救ってくれた、素晴らしい治療法だと喜んでいたのだが

今年の3月11日 原発崩壊による放射能汚染。

誰もが今後の原発の行方に明確に答えを出せない。