馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

中国人 日本国内で殺人して国外退去。

2016-03-29 18:01:03 | 日記

3月19日(土)

午前10時 茜浜までウオーキング

帰途 習志野緑道で殺された女性の現場で黙祷。

「良かったですね」。

生花に手を合わせた。

  

 

 

 

自宅に戻り、新聞を読んでいた。

小さな記事が目に留まった。

「こんなのおかしい」

冗談じゃね~

殺人犯の中国人が、証拠不十分で国外退去。

 

中国の歴史は、逃亡の歴史だ。

日本は島国なので、逃げられない。

よって、聖徳太子は

「和をもって尊しとなす」諭した。

大陸は広く果てしない大地。

中国人は、根っから逃げるが得と考える。

鉄面皮はDNAとして刷り込まれている。

絶対にゲロしない。

やりきれない。

地球をひっくり返して大陸から眺めたら

日本列島は、中国を傘で被せたようで

何とも鬱陶しいのだ。

 

大陸のフナムシ 日本の海岸に上陸させるな!

 


前立腺肥大 頻尿防止か不整脈防止か?

2016-03-29 16:54:27 | 日記

3月24日(木)

朝8時 自宅を出て千葉街道を歩く。

小雨だが直に止むだろうと思い傘を持たなかった。

しかし、降りは強くなった。

5キロの道のりを濡れたまま8時45分病院に到着。

泌尿器科は、老人ばかり。

と言う私も同じだが?

直ぐに採尿、採血する。

1時間程で診察室に呼ばれる。

医師がパソコン画面を見て

PSA数値は4.25だね」。

「変わらないね」

 

「年齢からすれば妥当なところだね」

医師が尋ねた。

「薬どうする」?

暫く逡巡したが

「止めときます」と返事した。

前立腺肥大の薬 ユリーフ

 

 

昨年11月から不整脈が発症してユリーフの服用を止めていた。

 

2月になって不整脈は治まった。

 

ユリーフを服用しないで

夜半の頻尿は辛いが

不整脈で心臓の鼓動が眠りを妨げて

苦しいのが更に辛い。

 

娘が買ってくれたDHCノコギリヤシサプリメントを飲むことにした。

 

今後 体調の推移をみながらにした。

 

10時半 病院を出るが

雨は更に強い。

近くの駅まで傘なしで行くか?

健康のため、売店で傘を購入して

船橋駅まで3キロを歩いた。

次回検査は7月14日だ。

 


青春無頼 横浜駅西口5番街!

2016-03-28 20:44:38 | 日記

 

3月20日(日)

午後2時 実家に着いて

 

 

戻ることは出来ないお袋の部屋に入った。

 

 

仏壇で線香を灯し合掌。

3人で飲み始めた。

ビール 焼酎、日本酒、刺身、天麩羅、信州の漬物を肴に

飲み続けた。

実家なので心置きなく親父とお袋の想い出を語り

残り少なくなった私達の時間に想い馳せた。

子供のいない弟夫婦にとっては気が重い。

私は言った。

「大丈夫、息子が墓守をするし、孫も生まれた」

 

18時40分、実家を後に弟夫婦が道まで出て見送る。

街灯が灯る住宅碁盤の道を

ほろ酔いで駅に向かった。

19時40分 横浜駅に着いた。

駅までの道のりを歩き

電車内で眠ったので、酔いは醒めていた。

横須賀線に乗り換えてもいいのだが

西口に下りた。

5番街を回遊した。

雑踏の5番街は若者で溢れている。

 横浜駅西口5番街

私の魂と肉体は突如

47年前にタイムスリップした。

心身が削ぎ落された20歳の若者が眼前に現れた。

あの頃の自分自身が鏡に映る。

体育会所属なので

頭髪は坊主のように刈り込み

学生服だった。

西口5番街を

粋がってトレーニングボストンバッグを抱え

カウンターパブに一人で入り

ウイスキー、カクテルを飲んだ。

BARを出て決断した。

キャンパスに気になる女の子がいた。

酔いと勢いに任せて

横浜駅ビルの公衆電話で

女の子の自宅に電話した。

交際を申し込んだのだ。

電話口で戸惑いの彼女。

それから、付き合いが始まった。

 

5番街ではパチンコ屋が並び

換金はしなかったが

煙草をカートン単位で取った。

小学生の頃、西口前は

ローラースケート場だった。

 

高島屋の地下食品売り場でバイトした。

中元歳暮の受付、贈答品の包装。

後に仕事で包装は役にたつことになる。

味噌売り場が担当だったが

サボっては湘南電車、横須賀線に乗車して

大学に戻り、キャンパスでトレーニングして

3時間余り過ごし戻った。

高島屋さん、中抜きしてすいませんでした。

ダイヤモンド地下街のフルーツパーラーでは

厨房でバイトした。

バイトの先輩と5番街で飲んだ。

先輩は車で来たので、酔い醒ましに

サウナでアルコールを抜いた。

それから、突然 伊勢崎町のトルコ 今で言う

「ソープランド行こうぜ」となった。

帷子川、川淵に車停めてトルコに入った。

受付のどぎつい化粧で口に真っ赤口紅を塗りつけた

蛸のようなヤリテ婆がジロリと睨んだ。

先輩が「さっきサウナ風呂で汗を流した」と言った。

婆は「ここも風呂屋だよ」

「あんたら、お断りだ」

俺達は別の目的があったのだが?

プライドを傷つけたようだ。

しょんぼり、車に戻り

運転すると車が傾いた。

誰かが、後輪二つに刺した。

夜が明けるまで動かぬ車でじっとしていた。

 

又飲みすぎて終電に乗れず、タクシー乗る金もなく

14駅の道程を4時間歩き自宅に帰った。

 

当事、横浜開港記念日が出来たので

彼女とデート。

彼女とは夜、横浜から東京駅まで送ったのだが

彼女がキセルを見つかり3倍の料金を取られた。

 

彼女をケンとメリーの日産スカイラインに乗せて横浜新道で

追突されて事故った。

彼女の母親が怒り、交際を断ち切れそうになった。

卒業して乳業メーカー就職した。

神田川の純愛はなく彼女との交際は順調だった。

2年後 彼女は卒業することになった。

当時は女子大生亡国論が世間を騒がしていて

女子大生の就職門戸は狭かった。

コネを使って憧れの仕事を世話した。

そして、互いに結婚の約束をした。

 

20代の男は馬鹿である。

理想の夢を見て現実を直視していなかった。

彼女はしっかりと私の性格を見抜いていたのだ。

様々な行き違いに疲れた。

某日 「半年後に会いましょう」

と約束した。

半年後の初夏 18時半 横浜駅西口 改札口で会った。

会話は殆んど無く、彼女は5番街からタクシーに乗った。

ぼんやりと、遠ざかるテールランプが消えるまで見続けた。

何も言えなくて・・・夏 - J-WALK(フル)

 

抜け殻の心身を満たすべき

5番街を飲み歩き彷酔う。

帷子川に放尿した。

汚泥の流れによろめきながら放物線を

汚泥に注ぎ込む惨めな俺が

月明かりに映し出された。

アルコールは吐き出されても

失恋の痛みは吐き出されなかった。

そして 会社を辞めたのだ。

 ちあきなおみ 五番街のマリーへ  


そんな回想しながら、相鉄ジョイナス地下に下りた。

人気のレストランに若者達が行列。

横浜駅相鉄ジョイナス1

 

オジサン一人では入れない。

 

横浜に来ると食べていた地下の元祖札幌屋は昨年閉店した。

 

左右の店をキョロキョロ見ながら進むと

懐かしい店名がある。

高校生の頃、地上の5番街の古びた木造長屋の一角にあった店だ。

タンメンが旨くて、結婚前20代後半まで食べたのだ。

カウンター席で絶品タンメンと生ビールを頼む。

食べたが旨いのだが、当時のような味合いを感じない。

その頃、今のようなラーメンバリエーションがなく

限られていたので旨いと思ったのか?

でも 満足でした。

20時半 店を出て

横須賀総武快速に乗車。

車内で、その後を回想した。

 

彼女と別れてから2年後

大学同期と尾瀬に行った。

山小屋の薪ストーブの暖かと灯油ランプの下で酒を飲んだ。

「知っていると思うが、あいつ結婚したよ」

その夜 寝袋に包まれながらも一睡も出来なかった。

 

歳月は皆、等しく流れ

私も40半ばになっていた。

バブル 絶頂期

同期と銀座で飲んだ。

又も突然言った。

「お前の彼女と会った」

OB会パーティーがあった。

会場のエレベーターで乗り合わせた女性がいた。

「挨拶された」。

「俺より年齢が上に見えたので先輩かと思った」

ずっと、誰だか分からなかった。

名前を呼ぶのが聞こえたので、やっと分かった。

 

ふっくらした顔だったのが、頬がげっそりコケていて

顔はソバカスのようなシミが一面に出ていた。

 

「あれが、幸福とは見えね~」

「実情は知らないが」?

彼女は、横浜の邸宅街でセレブ夫人なったのだが。

 

聞いた時、動揺はなかった。

心は揺れず、当時 人生が終わるような

絶望感はなく、懐かしい微笑みの心がそっと偲んでいた。

 

誰もが 通過する無頼の青春。

22時 駅に着いた。

想い出も閉じられた。

 

優しい妻が待っているのだ。

 

映画   いちご白書1970年 (K・ダービー、Bデイヴィソン)

 

 

 

 

 


まもなく80歳 元気!元気!

2016-03-27 17:35:37 | 日記

3月23日(水)

ランチ マグロユッケ丼食べて

椅子を傾け午睡中、来客。

両国橋を渡った先に江戸東京博物館がある。

日伊国交樹立150周年記念 特別展

レオナルド・ダビンチを見た帰りに突然の訪問。

 

 

車関係の会社に勤められていた頃

大変お世話になった。

私が会社を立ち上げた時

昨年 事故死した

山岳部の先輩が紹介してくれた。

サラリーマンを退かれてからも

交流は続いている。

 

 

久しぶりの再会。

まもなく、80歳になられる。

お住まいの府中からやって来た。

 

若々しい!

週に3回は1時間程のサイクリング、ジョギング。

他に公共施設にて卓球、柔軟体操。

時折、奥多摩にハイキング。

夫人との二人暮らし。

実父は96歳まで生きた。

実母は103歳で健在。

長寿の家系か?

70歳で禁煙した。

理由は海外旅行での飛行機での

長時間禁煙が辛いので

煙草止めた。

海外駐在経験もあり英語も達者で

衰えていない。

 

子会社の役員だったが

本来であれば本社役員になれる方だったが

清廉な人柄で上に媚びることもなく人格者である。

故に疎まれて子会社に弾き出された。

弊社との取引でも、自らの誤発注での損害発生しても

通常下請けに損害を負担させるのだが

弊社に負担させなかった。

私が失敗しても叱責せず冷静な処理をした。

通常、取引関係の担当者との間柄は、商売上の関係が無くなれば

自然消滅する。

九段スズキ本店 長野利男如き、利用するだけ利用して

逃亡する屑人間もいるが

引退後、取引が無くなっても交流を続けたい。

 

又 爺さん達で中野のスナックで飲み唄いたい。

 

 5月には 丹沢に一緒にハイキング。

 


ふるさとは遠きにありて思うもの。

2016-03-25 20:20:07 | 日記

3月20日(日)

親父の墓参りをして、弟の車で実家に向かった。

 14時 実家に着いた。

弟が車庫入れをしている時、裏隣を見た。

う~ん ?家が無い。

地面だけ。

更地だ。

弟が言った。

10日程前 家宅を取り壊した。

更地の道路際に若者が折りたたみ椅子に座り

現地販売会開催中の立て札があった。

「突然の事だった」と弟が言った。

かねてから、聞いていた。

隣の旦那は介護施設に入った。

一人暮らしになった奥さんは

杖を突いていた。

その奥さんも同じ施設に入ったので

誰も住んでいなかった。

 

走馬灯のように60年間が巡る。

親父は60年前に、ここに小さな家を建てた。

周辺の家は立派だったが、我が家は一番見すぼらしかった。

今は更地の家は当時としては、オシャレで

クリーム色の2階建て、立派な応接間が

台所から見えた。

屋根には、太陽光で湯を沸かすパネルがあった。

当時 自家用車など殆んどサラリーマンには持てない時代だったが

日産ブルーバードを所有。

ビッグ企業に勤める旦那はマイカー通勤。

庭は芝生が敷き詰められ

中央にはレンガ作りのバーベキュー台があった。

犬はシェパードを犬小屋ではなくネットで囲った住まい。

兄 妹の子供がいて

旦那は小学校のPTA会長。

長男は後に中高一貫校のトップ校に通学。

羨むような暮らし。

昼間 その家が留守だと

荷物が届くと、しょっちゅう預かった。

殆んどが、中元、歳暮類で豪華な贅沢品。

若い割には頭髪が薄く割腹が良かった。

私が高校生の頃、隣の旦那は

ビッグ企業のエンジニアだったが

突然退職した。

取引先との癒着が原因だと噂された。

その後、東北の小企業の役員となり

留守が多くなった。

歳月は過ぎて、息子、娘は家を出た。

 

私自身も結婚して実家を離れたので

隣家がどのような状況なのか、知る由もなかった。

 

2年前 弟が言った。

隣の旦那は、昔割腹良く貫禄があったが

見る影もなくヨボヨボで杖を突き

奥さんの助けで歩いていた。

去年 弟が自治会長になったが

本来は隣家が持ち回りで会長なるのだが

高齢なので引き受けた。

 

静かな緑豊かな住宅地だが

今年正月には殺人事件が起きた。

 

なぜ子供達が同居しないのか等は

分からないが

自営業、農家なら引き継ぐことも

可能だが、勤め人は所詮根無し草。

横浜の外れではあるが、100坪余りの

敷地を購入して家屋を建てるのは

かなりの収入がなければ無理。

分割分譲されるのだろう?

 

室尾犀星のふるさとは遠きにありて

 

思うもの。

野兎がいた時代は過ぎて

 

グローバル時代は、土地へのセンチメンタルも消失して

コンクリートの空間だけで形骸化する。

 

およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。

道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり

人々が歩いていく。

どこへいくのか、誰もほんとのことはわからない。

 

人はいつか死ぬ。

死ぬことに失敗はないのだ。

  

 

森田 公一とトップギャラン - 青春時代