馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

洋上散骨。

2013-01-30 17:42:10 | 日記

1月29日(火)午後4時

ネット検索していた。

海上散骨のこと調べていた。

 

追っていくうちに、氏名が知る人と同じのがあった。

 

クリックした。

海上での散骨動画と写真があった。

散骨される方の氏名が知る人と同じだった。

 

去年夏、伊豆の海でサザエ採り最中水死した方を

ヨットクラブの仲間が散骨葬したブログだ。

他に該当する情報を検索した。

更に具体的情報を見つけた。

 

船から海中に飛び込みサザエをとろうと

シュノーケリングしたが行方不明になり

3時間後 心配停止で死亡

無職 年齢と住所が書かれていた。

正しく 知っている方と適合するので

間違いない。

 

私も25歳だった 上司の不正を追及したら東電本社近くの

喫茶店で皿洗いさせられた。

当時しゃれた複合店舗で1階半分と2階は営業部とサロンになっていた。

 

営業部に日本トップ大学の法学部を出た若い社員がいた。

将来のエリートとして眩しいまでの輝きを放っていた。

遠くから見つめるだけだったが、

後 冤罪が晴れ、元の職場に戻った時

管理部門に幹部候補の見習いをしていた。

優しく面倒見が良かったが

酒飲むとエキセントリックに高揚して騒いでいた。

 

私も退社して、その後は知らなかったが

役員になり米国法人の社長になったと聞いていた。

30数年の歳月を経て、偶然にもそのエリートの突然の死を知った。

 

66歳 第一線を退き、好きな海とヨット生活を楽しんでいたのでしょう。

 

加齢での老衰、病は致し方ない死だとしても

交通事故、災害は無常だ。

 

学生時代 ワンダーフォーゲル部の先輩が琵琶湖で溺死

小学生だった息子の父親は同じマンションに住んでいたが

房総沖で船から飛び込んだが横須賀沖で溺死で見つかった。

 

大学山岳部時代 同期は8人いた。

今では私一人しかいない。

 

私が慎重だったかと言えば、それは違う。

むちゃした方だった。

 

かえって慎重な部員が大きなけがや死亡をした。

 

1年生の時 厳冬期 立山から槍ヶ岳縦走したが

30日間の行程だった。

1年部員は遭難への恐れから6人が退部した。

 

その後、私も凍傷になり、現役1年生がいなくなる恐れがあった。

辞めた1年生を再入部させた。

 

その後慎重派の部員が亡くなったのだ。

 

絶えず悪魔は背後から隙を窺い忍び寄って来るのだ。

背後の訪問者に捕まえられて

刹那の死には抗えない。


馬鹿も一心!

2013-01-29 15:54:07 | 日記

1月28日(月)漁港の魚屋でメバルとさよりを買う。

メバルは鱗と内臓をおばさんに取ってもらう。

さよりは刺身にしてもらった。

  

おばさんから「メバルの煮付けは旨いよ」!

調理方法の説明受けたが、事務所に着くとうろ覚えだった。

ネットでメバル煮つけ方法をプリント。

 

レシピ手順に従って調理する。

 

サヨリの刺身は、味がシンプル。

くせがなく食べやすい。

 

さて メバル煮つけの出来栄えだが

 

見た目と匂いはおいしそう!

 

だし汁は甘い。

白身部分に味がしみこんでいない。

 

やはり何か味付けが欠けているのだ。

 

さよりの刺身は皆がおいしいと言うが

メバルの味付けには何も言わない。

 

やはり、又失敗か?

 

私は味覚音痴なのだ。

 

センスが無いのだ。

 

私は全てにおいて生きるセンスが普通人以下だと

ずっと思っている。

 

不器用で鈍く、何をさせても他の人より遅く

上手に出来ない。

 

要領が悪く、周囲から馬鹿にされる。

 

立ち回りも下手なので人生損ばかり。

 

そんなお人好しにつけ込んで、抜け目ない輩が

様々な企みを持って近づいてきた。

 

金も心も騙され失ってきた。

 

10代、20代、30代、40代、50代

節目、節目毎に、これから先も生きて活けるかなと真剣に悩んだ。

不器用でセンスない人生だった。

周囲に馬鹿にされ、説教されながらも生きてきた。

子供二人も社会人になった。

そうして60半ばになった。

 

これからもセンスない不器用な男は

 

馬鹿も一心

 

その生き方しかない。

 


明日 すればいいか?

2013-01-27 22:38:10 | 日記

1月27日(日)朝8時半 寒い!凍えて体が硬くなる。

ベランダからスカイツリーとその背後にスカイブルーの下空に

紺青の丹沢山塊を遠望。

 

駅方向に娘が駆け足で向かっている。

 

昨夜23時40分、娘に「今どこか」?メール入れた。

「今、終わって霞ヶ関から乗車します」

先月から土日出勤が続き休んでいない。

 

日曜日には休んで休養したいと言っていたのだが

 

妻に聞いた。

新しい課に異動したが、二人での担当だが

もう一人は三ヶ月の研修に入り

なれぬ業務を一人でこなさなければならない。

 

新しい体制になりトップも代わった。

日曜 夕方幹部会議があり

仕事しているのを見つかると拙いので

早目の帰宅をすると母親に言ったが

18時になっても帰宅しない。

 

心身の疲労で顔に吹き出物が表れた。

木、日とアイリッシュダンスの練習も出来ない。

 

噂では聞いていたが、これ程ハードとは想像できなかった。

男性は仮眠だけで翌朝まで過ごす。

 

私も20代サラリーマン時代

遅くまで勤務した。

帰宅できず、冬の暖房も無い倉庫で横たわっただけ

時折、午前3時 成増の倉庫から車運転して横浜の実家に戻り

風呂に入り、2時間程寝て又戻った。

だが実態は不正の片棒担ぐ仕事だった。

 

上司が下請けからの招待ゴルフに行くので

朝4時に向かえに行きゴルフ場まで送った。

戻って又仕事。

 

上司は毎晩 新宿のクラブを廻り

午前1時 風鈴会館前で待つ上司とホステスを

車運転して家まで送った。

そのあげく、不正を追求したら、喫茶店で皿洗いを命ぜられた。

あの頃、若く体力あったので耐えられたが

将来が見えず、汚泥に浸かり抜け出せない

自分が虚しかった。

 

娘の職場は全く違うので安心はしているが

 

普通の暮らしして、嫁さんにと願うが

言葉には出せない。

 

名言

明日の朝にしようなどとは言ってはならぬ。

朝が仕事を仕上げて持ってきてくれるわけではない。


背黒鰯刺身を食べる。

2013-01-27 16:47:41 | 日記

1月25日(金)漁港の魚屋で鯵と背黒鰯を買う。

 

23日のブログに書いた

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5d4e836fcb29c55e6bb5c15c67d36a2f

魚屋店前にはオバサン達が、お茶飲みながら

世間話をしている

 

ランチに鯵を叩きにして背黒は刺身で食べる。

鮮度落ちが早い背黒の刺身は魚屋では殆ど売られていない。

午前中だけオープンのスナックから、ほろ酔いの漁師の爺さんが出てきた。

生姜とニンニクで頂く、少し生臭いが美味しい。

外出でランチを食べられなかった者のがいたので

夕方 酒の肴にした。

   

翌日 快便だった。

背黒が原因か?

血圧も低かった。

 

17時に人形町に行った。

評判程旨くない親子丼を食べさせる玉ひでの対面に

台湾小皿料理の立ち飲みがあったので入った。

日本酒でシジミと蒸し鶏を食べたが不味い。

無愛想な中国人の男が作っていたが

    

中国人が調理している小さな店の料理は概して旨くない。

彼らは大陸で料理人だったのではなく

日本に来て金稼ぐ手段として働いているので

基本的な調理法など学んでいない。

 

だが、注文取りと運びの中国人小姐は愛想良く可愛い。

弊社にいた、南京出身の女性にどことなく似ていた。

 


自転車に乗れない!

2013-01-26 17:33:37 | 日記

1月24日(木)

午後3時 イケメンが自転車に乗って事務所に戻った。

秋葉のヨドバシカメラに行き、ブリジストン製3万4千円で買ってきた。

かなり高価な買い物。

 

仕事で前々から必要と感じていた。

近場の取引先訪問と部材購入に使う。

新橋、四谷、上野界隈に電車に乗らず

サンプルも運べる。

 

秋葉のヨドバシカメラから柳橋事務所まで10分程で着く。

 

早速 私も自転車に乗ってみることにした。

事務所の駐輪場通路から道路に出た

多少ぶらつきがあるが、左折した。

柳橋袂の緩い坂道をよたよた漕いだ。

道路を塞ぐように、ビル外壁工事の若者達が

横一列になって歩いてくる。

私はUターンしようとハンドルを右に切った。

すると、スローモーションのごとく私と自転車は倒れた。

曲がり角の死角防止鏡に倒れるシーンが写ったので

慌ててデザイナー女性とイケメンが飛んできた。

 

「親父は 太っている。体も硬い、脳の反応も鈍くなっている」

27インチの重い大型自転車では無理だ」

 

私はショックだった。

まさか自転車で衝突したのでもないのに

自らの鈍さで引っくり返ったのだ。

2輪自転車に乗らなくなって30年以上にはなるが

 

それでも一輪車には45歳位までは乗りこなせ

子供達を連れて幕張海岸まで何度か行ったのだ。

昭和63年1月15日

 

まあ!少し練習すれば問題ないと思うのだが

心身の衰えは急激だ。

春から、柳橋から船橋の自宅に週に何回かは通勤したいと考えていたが

慎重に準備練習しないと難しい。

 

以下の名言がある。

 

人生は自転車に乗るのと似ている。あなたがペダルをこぐのをやめない限り、倒れることはない。

 

 

なので 自転車を乗ることをやめるわけにはいかない。