馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

医は仁術と言われるが、最近は算術と言われる。

2018-12-31 17:26:45 | 日記

12月28日(金)

AM10時 寝床の扉を叩く音。

妻の声

「歯医者に行のでしょ」

忘れていた。

歯磨きもせず、飛び出す。

10時の予約。

11時に着。

本年最後の治療。

長い連休が続く。

 

待合室で、少し離れたソファで私の名前を呼ぶ老婦人。

隣に座る老人もにこやかに挨拶する。

「体調はどうかね」尋ねる。

私の前立腺癌発症を知っている。

診療所の医師と夫人。

 

今年1月に先生の緑内障悪化で閉院したのだ。

 

住まいは、世田谷京王線明大前駅

歯の治療に2時間かけてやってきたのだ。

 

治療室は三つあり、小窓から80歳になる医師が

治療椅子に腰掛け、診察を受けているのは

奇妙に写る。

先に治療を終えて、待合室で夫人と近況を語り合う。

老先生は、左目が見えず、右目も視野が狭まった。

誤診、見落としがあってはいけないと閉院を決断した。

 

私は10年以上、診て頂いた。

穏やかに丁重、分かり易く説明され

近在の老人達から慕われ

やくざの親分も鄭重に老先生に挨拶する。

胃カメラ検査は、上手で苦しまず

気付くと終わっていた。

居酒屋大好きで、診察中に、飲み屋談義になり

暫し中断した。

息子二人も医師だが、長男は研究職として大学に残り

次男は名古屋で開院。

船橋の診療所は継がない。

 

患者のお年寄りは、他の病院を紹介されたが

呼吸が合わず困っている。

私も毎月、診断ができなくなり不安である。

 

医は仁術と言われるが、最近は

医は算術と言われ

医学部入学には、莫大な裏金が必要らしい。

 

閉院の後始末には、一年かかったそうだ。

5年分のカルテは保存義務があり

倉庫を借りて保管。

医療器具は、東南アジアに放出した。

 

今は、夫人が付き添い外出。

だが、ゴルフを週に二回するそうだ。

仲間が手助けしてティーの位置

ボールの行方を教えてくれる。

 

いくら 名医がいたとしても、万人の診察、治療は不可能

小さな町 その一隅にある診療所。

高齢化社会にはなくてはならない。

先生ありがとうございました。

機会あれば、桜上水 義仲で飲みましょう。

 

さても、私の主治医は今後どうするか?

 

 

 

 


イタリア蒸留酒 グラッパを味会う。

2018-12-30 16:33:05 | 日記

12月27日(木)

息子に緊急に書類を渡さなければならなくなり。

16時半 京葉線舞浜駅で妻も一緒に息子と待ちあわせ。

3歳の孫娘を連れてやってきた。

 

普通であれば、イクスピアリ内で食事だが

駅高架下のサイゼリアに入る。

テーブルで書類を広げることもあるが

幼児が好む食べ物がある。

それに安い。

 

入店目的は、もう一つある。

イタリアの焼酎 グラッパを味会うため。

 

イタリア小説に食事場面に頻繁に登場する。

 

ネットで調べた。

グラッパ

 

まだ、日本では知られていないアルコール度数が高い。

30度~60度

外飲み可能な店は限られていて、サイゼリアには

最近置いてある。

 

飲んだ。

微かな香りと無色透明。

口当たりは旨い。

これはいけるぞ!

多飲は危険なようだ。

 

20時店を出る。

息子の嫁さんは、忘年会。

孫は蛍を追いかけるように駅前広場のLEDライトを踏みつけて走り回るバイバイ。

 

舞浜駅 イクスピアリ

帰宅後 娘が何で「ディズニーランドがあるのに

ファミレスに行くの」?

娘は高校大学とディズニーシーでバイトしていた。

心とは裏腹に接客は、ニコヤカニ上手。

 

 

 

 


丹沢弘法山 独りぼっちクリスマスハイキング Ⅱ

2018-12-29 06:29:33 | 日記

 

丹沢弘法山独りぼっちクリスマスハイキング Ⅰからの続き

 

秦野盆地へ下る。

 冨士見の湯方向標識に出る。

弘法山 冨士見の湯に向かう。

冨士見の湯に着き、市民ではないので入湯料は千円と高め。

鶴巻温泉駅近くの市営弘法の湯も高めだが

お隣新松田駅の桜の湯は町営で安い。

 

寒風の露天に浸かる。

地獄谷の猿湯のお猿さんの、あの哲学的湯浴みの表情は

真に瞑想の境地。

何の悟りの瞑想なのか訊ねてみたい。

 

そんなこと、想像していたら、

イタリア人作家が最近刊行した、

「帰れない山」に記された父と息子の会話に魅せられた。

ヨーロッパアルプス山麓での

山岳と人間模様の織り成す人生紀行を反芻した。

登山をこよなく愛する父と、はにかみ屋の一人息子との確執、反抗

慈しむ母親との愛、山に住む少年との友情を

美しくも残酷なアルプスで幼年 子供、青年、中年に至る

孤独な男の人生模様が、私の気持ちを揺さぶる。

 

父と息子の登山での会話。

 

父「おまえは、過去がもう一度やって来ると思うか」?

「あそこに川が流れているのが見えるだろう」

「あの川の流れが時間だと仮定しよう」

「今いる場所が現在だとしたら、未来はどっちだと思う」?

 

息子は考えた。

「水が流れていくほうが未来だよ」

「あっちのほう」

そうじゃないと父は断言した。

歳月は、父と息子の心を遠ざけた。

少年になった。

父が言ったことを考えた。

流れのない殆ど淵、小さな滝、

尾びれだけを動かして同じ位置にとどまる鱒。

先へ先へと流れていく枯葉や枝。

それから、鱒がすっと動いて獲物に向かっていくところを思い浮かべた。

すると、一つの事実が浮かび上がった。

川に棲む魚の視点で見ると

全てのものが山から流れてくるということだ。

昆虫も小枝も、木の葉も、なにもかも。

だから、魚はいつも川上を見ているのだ。

流されてくるものを待ちながら。

川の今いる地点が現在としたら

と僕は考えた。

過去は、既に僕のところを流れ去った水。

そこにはもう、僕のためのものは何ひとつないのだ。

それに対して未来は、上から流れてくる水だ。

思いがけない喜びや危険をもたらす。

ということは、過去は谷で未来は山だ。

逝ってしまった父があの時期待していた答えはこれだったのだ。

運命は、それがどんなものだろうと、僕たち頭上の山に潜んでいる。

 

 

私は55年以上山登りを続けている。

なんということだ。

初めて登攀する岩壁、

積雪の登頂。

その登る先は未知未来なので知らない。

どのような困難と対峙するのか直面しなければ

判断はできない。

前進するためには、過去の下ルートをしっかり

把握して未来に挑む。

前進するためには、ときには一歩退かなくてはならないこともある。

過去の体験だけでもダメ。

慢心は転落へ誘う。

 

 

登山での遭難事故は下山時に発生することが多い。

疲労もあるが、過去経験から、ルートを知っているからだ。

その一瞬の緩みが惨事を誘発する。

 

独りぼっち登山は、自分の人生を回想する。

 

すっかり 熱ってしまった体を寒気に曝し

露天風呂を出た。

着替えの間で友人に電話した。

 

続く。

 

 


丹沢弘法山 独りぼっちのクリスマスハイキング。1

2018-12-28 16:27:10 | 日記

12月24日(月)

6時起床 6時半自宅を出る。

船橋駅から総武快速線に乗り

馬喰町駅で乗り換え都営新宿線馬喰横山駅から新宿駅へ

小田急線急行小田原行に乗り

9時半鶴巻温泉駅着。

今日は、クリスマスイヴです。

 

弘法山ハイキングのはじまりです。

昭和42年から46年まで

大学体育会山岳部時代、

 

 

クリスマス、正月は厳冬北アルプスの氷雪山稜を登攀しながら

テント、雪洞で絶望的な想いで過ごしました。

本当に今度こそは遭難するのか

絶えず恐怖心が深夜、天幕に吹き付ける

豪風、豪雪に支柱はしなり、たよりなげな天幕は雪風にしなり

人間ごと谷底に陥れる恐怖に眠れず凍える足指を

両手で温めた.。

 

 

今71歳の私は、再びクリスマスイヴに山登り。

丹沢の麓に住む兄とのハイキングであったが

兄の体調不良により、一人ハイキングになった。

 

登山口で、杖代わりの枯れ枝を拾う。

下山者が、置いていくのがある。

 

 

 

山道は、ブナ、ミズナラ、コナラ、ケヤキが冬枯れの黄土色の葉が、一陣の風に舞い

パラパラと積み重なり足底に柔らかな弾みで踏みしめる。

 

 

朝方なのに下山される年配の方々がいる。

兄と同じように、近隣住民が散策されるのだろうか。

 

一人登山は、自らのペース歩行なので心ゆったり

キッキッと鳥の鳴き声と沢を下る水音だけだ。

リズムを決めて立ち止まらずに保つ。

喋らない。

分かれ道に行き当ったら必ず上り坂を選ぶ。

小さな峠道を下り、左カーブをゆっくりと進む。

天空のホワイトブルーの下

錦トン運が丹沢山塊の上をゆっくり北に向かう。

見晴るかす麓には秦野盆地。

更に左手には、大雲に覆われた富士。

残念 雄大な富士を眺めること叶わず。

しかし 雲に囲まれた富士は、猛烈なブリザード暴れまわっている

  

弘法山からめん羊の里に向かう。

なだらかなミカン畑を見ながらロッジに向かう。

斜面から、動物の泣き声。

めん羊の里までやって来た。

入口には、夏ミカンの木が黄色にたわわに緑葉から顔を出す。

着いたのは11時。

開店は11時半。

羊牧場の階段を登る。

めん羊の里1

一匹の羊が近づく。

食べ物をくれるかと、横目で窺う。

めん羊の里2 餌あげないよ。

牧舎から鈴が鳴ると、羊のランチタイムだ。

一斉に牧舎に走り去る。

11時半、ロッジに入り

女性従業員に

「ベランダで食べたいと申し出る」

 

12月末の高地、寒風の板敷で飲食は変わり者だ。

食事に入った客はロッジ内でストーブの暖かいテーブルに着く。

 

ジンギスカン料理、ビール、ワイン、冷酒を板敷に置く。

ガス台を点火。

大皿山盛りの野菜を鉄器の満遍なく敷き

羊肉を載せる。

 

羊が焦げて臭いは立ち上るが紺青空に消える。

モンゴル高原での羊肉料理は正しくこれだろう。

 

めん羊の里 ジンギスカン料理 孤独のグルメ

視界には静寂な峰々と静まりの家並がジオラマの如く。

 

人間関係の様々な模様をひと時離れて

距離を空け、孤独に浸るのは何といいことなのだ。

ベランダの素っ気ない空間は、心を癒しで満たすのだ。

 

後で、この麓に住む友人に連絡しよう。

13時 ロッジを出た。

庭先に、地場の無人売り場があったので

ミカン、ゆずジャム、大根の漬物をリュックに詰め

木箱に500円玉を投入。

 

再び 林道を下り、名水はだの 冨士見の湯 標識が見えた。

数年前に秦野市のゴミ焼却場が建設され、その火力を

利用してスパがオープンした。

14時 スパに到着。

 

弘法山 冨士見の湯に向かう。

続く。


同期会 老年になって、歩いていて突然前につんのめる・

2018-12-21 16:33:20 | 日記

12月20日(木)

13時40分 JR中野駅に下り、中野ブロードウェイ右

飲み屋小路を通る。

中野飲み屋小路

昼下がりに通るのは、初めてだ。

居酒屋は多いがラーメン屋も多いのだ。

あしたのジョーのフィギュアを右手に見て

50mばかり進み右折すると、黄色看板の店名見えた。

木造2階建ての梯子のような階段を手摺に捕まって登る。

鈴が鳴るドアを開けると、柴犬親子がお出迎え。

頭をなぜなぜしてご挨拶。

午後2時から同期会。

昨年も中野スナックで開催。

  

今日は私も含め4人だけ。

年末の事もあるが、皆の集合日を決めるが

急遽、欠席もある。

訳は、甚だ悲哀こもる。

 

親の介護、孫の送り迎え、

自分自身の体調不良

診察日が入った。

 

私も来年1月10日大腸の内視鏡検査だ。

 

体育会育ちが、半世紀を経て

心身が朽ちていく宿命。

 

強く実感したのは、皆が体力衰えの兆候。

歩いている時、突然 前につんのめり顔面を殴打しそうになることだ。

 

聞いていた私は ハッとした。

私も5年前、突然 前のめりコンクリート歩道に倒れた。

油断して度々倒れた。

ほんの少しの凸面に靴が躓くのだ。

支え切れずに、バタンと倒れる。

足腰の衰えから、脚が上がらず

地面に擦っているのだ。

それに加え、筋力の低下により反応鈍く

前に脚が咄嗟に出ない。

 

老人の骨折は殆んどこれだろう。

 

そんなもんで、4年前から

朝 起床して直ぐに柔軟体操

特に念入りに足腰を解す。

その後、腹筋を足上げで35回

腕立て伏せを30回

尿漏れ防止のため、お尻を絞めるのを50回

鉄アレイを振り回す。

毎朝のトレーニングにより、前につんのめることは無くなった。

排尿切迫感も間隔が長くなり

我慢も少しだが出来る。

 

17時 お開きにして

2軒目を居酒屋でホッピーを飲んだ。

新宿駅で同期の一人は小田急電鉄 鵠沼に向かう。

私は総武快速で船橋へ。

20時 帰宅。

久しぶりに外飲む。

良かった。

次回は来春の平成最後の同期会をする。