2021年にテレフォンカードは終了されたそうです。
使い切ったら捨てていたテレカ。
引き出しの底に残ってる。
使用済み3枚。
書道教室に通う当時の知人は、腕前は五段なのにお弟子さんです。
私も出してるのよ弟子一同と共に開催の展示会へ呼ばれました。
お土産にくれたテレカ。
袋入り、セロファンのカバー付き、銀色の地に墨痕鮮やかな師範の書。
使わないでしまっています。
換金するつもりはありません。
2021年にテレフォンカードは終了されたそうです。
使い切ったら捨てていたテレカ。
引き出しの底に残ってる。
使用済み3枚。
書道教室に通う当時の知人は、腕前は五段なのにお弟子さんです。
私も出してるのよ弟子一同と共に開催の展示会へ呼ばれました。
お土産にくれたテレカ。
袋入り、セロファンのカバー付き、銀色の地に墨痕鮮やかな師範の書。
使わないでしまっています。
換金するつもりはありません。
木製で漆塗りで、直に樽にお酒が入っていた昔の角樽。
樽がプラスティック製になって久しい。
2008年12月主人が勤務している京都の会社へ、取引先からのお歳暮として届いた品のひとつです。
年末に社員一同に、くじ引きで配られるのが恒例でした。
中にはビンが入っている。
これのために作られたビンです。
キャップを外してコルク付きの栓に変えて。
今年も10月8日、天孫神社の大津祭の曳山巡行がある。
この絵はがきが作成されたのはいつ頃か、表面(宛名面)をみてみよう。
きかは便郵。
宛名下半分に通信文を書く事が許可されたのは1918年(大正7年)4月からです。
「はかき」が「はがき」に改正されたのは1933年(昭和8年)からです。右書きが左書きになるのは戦後です。
ということは、1918年~1933年の間の発行です。
そして、狸山は1919年(昭和9年)の修理で形状が変わったので、これはそれ以前の物ですと、博物館の学芸員に聞いた記憶があります。
まずその狸山から
子供用にも年賀状が作られました。
明治時代からの古い順に。
貰った子供のきょうだいが、サングラスや犬などの落書きしたようです。
小学生の学生服は詰め襟ではありません。
こちらは、キューピーの原作者ローズ・オニール展(2010年)で買った絵はがきです。生誕100年だったかしら。
昭和24年管制おとし玉つき年賀はがきが発行されました。
昭和24年12月1日、はがきは2円になりました。
昭和25年、小説の泉新年付録。横山隆一フクちゃん。
逓信省が、民間に絵はがき製造を許可すると、大ブームとなりました。
十三回懸賞彩色絵葉書 岡山懸 大橋晋(一五)と印字されています。
おもしろいでしょと書かれた残暑見舞いです。
切手収集のため、切手をはがしてあります。