2年前に亡くなっていたとの訃報があった。
鳥取県の西部地方の田舎で私は生まれました。
白木みのるさんは島根県の出身だったのですか。
昭和になって集落の外れの広い敷地に移転したそうですが、明治大正時代には小学校だったという裏山に奉安殿の跡を持つ集落の公民館。
青年団の演芸や、映画、神楽、ドサ回りがその公民館で時々公演される。
昼間は仕事があるから、公演は夜と決まっていた。
小学校の4.5年生だったでしょうか、初めて一人で見に行くことを許された。
子供か大人かわからない小柄なスーツ姿の男性が紹介された。
「田端あきおちゃんです!」
甲高い声で歌う彼。びっくりして見入った。
まるでスターのように紹介されて数曲歌った後、ブロマイドの販売が始まった。
握りしめていた10円玉で思わず買った。
「ダラずが(馬鹿がの方言)」と叱られた。
ガリ版印刷のようなハガキくらいの大きさのブロマイド。
てなもんや三度笠が放映されると、え、あの人だと思った。
あれだそうなと大人達の間で語られた。
我が家は誰も見ていなくて自分の部屋でブロマイドをまじまじ見つめた。
有名になられる頃、私は高校を出て京都に就職した。
置いてきたブロマイドはいつしかなくなっていた。
今、あったらと思った。