レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。
ついでに所蔵品の思い出も。

鳥取県郷土かるた

2023年01月18日 11時35分41秒 | 絵封筒・紙物

私の生まれは鳥取県奥大山のある集落です。
縁日で鳥取県のモノはめったに発見できませんが、誰も見向きもしないのでか残っています。

紙の小箱を開くと郷土かるたが入っていました。
読み札取り札、完全には揃っていませんでした。

江戸時代以前、鳥取県は因幡国と伯耆国に分かれていました。
故郷を離れて2つの国は方言が全く違うと知りました。
生まれた伯耆国は、島根県、岡山県、広島県の方言の方が似ています。

県立関係の図書館や博物館には所蔵が無く、倉吉市の博物館にありました。

コピーを送付いただきました。箱の表紙です。

いろは順48組。

片方がないものです。

電車の存在は絵はがきで知っていました。
絵はがきは後日。

最後の「ん」に当たるのは、

です。


教科書

2021年02月23日 15時42分54秒 | 絵封筒・紙物

戦後、学校制度が変わり、教科書も変わったことでしょう。
その地図帳の初めの2枚がちぎれていました。
昭和24年10月10日、文部省検定済 中学校社会科用です。

庶民の地域ごと絵地図の表現方法や家々の様子が載っています。

農家の間取り、トイレは馬小屋の横にあります。
雨の日は傘をさして行かねばなりません。

町の店舗付き住宅です。この形は今でも商店街に存在します。

都市の住宅と書いてあります。

 


明治の鉄道切符一枚発見

2019年01月31日 15時53分28秒 | 絵封筒・紙物

こんなの要る? と主人から見せられた。
なんで持ってるの? 昔、名古屋にいたから?

なんで持ってるのかわからんがずっと定期券入れの奥に入っていた。

名古屋より東京まで、下等、金百五十圓。

調べてみると、どうやら明治時代らしいく、下等は、なみ等だって。
しかし、日付が明治12年10月62日って有り得ない。
鋏痕(きょうこん=改札でパチンと切る鋏)が大きい、名古屋ってこんな形?

鉄道規則堅く守るべき者也だって。
現代の定期券や切符にも、痴漢行わざる者也と書いておけば、どうじゃろかい。 

 


ポチ袋・爪楊枝

2018年09月20日 16時42分40秒 | 絵封筒・紙物

さくら井屋さんでは、絵封筒と共にポチ袋も売られていたようです。
三番叟姿の御所人形は「お年玉」用になりましょう。

こちらは大入り袋用でしょうか、判じ絵が描いてあり製造元は不明です。

4㎝×9㎝、現在のお年玉の袋より小ぶりです。
お駄賃などに硬貨をれる場合もあったでしょうが、判じ絵などは粋な大人向けです。
ただ、いまだ判じることができないでいます。

粋と言えば忘れられない思い出があります。
アンティークフェアーで紙物を扱う店主が、もっと小さいサイズのポチ袋を見せて説明してくださいました。

「関西と関東の同業組合員の御隠居数人が、お座敷でこっそり贔屓の女性に渡すため、10種の柄のポチ袋セットを作りました。
メンバーの名前を印刷した説明書も入っています。
めったにない逸品です、お値引きしますから」と勧められました。

当時、別のものに興味があって買いませんでした。
今思うと倍の値段でも買うべきだったと悔やんでいます。

関係ないけど左隣の爪楊枝袋。

ある露店で箱の隅から拾い出しました。
店主の商う物と関係なかったので、見るなり「あげる」といただきました。
奴さんが座っています。

岡崎市、双葉旅館、電話局番号が無い。

 

 

 


京都さくら井屋さん以外 他のお店の絵封筒

2018年05月27日 11時41分00秒 | 絵封筒・紙物

さくら井屋さんの製品には裏面に店名がありましたが、店名の記されて異なものは他店のものであろうと思っています。 


この3枚は少し大きめです。




この箱入りだったようですが、蓋だけです。
箱がある方が値打だよとおっしゃいますが、ファイルするには不便え。

南地戎橋せ乃や製とあります、大阪のお店です。

はいからって書いてあります。封筒の開け方も違います。



 


京都さくら井屋さん 

2018年05月14日 08時14分27秒 | 絵封筒・紙物

京都の新京極で長年親しまれた「さくら井屋」さんが閉店され、売られていた絵はがきや絵封筒が骨董市で、次第に値を上げて、今ではもう見られなくなった。
絵草紙を調べている時に、出くわした本に載っていたことの要約です。
さくら井屋さんは和久屋治兵衛の名で絵草紙屋さんだった由。

和久屋治兵衛は、和久屋の名を譲って千本五辻に同様の絵草紙屋を出させた。
自身は、今まで通り堀川通り今出川舟橋で桜井屋と名乗った。
天保11年(1840)届出の文書です。開業をお上に届ける決まりがあったようです。

   天保十一年子年渡世仕候
   1、本屋渡世
        和久屋治兵衛改
   右之通御座候以上
            桜井屋治兵衛
   嘉永四年亥四月
  御年寄様 

お上から本屋業界に対し様々な沙汰が下る問題があり、本格的な営業は天保12年となった。

明治28年(1895)新京極に移転して徐々に土産物店に移行し、平成23年(2011)年1月15日閉店。

お買い上げの品を入れて渡された袋なのでしょう。

便箋です。南座の歌舞伎でしょう。

絵はがきです。

袋の中は、

露店で一枚入手。

製造時期が違うのでしょうか、裏面が違います。

裏にのりがついた貼り絵です。

絵封筒です。

小林かいち

サインのあるのは、かいちの初期の物らしいです。

御所人形の図柄、左端はポチ袋です。

平成23年(2011)1月15日、閉店されました。