レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。
ついでに所蔵品の思い出も。

画帳 1

2018年01月31日 14時27分52秒 | 浮世絵 絵草子 古本 古教科書

21cm×15cm 画帳です。

最後のページ、持ち主でしょう。

見開きです。

私には「粋」の字しか読めません。
画家の方々に描いてもらわれたのでしょうか。
各ページの絵にそれぞれのサインがあります。

白髪、まゆ、ひげなど白い部分はすべて紙の白をそのまま使った技法で、計算された筆使いに感心しました。

薪を背負って家路につく人の、晩秋の寒さに鼻水をすすってるような風情が伝わってきます。

生まれたての小雀が、ママ、ママと不安げに親を呼んでるような春です。

どっさり雪に埋もれた山里です。

外来種のいない、のんびりした夏です。

独りぼっちでも寂しか(鹿)ないよ。

忙しそうな燕です。
このサイン、昭和40年代に和菓子の箱のかけ紙の絵のサインで見た記憶があります。

山里に、秋が忍び足でやって来ます。

以上で画帳はおしまい、1ページの余白もありません。

 


電話局名の変遷 

2018年01月27日 14時39分31秒 | 絵封筒・紙物

電話が家庭に普及した初期の頃は「電話を設置したけれど、知人が誰も電話を持っていない」状況だったとか。
ある業界の大正3年ごろの組合員名簿を書き写しています。

東京市神田区 本局。
   京橋区 京橋局。
  日本橋区 浪花局。
    芝区 芝局。
   浅草区 下谷局。
   
大阪市南区 大阪局。南局。
   北区 本局。東局。
   東区 本局。 

この時点で、横浜、名古屋、広島、長崎は番号だけで局名はありません。一局だけだったのでしょう。
東京でも大阪でも電話番号の記載のない組合員もありますから、電話未設置なのでしょう。

昭和11年の、別の業界名簿ですが、横浜鶴見区 鶴見局。
                 大阪南区 船場局。
               名古屋市中区 南局。となっていました。

画帳の持ち主が、所蔵印を押しています。

京都の電話局は上局と下局からスタートしたと推測したのは、京都市は上京区と下京区からスタートしているからです。
こちらは、数字を当てて2局となっています。いつ頃からなのでしょう。

元々が、郵便、電報、電話と合体した逓信省だったのが分割されて、かえって電話局に記録がありませんでした。

そこで、新聞の広告欄に電話番号があることに気づき、図書館で京都新聞のマイクロフィルムを見せていただきました。

電話を回すと交換台につながり、相手につないでもらう時代は局名が重要でした。

局番が設置され、市外局番が設置され、相手に直接つながるようになると、一気に加入者が増えました。それは昭和30年代でした。

私は昭和48年に結婚しましたが、前年の秋、主人が電話設置にあたって電電公社から15万円で10年償還の債権を買わなければなりませんでした。
主人の給料の一か月分より高かったのです。

 

 


信楽のたぬき

2018年01月26日 15時06分18秒 | 陶磁器 

信楽焼きのタヌキ君は、旅先各地で見かけますから、全国にいきわたっているようです。
京都に住んでいる40年前頃買ったのは、全員こんな顔でした。

その数年後、売り場の奥の方にいた女の子を発見しました。ドテラに狸庵さんの印があります。
近年の女の子は葉っぱで前を隠していますが、このころは丸出し、ちょっと恥ずかしい。

それからまた数年後、連れ合いを探しに訪れましたが、この手の物はなかなか見つからず少し背が高いと思いましたが隣に立ってるのを買いました。背丈は48㎝。
外で雨ざらしに会いドテラの色が剥げていましたが「狸庵」の印はありました。
主人が着色しました。

京都で知り合ったママ友は信楽の窯元出身の人でした。彼女の実家の7.5㎝の5つ子ちゃん。

近年は丸い目の現代的な顔に変化していますが、縁日の露店には昔の顔が並んでいます。
座り方で女とわかるこの子、女子会にお酒持って行ったらしい。

つまようじ立は信楽で、土鈴は、名神高速道路50周年記念の年、大津インターのSAで、どちらもいただきモノ。

いつだったか、信楽の店の奥に埃をかぶって非売品となっていた。
この古い形、馴染みの露天商で発見。

全員集合させるのは初めてです。

 


独楽 7

2018年01月23日 14時30分46秒 | 独楽(こま)

スーパーのおもちゃ売り場で売られていたらしいシールが貼ってありました。

黄色い部分にタコ糸を巻いて引くと回ります。

真ん中の赤い輪だけがくるくる回ります。どこかに紐を巻くのでしょうか、回し方がわかりません。

小さな陶器です。回しにくいので、あまり回らないで転びます。
うた、おかめ、ひょっとこ、うた、おかめ、てんぐ、と書いてあり、うたとおかめは2つづつあります。
うたは歌うとか、出た目によってなにか演技する、御座敷遊びにでも使ったのでしょうか。

広井道顕作です。

首を回すと、反対側は笑っています。
左右の独楽は回り終わっても落ちません。

 


白銅の鏡

2018年01月22日 15時27分05秒 | 民具、雑貨

今でも露店で、中身だけはよくみかける鏡です。
嫁入り道具の一つだったのかもしれません。
女紋を入れた箱に入っています。

持ち手にトウが巻かれています。
全長31㎝、重くて手鏡にはなりません。

 大名家の姫様の雛飾りの御道具の鏡台です。
この台に乗せます。

浮世絵の中に女性の日常が描かれています。

右の手鏡はこんなに重くはありません。慶応年間生まれの私の曾祖母の遺品です。
中央の小さいものは携帯用です。私の紋だったので求めました。

曾祖母は昭和20年秋、流行り病で亡くなったそうです。
同じ20年の5月に曽祖父が老衰で逝ってるそうなので、あの世で仲良く暮らしてるだろうかと、鏡に語りかけました。
小さいの以外は、少しは写ります。

 


浮世絵 第3回内国勧業博覧会

2018年01月20日 09時29分46秒 | 浮世絵 絵草子 古本 古教科書

馴染みの露天商で、くしゃくしゃに丸まってる紙でした。
浮世絵は3枚を連ねたのが一般的で、枚数は揃っていました。額縁屋さんへ。

第3回内国勧業博覧会 明治23年です。

揚州周延門下の陽斎延一(1872~1944  明治5~昭和19)の筆。

版元は綱島亀吉。

連れている男児まで正装をし、上流の方々ばかりなので開催を前に行われた内覧会の風景ではないかと想像しました。

web検索で、同じ絵師の入場門を描いたのもを発見しました。
男児の向きが同じです。(東京ガスミュージアム蔵)

犬山市の明治村も、3年前、開村50年を迎えました。
明治150年だという今。
先の東京オリンピックのころ
♪~明治100年、歌おうじゃな~い~か、文明開化の思い出をトコトンヤレトンヤレな~  と舟木一夫が歌ってたような。
あのころはまだ私の祖父母も健在で、明治生まれの人々がたくさんいらした。

2020年12月28日、追記です。

現在図書館から河出書房新書出版の「浮世絵師たちが描いた 明治の風俗」に同じ絵で「大日本美術博覧会」というのが載っています。
(静岡県立中央図書館蔵)

こんなことになる理由が知りたいと、思ういつつあらためて見るのです。

 


ぬりえ 1

2018年01月19日 11時34分31秒 | 紙ふうせん・ぬりえ

母亡きあと「死にたい」と言っていた父。
一人暮らしに慣れ「だって、死なんだもん」とデイサービスで「ぬりえ」させられて、鴨居や壁に次々貼ってあった。
いぶかる爺さんもいたそうだが、「どうせヒマだもん」と言う父だった。
子供の知育玩具から、ボケ防止用品?

露店で、反古の和紙がいっぱい入った箱の中から発見した大正時代のぬりえ。
表紙は無く、糸で綴じてありクレヨンで塗ってある。

「渡し場」風景。

右のページには馬が瓢箪を引きずっている「瓢箪から駒?」
左のページには羽子と羽子板。

錨と金時。

鶏と老人。

山水と菖蒲。

軍艦と雉子。

景季。

梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ・1162~1200)鎌倉初期、景時の子。生田の森の戦いで箙(えびら)に梅の枝をさし戦ったと伝えられている。
男児用のぬりえのようです。

こちらも表紙も裏表紙も無くなっています。

スッキリ輪郭だけ。「つっかけげた」の名称です。木製の台でしたから。

電球が切れると買いに行かされて明るさから、20ワット、40ワット、60ワット、100ワットだった。
帰る道すがらに電球を見ると、マツダと書かれていた思い出。
販促品でしょうか?

おとぎ話のものは他にもたくさんあったと想像できます。
「いくら?」「××円」わざと「20円て書いてある」「あほ」と言われ笑う。

このシリーズは裏表紙にお手本があります。

汐汲みは、安寿と厨子王の安寿や、舞踊が有名ですが、中の絵は女児の日常生活です。

一枚にたくさん書いてあります。

同じ絵が連なっていて、機械が裁断するとき紙がずれたのでしょうか。切れた下の部分が上にあります。

裏表紙です。

少女が夢をふくらませた、3頭身のぬりえ。

「きいちのぬりえ」と呼ばれて有名な蔦谷喜一さんの袋入りのぬりえです。

ガチャガチャ回してチャンネル替えたテレビ。
子供のころ、放送してないチャンネルのテレビ画面で絵に白い紙を重ねて画面の光を利用して鉛筆で絵をなぞって写し取りました。

 


湯呑

2018年01月17日 10時43分18秒 | 陶磁器 

湯呑と言えどもお茶を飲み、茶碗といえど飯を盛る。
長屋住まいの昔は、ご飯が済んだらそのままお茶を注いで飲んだので、茶碗なのでしょう。

おやつの時間にお茶を飲む。
その意匠を楽しんだ湯呑。

四君子の中の蘭と菊の絵、漢詩の後に作者の花押。
趣味の書道の腕前6段の方曰く「余程の方でなければ自分で漢詩は作れないから、きっとどこかの引用よ」と、分厚い漢詩辞典を借りた事が有りました。
重役だったご主人の定年退職で故郷に帰られて、漢詩辞典も行っちゃった。


朝顔の絵です。

口のところ、スクリュー瓶のフタの溝みたいな。

 女性二人で目をむいて喧嘩? 

ふん! と怒って背中を向けた。


裏側には、ふく ??

実は3人のお福さんが笑っているのでした。

左右の杭に手綱がつながれて、馬が暴れています。
指でこねながら作ったような糸尻。どこかの御隠居さんが愛用した様な風情です。

中でも馬が暴れています。青緑の釉薬がインパクトを与えています。

 


下田焼

2018年01月11日 07時37分02秒 | 陶磁器 

湯呑と急須のセット、古いが未使用の物。産地もまちまちで、陶器の卸屋の蔵の整理かと思った。

ほうじ茶向きだと買ったけど、あれから10年使っていない。
弱いボール紙で変形して埃だらけの箱だったので廃棄したが、説明書は残した。

県内の甲賀郡甲西町下田。

web検索すると、平成元年閉じた窯を平成6年に後継者が再び初めて、今は新しい方法で活動している。
電話局番も一桁のこの梅山製陶所は、元の窯の物だと分かった。

 


土瓶と急須とティーポット

2018年01月10日 12時47分04秒 | 陶磁器 

水を介してお茶を飲むのは万国共通でしょう。

今は亡き和尚様から頂いたインドの急須です。

蓮の実が動くんだ、おもしろいだろう。かたむけると種がでてきた。

インドは蓮の実で、中国は、蓮の葉のデザインです。
分厚い作りで中は狭く、茶こしは無く穴があいています。

鉄の急須です。
産地によって違いがあるそうですが、産地は不明です。
出し殻の緑茶の葉に水を注いでドボンと数時間浸すと、黒い水になる。数回繰り返すと錆が減り、ツルに模様が現れた。
未使用のまま中古品となったようです。

九谷焼です。

注ぎ口です。

大森隆作と小栗正男作で、九谷焼のモノと共に形は土瓶ですが、急須として使います。

有田焼、深川製磁の急須です。

滋賀の下田焼です。(これについては次回)

急須の茶こしを比較してきましたのはこの急須を見ていただくためでした。
陶器祭の掘り出しコーナーで1500円で求めました。

その翌月、京都の高島屋で、全く同じ形なのに絵付けの違うものが一万円で売られていていました。
掘り出し市で私が買ったのは、絵付けに不満があり「撥ね物」となったのでしょう。
産地の業者出張の即売会で、急須の蓋をとっては茶こしの仕事ばかり観察してると、絶対声をかけられることは無くゆっくり見ることができました

最近は金網の茶こしが入っているのが大半で、作るのも掃除も楽だけど職人技として少し寂しくもあります。

使用中の常滑焼は金網が張り付けてあります。

ついでにティーポット。
ドイツのローゼンタールのティーポットと、ハンガリーのヘレンドのモカポット(インドの花)の小さいサイズのものです。

モカポットはコーヒーなので出口は穴だけですが、これはティーポットの方です。

ティーポットは急須より大き目ですが、こちらは急須と同じくらいです。
イギリスのポートメイリオンと書いてあります。
20年くらい前、画材店のショーウインドウに飾ってありました。
デザインに魅かれて。
一人分しか入らない大きさです。