のびたとブレイク

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シベリア抑留者の望郷の歌 異国の丘

2014年08月11日 08時29分33秒 | ボランティア

窓打つ嵐に夢も破れ・・旅愁の歌ではないけれど 夜半過ぎまで雨と風だった

べランダ全体に吹き寄せ 窓がガタガタ鳴っていた

昨日の昼辺りから 雨が降り出し風も時折強く吹く

 

香取神神社の神輿も 台風の影響には勝てない

ウオーキングに出ようとしていたら 降り出して 私も外出を止めた

夕方 買い物にでも出るかと外を見ると 雨風強く これもやめ一日中家に居る

 

 

一昨日は天気もまあまあで 宵宮があり 各町会内で行事が行われる

子供たちが主役になって 良い夏休みの想い出が残っただろう

伝統は こうして伝承され いつまでも残して行って欲しい

 

 

今日は江東区のディケア施設に音楽訪問に行く

8月はいろいろ思い入れがあるが 異国の丘 を歌わせてみたい

これは軍歌ではなく シベリアに抑留された方たちの悲痛な望郷の歌である

 

ポツダム宣言を受諾した後もソ連は不可侵条約を破棄して満州や樺太を侵攻

多くの日本人の軍人も民間人の男性も捕虜としてシベリアに抑留されて行った

一部の説では北海道をソ連が占領させよと主張する代償かとも言う

 

抑留された人数は60万人ともいわれる

厳寒地の労働に従事され 過酷と言うより奴隷的扱いで次々と命を失う

日本に生きて帰れる望みは 微かにも無いようだった

 

 

この中に作曲家の 吉田正 さんが 当時 上等兵で収容地に居た

異国の丘の原曲は 吉田正さんが 陸軍の意識高揚のために作曲した

大興安嶺突破演習の歌 が元歌であるが 奇しくもこの歌が励ましとなる

 

抑留者の増田幸治さんが作詞をして 曲はこのメロディを替え歌になった

日本語を使うことも 集団暴動や逃亡の謀議とみなされ 秘密裏に伝わる

時にはセメント袋の端をちぎって 何かを筆記具に代用したと聴く

 

こうして 異国の丘を心で歌いながら 遥か遠い祖国 日本に帰る日を望んだ

何万の方が 厳寒地の過酷な長時間労働 貧弱な食料で倒れて行った

それでも 希望を失わず いつか日本に帰ろうと励ましあったのである

 

シベリア帰還兵の中村耕造さんが NHKの のど自慢で歌った

まだ帰還されない方々 現地で消えて行った同胞を思いつつ歌う

一躍 この歌が クローズアップされたのである

 

吉田正さんも 無事 帰国することが出来て 多くの名曲を残す

茨城県の日立 海を遠くに望む地に 現在 記念館もある

異国の丘 犠牲者を偲び 一つの反戦歌とも言える

 

    最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

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