ランドルンでサクラのような花を見かけました。
民家の中庭だったので、近づくことができませんが、花びらが風に舞っていました。
ランドルンで昼食を済ませ、再び歩き始めました。
そして私はこの村の外れで、驚くようなものを目にしました。
10トンほどの大型トラックです。
一緒に歩いていたKさんも驚きの声をあげました。
何で!
しかし、その理由をほどなく理解しました。
トレッキングで歩く道と平行し、ランドルンまで車道が伸びていたのです。
下の写真の段々畑の中央に、埃っぽい道が写っているのがお分かりでしょうか。
ランドルンを出て暫くすると、轍が残る車道歩きが始まりました。
大昔、北海道の日高山脈のペテガリに登った時、登山口まで、牧草地の中に続く砂利道を、一日歩いたことを想い出しました。
たまに埃を巻き上げて四輪駆動のジープが通り過ぎます。
ア~ァ、こんな道は歩きたくないのですが、仕方ありません。
右の谷底にモディ・コーラが見えていました。
対岸に、ナヤプルへと通じる車道が白い筋となって続いていました。
そして、所々に田が姿を見せました。
畑で毎年同じ作物を育てれば連作障害が起きますが、田では毎年イネを育てることができます。
水が確保できる場所でイネを育てれば、毎年確実に穀物が得られます。
田や畑がこれ程あれば、沙羅双樹の木に登って、家畜の餌を確保する苦労はしなくても済みそうです。
それにしても、見事な光景でした。
そんな道路脇に、斜面を切り崩した跡が堆積層を見せていました。
細かな土や石が積み重なり、パイ菓子のような層を成しています。
このような地形は、水が運んできた土や石が積み重なったものです。
ヒマラヤは約5000万年前にインド・オーストラリアプレートが北上し、ユーラシアプレートとぶつかり、海底が隆起してできたのだそうです。
目にした堆積層は、太古の昔、この辺りが水底だった証なのでしょう。
車道に埋もれて、以前の歩道が姿を見せていました。
地元の人に話を聞くと、ランドルン村に車道が伸びたのは半年程前のことだそうです。
午後になって、車の走る道に学校帰りの子供達の姿を見かけました。
しかし、子供達に「ナマステ」と声を掛けると、何人かの子供達は、「ナマステ」の後、英語で「ジャパニーズ?」とか「チャイニーズ?」などの言葉に続け、「ギブミー・スイーッやギブミー・マネー」を付け加えました。
山奥の村では決して聞くことがなかった言葉です。
車道は利便性と引き換えに、あまり見たくないもの、聞きたくないものも運び込んで来たようです。
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