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ヒマラヤの車道を歩く

2014-06-05 16:35:57 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ランドルンでサクラのような花を見かけました。

 

 民家の中庭だったので、近づくことができませんが、花びらが風に舞っていました。

 

 

 ランドルンで昼食を済ませ、再び歩き始めました。

 

 

 そして私はこの村の外れで、驚くようなものを目にしました。

 

 10トンほどの大型トラックです。

 

 一緒に歩いていたKさんも驚きの声をあげました。


 

 何で!


 

 

 しかし、その理由をほどなく理解しました。

 

 トレッキングで歩く道と平行し、ランドルンまで車道が伸びていたのです。

 

 下の写真の段々畑の中央に、埃っぽい道が写っているのがお分かりでしょうか。

 

 

 

 

 ランドルンを出て暫くすると、轍が残る車道歩きが始まりました。

 

 

 大昔、北海道の日高山脈のペテガリに登った時、登山口まで、牧草地の中に続く砂利道を、一日歩いたことを想い出しました。

 

 たまに埃を巻き上げて四輪駆動のジープが通り過ぎます。

 

 ア~ァ、こんな道は歩きたくないのですが、仕方ありません。

 

 

 右の谷底にモディ・コーラが見えていました。

 

 対岸に、ナヤプルへと通じる車道が白い筋となって続いていました。

 

 

 そして、所々に田が姿を見せました。

 

 畑で毎年同じ作物を育てれば連作障害が起きますが、田では毎年イネを育てることができます。

 

 水が確保できる場所でイネを育てれば、毎年確実に穀物が得られます。

 

 田や畑がこれ程あれば、沙羅双樹の木に登って、家畜の餌を確保する苦労はしなくても済みそうです。

 

 

 それにしても、見事な光景でした。

 

  

 そんな道路脇に、斜面を切り崩した跡が堆積層を見せていました。

 

 細かな土や石が積み重なり、パイ菓子のような層を成しています。

 

 このような地形は、水が運んできた土や石が積み重なったものです。

 

 ヒマラヤは約5000万年前にインド・オーストラリアプレートが北上し、ユーラシアプレートとぶつかり、海底が隆起してできたのだそうです。

 

 目にした堆積層は、太古の昔、この辺りが水底だった証なのでしょう。

 

 

 車道に埋もれて、以前の歩道が姿を見せていました。

 

 

 地元の人に話を聞くと、ランドルン村に車道が伸びたのは半年程前のことだそうです。

 

 午後になって、車の走る道に学校帰りの子供達の姿を見かけました。

 

 しかし、子供達に「ナマステ」と声を掛けると、何人かの子供達は、「ナマステ」の後、英語で「ジャパニーズ?」とか「チャイニーズ?」などの言葉に続け、「ギブミー・スイーッやギブミー・マネー」を付け加えました。

 

 山奥の村では決して聞くことがなかった言葉です。

 

 車道は利便性と引き換えに、あまり見たくないもの、聞きたくないものも運び込んで来たようです。

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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山深い道

2014-06-05 13:46:55 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 木々に包まれた小屋を目にしました。

 

 モディ・コーラの谷に、里山のような森が続いています

 

 

 木陰に微笑む白いスミレに心満たされ、至福のトレッキングを味わいました。

 

 

 夏雲を纏ったアンナプルナ・サウスが、谷の奥へ小さくなってゆきます。

 

 

 足元に石畳みの道が続きました。

 

 

 本流に流れ込む沢に滝が掛かり、沢の壁を濃密な緑が覆いつくします。

 

 

 そんな場所に、素朴な吊り橋は良く似合います。

 

 

 道は再び、標高を上げてゆきます。

 

 

 眼下のモディ・コーラの瀬に白波が立ちます。

 

 

 田の畔のような場所で、ボーンチャイナのような青白色の花が陽を浴びていました。

 

 Gentiana pedicellata

 

 誰かの畑へ通じるような趣の道を登り進みます。

 

 

 田圃の中に続く道の先で、尾根のラインの流れの中にランドルン村が見えてきました。

 

 

 「山深い」の形容詞のままの風景の中を登り続けました。

 

 一昔前の日本にタイムスリップしたような、信濃路の峠道へ歩を進めるような気分を味わいました。

 

 ゆるやかに登る緑の中の道を歩きながら、日本から数千キロも離れた場所に居ることを忘れていました。

 

 

 そんな山道で突然、頭上からメェ~という鳴声が聞こえてきました。

 

 最初は何のことか分からなかったのですが、周囲へ視線を巡らすと、とんでもない山の斜面に羊の群れを見出しました。

 

 

 斜面の対岸からズームを利かせて撮影したので、斜度が分かり難いのですが、羊の群れが居る場所は絶壁ともいえる崖の中です。

 

 

 羊の群れに動きまわる犬の姿があり、羊を誘導する人声が崖に響きました。

 

 やっぱりここはネパールです。

 

 ヒマラヤに住む人々の生命力に、只々驚かされました。

 

  そして12時半を過ぎて、無事みランドルン村に到着しました。

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

 

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新しくないニューブリッジを渡る

2014-06-04 20:40:43 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 

 モディ・コーラの谷を下って行きます。

 

 太陽が正中へ昇り、歩を進める道を正面から照らし始めました。

 

 

 気温が上がってきます。

 

 緑が濃くなって、花の姿が減ってきました。

 

 そんな時に、振り変えると、別れを告げてきたヒウンチュリが、森の上で雲を纏っていました。

 

 

 そして、眼下のモディ・コーラに、ニューブリッジのGH(ゲストハウス)が見え始める頃、

 

 

 峰々の上に、白いアンナプルナ・サウスが姿を現しました。

 

 今朝、あの白い山を真正面にして味わった、モーニングティーの香が喉に蘇ります。

 

 

 11時15分頃にニューブリッジ(ナヤプルともいう)に到着しました。

 

 今朝私は、8時頃に一人でチョムロンを出発したのですが、この辺りでチョムロンのGHに同宿したKさんが追い付いて来て、一緒に歩き始めました。

 

 Kさんは温泉に降りなかったそうですが、若い人は歩くスピードが早いようです。

 

 

 ニューブリッジを過ぎて、暫く進むと、
 
 

 

 鋼のワイヤーで作られた吊り橋に出ました。

 

 多分、この橋ができて、この付近をニューブリッジと呼ぶようになったのだろうと思いますが、

 

 

 今まで渡ってきた吊り橋の中で、この橋が一番古い代物です。

 

 橋を吊るワイアーは錆びて、足場の板がギシギシと音を立てました。

 

 

 新しくないニューブリッジを渡る終えると、川の左岸に、シダが繁茂する道が続いていました。

 

 歩を進めるにつれ、目にする植物が多彩な変化を見せてくれます。

 

  

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

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キュムヌ・コーラを越えて

2014-06-04 14:55:31 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 温泉からチィヌウへ戻り、再びキュムヌ・コーラへの道を下ります。

 

 

 この道筋でも多くの花を目にしました。

 

 多分左はCampanula pallidaで、右はシロバナセンダングサに似た詳細不明の花

 

 

 

 左はReinwardtia indicaでしょう、右はカタバミ

 

 

 

 左はLindenbergia grandifloraで、右の花は宿題にしておきます。

 

 

 

 そしてキュムヌ・コーラを渡りました。

 

 

 

 トレッキングルートは麦畑の中に続いていました。

 

 

 この付近は、今朝下って来た尾根から見えた、段々畑の最下部に該当します。

 

 畑の中に紛れ込まないよう、民家の壁の青いマークを目印にトレッキングルートを進みます。

 

 

 ルートは尾根の端を廻り込み、いつの間にかキュムヌ・コーラからモディ・コーラの川筋に入っていました。

 

 

 

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