目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

野いちごの砂糖がけとドライイチゴ

2019-06-04 | 日記

私の家にはイチゴの畑が二箇所あります。

 

一箇所は昔からある野いちごの畑。

 

これは家の表西側にあり、今までほとんど手をかけたことがありません。

 

なのに毎年実がなる優等生です。

 

私たちが引っ越しいてきた時にはすでにここで自生してました。

 

聞いた話では昭和三十年くらいから畑のあぜ道で作っていたイチゴらしい。

 

ところでイチゴって他の種類と混合して形を変えたりしないのですね。

 

このいちご畑に十年ほど前に私が時の園芸種を植えてみました。

 

と言うのもこの野いちごは甘さがほとんどありません。

 

それにまん丸の形は日持ちがせずその日のうちに食べないと

 

べちゃっとなってしまうのです。

 

それでもしかしたら他の種類を混ぜれば品種が改良できるのではないかと

 

素人考えで植えてみましたが、甘いイチゴに改良できたわけではありません。

 

でも結局丸いのは丸いまま、細長いのは細長く、やっぱり酸っぱいイチゴです。

 

それでも園芸種も居残って今でも実をつけてくれるのです。

 

 

この丸いのが細長くなると思っていたのにそうならなかったのは

 

イチゴがタネや球根で増えるのではなくランナーで増えていくためでしょう。

 

 

裏のイチゴは何年か前にもらった甘い園芸種です。

そのイチゴは去年放ったらかしていたので今年はあまり実をつけません。

 

毎日手のひらに乗るほどの量をドライにして食べてみたらめっちゃ美味しい。

まるでイチゴゼリーのようになってます。

 

元々が甘いイチゴなのでとっても甘いイチゴゼリーって感じ。

 

それにひきかえ表の野いちごはやっぱり酸っぱいのです。

 

だから砂糖をかけて食べるのが好き。

 

砂糖をかけてしばらく置くと自然に水が出て甘いイチゴシロップになります。

 

今回家人がココナッツシュガーにしてくれと言うので

 

テン菜糖の方がいい私の分とあの人の分と二種類の砂糖掛けにしてみました。

さてお味の違いはいかがなものでしょう。

しばらく置いて置くとイチゴの汁が砂糖を溶かしてシロップ漬のようになるでしょう。

ヨーグルトと食べると美味しいデザートになりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桑の実が病気

2019-06-04 | 日記

こんにちは

 

山里は薄曇り。

 

蒸し暑いです。

 

いつの間にか六月ですね。

 

六月といえば家では桑の実のシーズン。

 

桑の実は紫色の果実でポリフェノールを大量に含んでいることから

 

最近はマルベリーという英語名で、アマゾンや楽天でも売っているそうです。

 

家人はここへ移り住んだ時から桑の実が大好きで、毎年毎年

 

桑の実のジャムを作り続けてきました。

 

家の裏に生えている桑の木も大木になっています。

 

ところが、二、三年前から大好きな桑の実が病気にかかってしまいました。

 

菌核病です。

 

菌核病というのは落下した桑の実を住処にして繁殖するウイルスがもたらす病気で、

 

このウイルスが蔓延すると桑の実が白く固くなって死んでしまいます。

 

 

病気のことを色々と調べてこのことを知った家人は

 

その日から病気に対抗する作戦を色々と考えていたみたいです。

 

一時は頭の中が桑の実の事ばかりという時期もありました。

 

その結果、落下した桑の実を核にして育つキノコの存在を知ると、

 

今度はそのキノコをどう退治するか、に頭をひねったのです。

 

一度ブログの記事にしたこともあるキツネノワンという名前の小さな小さなキノコです。

 

そいつは春先の桑の木に花が咲く頃に、胞子を飛ばし、

 

それが花の蕊に付着すると病気になってしまいます。

 

そこで家人は考えました。

 

胞子が飛ぶのは花の時期だけだと言います。

 

病気にして仲間を増やしたいのでしょう。

 

ウイルスも考えますね。

 

この時期を切り抜ければ健康な実が取れるのではないか、と家人は言いました。

 

ではどうやってこの飛沫するキノコの胞子を避けたらいいのか?

 

それが問題でした。

 

農薬を使わずにこの問題を解決するために

頭をひねり尽くした家人の口から出てきたのは思いがけないものでした。

 

それは地面を塞ぐ、というアイデアです。

 

なに?

 

地面を塞ぐ?どうやって?

 

ビニールシート?

 

ノーノー、それは違います。

 

いつも行く材木屋で薄板をもらってきてそれを並べて地面をカバーするのだ。

 

彼はそう言いました。

 

はー?

 

板を並べるのかい。

畑に板をね。

 

目が点になりました。

 

キツネノワンというキノコは桑の木の下にしか生息しないのだから

 

木の下に板を敷き詰めて胞子が上に飛べないようにする、というのが計画の骨子のようでした。

 

とてもシンプルなアイデアです。

 

私にはとても想像できない計画です。

 

ちょっと信じられないほどシンプルです。

 

そう来るか?のレベルです。

 

なぜ木の板であってビニールシートではないのか?

 

それに対しては、自然素材なら万が一そのまま放置しても問題ない、

 

そのうえ木の板なら知り合いの材木屋からタダで手に入る、というのが答えでした。

 

私はとても納得できませんでした。

 

第一それで塞げるほどキノコは甘くないでしょう。

 

じゃ、どうしたらいいかと聞かれれば、切るしかないと答えます。

 

こう書きながら「一人で死ね。。。」問題が頭の隅をかすめました。

 

 

死にたければ一人で死ね、冷たい言葉かもしれません。

 

私が感じることは

 

死にたければ死ねばいい、という言葉は誰かのコメントで言うべき言葉ではないのです。

 

その言葉は、死にたい、と口にした本人が目の前にいるときに

 

直接吐かれるべき言葉です。

 

そんなに死にたければ死ねばいいと、

 

あなたが死んだら私はどんなに悲しいかを心の震え、言葉の強さ、身もだえて泣きながら叫ぶ

あなたを愛する人の声のもたらす振動。

 

その臨在だけが魔力をもたらせることのできる種類の言葉です。

 

軽々しく他人事のように

 

感情的に口にする言葉ではありません。

 

 

話がだいぶ逸れました。

が、 

いっそのこと桑の木を伐採して新たな場所に植え替えるのがいいと思うのです。

 

残念ながらその場所にはキノコの菌が育ってしまいました。

 

五年は汚染が続くとネットの情報にありました。

 

今年病気のみが落下すれば菌はまた広がります。

 

負の連鎖に巻き込まれてしまったようです。

 

話は逸れますが、

 

私が子供の頃は学校へ行く途中にあちこちに桑畑がありました。

 

まだメイドインジャパンの絹を生産していた時代です。

 

桑の木は絹糸を取るために蚕に食わせる餌でした。

養蚕農家は桑の葉を食べる芋虫を飼っていたのです。

 お蚕は割と大きな芋虫です。

母の実家が養蚕農家でした。

実家にいるときには時々二階から蚕が落ちでくる時があったり、

泊まると蚕部屋になっている二階から蚕が桑の葉をムシャムシャと食べる音が

ずっと聞こえていたのを覚えています。

蚕はお蚕様と呼ばれていて何より大事に育てられていました。

どうしてか?

だってお蚕様は繭を作ってくれる。

その繭はとてもいいお金になるのです。

新鮮な葉っぱをいっぱい食べて大きくなればなるほど繭の価値が上がります。

 

何しろ目方で取引される商売でしたから。

 

そんなわけで私の成長した町でも当時はまだ養蚕をする農家がありました。

 

そのあたりの桑畑の木は皆、ゴツゴツと無骨な格好でしたね。

夏の間に芽を出す枝葉を次から次へと刈り取って、

冬には丸裸。

切り取られた傷口がコブとなり桑の木独特の背が低く瘤だらけの姿を晒すのです。

 

そんなわけですから、

家人に比べれば桑の木に対する親近感はずっと深い私は

 

桑という植物がおそるべき生命力を持っていることを知っています。

 

毎年ほぼ丸腰に残って数本の枝がもう翌年には実をつけるので。、子供の頃は

毎年その実を摘んで食べたものなのです。

 

普通、桃栗三年柿八年などと言って実がなるまでにはそれなりの歳が必要ですのに、

 

桑の木は実をつけるのが早いのです。

 

あの頃、桑の実を食べるとお腹を壊すから食べちゃダメ、と言われた他、と記憶していますが、、

 

どうしてでしょう。

 

今思えば、あの頃から農家が農薬を使うようになっていました。

 

母の言うのは農薬がかかっているから食べないほうがいいよ、と言う意味だったのかもしれません。

 

もう母に聞くことはできないのが残念です。

 

とにかく、毎年切ってもその勢いですから新しく植えてもすぐに身が採れるようになるでしょう。

 

この菌がなくなるまで五年待つより早いと思います。

 

しかし一度自分の頭の中で建てた自説が正しいか、否か。

 

納得するまでやりたい性分の家人です。

 

ここは人の意見など聞くものではありません。

 

この春、実際に私たちは一本の桑の木の下に板を敷き詰めました。

 

そのあと、もう一本の大木の下で実際にキツネノワンが生えているのを見つけ、

 

慌てて耕運機で土をかき回しキノコを虐殺する方法に打って出ました。

 

大量破壊行為です。

 

動物愛護の精神の強い人ですが、自分の好きなもののためには戦います。

 

本当かよ?

 

とりあえず自分なりの努力を惜しまずする人なので

 

頼まれたことには協力しようとは思っています。

 

馬鹿馬鹿しいなと思いながらも。。。

 

しかし、この奮闘も虚しく

 

やっぱり今年も

病気にかかってしまいました。

 

桑の実が採れないと桑の実染めもできないじゃんね。

 

それつまんない。

 

 

でもね。

家人は今までいっぱい実をつけてくれた桑の大木を切るのが忍びないのです。

 

できれば木は切りたくないのです。

 

そのように、木に愛情を感じているのでなかなか切れませんの。

 

なんとも切ない六月です。

 

どうしたものでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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