tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

愛着という呼び名と解決

2023-02-04 17:23:40 | 物に悩まされない生活

 先日ふと思い立ち、小さなお片付けを始めた。

 家の中の細々としたもの、何となく気になっていたもの。そのうちやろう、片付けようと思っていて、しかしそのままでも特に困らないくらいのもの。

 

 例えば、登録しようと思ってしていない、新聞のビューワー(スマホで紙面を見られるらしい)。壊れたり使わないので処分しようと思っていた小型家電幾つか(具体的には体重計、毛玉取り器、洗濯機の風呂水ポンプ)。昔自分で編んだニット帽とマフラー(もう使わないので何年も処分待ち)。後でチェックしようと思っていて高度を増す紙の山。穴が空いたので繕おうと思っていたポケット。実家から持って来たまま開けていない思い出の段ボール。4枚だけ残ってしまった2円切手(これは姉に手紙を書くことで解決)。何故そこに置いているのかよく分からないまま、毎日そこに戻してしまう洗濯干し用具(これは置き場所の問題)。何年も使っていない、大きめの食器(微妙にかさばる)。籠に入れっぱなしの裾上げ待ちズボン。ある日壊れたノートパソコン(予兆はあった)。読みかけの本。全然読んでいない本。

 新しく買おうと思っていた毛玉取り器(これはアマゾンで注文済)。

 この感想を書きたい!と思って、書いていないブログ。

 映画館からつい持ち帰り、保存するでもなく保存された映画チラシの束。

 電池の切れた電卓。

 5個あるホチキス(壊れていない)。

 部屋の隅の夏用の帽子。

 捨ててよいか旦那に訊こうと思っていた、使っていないマスクケース。

 

 思えばどうしてそのままなのか。そのままを嫌がりながら、いざとなると実は居心地の良さも感じる。何となく愛着のある、あれこれの物、あれこれの状態に、よく見たら囲まれている。「これは何?」。

 そうこうしていたら、全部特に意味の無い、どうであってもどうでもよいような気がしてきて、ぐるっと一周回って、全て完璧とくつろごうとしている今日。

 

 とは言え、幾つか変化、解決出来た物事もあり、小さな満足も感じている。

 

 実は新しく、簡単な棚を一つ買おうかとまで考えている。模様替えをしたくなっている。細々としたことを愛着という呼び名で解決とし、大きな楽しみに方向転換しつつある自分を、夕闇に包まれつつある部屋に見出している。

 今日はちょっと暖かいな。

 

 ※写真は二十年前位に自分で編んだ帽子とマフラー。写真を撮ることで処分に成功。


自己満足について

2020-07-31 22:05:37 | 物に悩まされない生活
 今さらだけど、自己満足って何だろうなという話。


 自己満足が否定的に語られるのは、他との関係性が抜けている(ように見える)からだ。

 けど、他人を満足させられたと思ったその時、人は自分にも満足してるんじゃないだろうか。
 雇客や、雇用主や恋人の期待に応えられたと思ったその瞬間、そんな自分に満足してるんじゃないだろうか。


 逆に、他人の評価だけで、そこに自己満足がちっともないとしたら、どう考えてもそれは不自然。何かおかしいし、多分長続きしない。

 ついでに、自分が満足していないなら目の前の他人だって、本当に満足しているか怪しいもんだ。
 自分の消化不良をよしとするなら、他人の消化不良もよしとしている可能性が高い。


 そう思うと、客観性がないと否定される自己満足も、案外重要に思えてくる。

 他者満足が先か、自己満足が先かと言えば、自己満足が先のような気がしてくる。
 自分の満足が分からないなら、他人の満足も分からないだろう。


******
 お腹いっぱい何かを食べても、そのうちお腹が空いてくるように、満足という感情だって、そんなに長くは続かない。

 だとしたら、瞬間、瞬間、徹底的に自分を満足させてあげたらいい。
 逐一、満足させてあげたらいいと思う。
 他だけを見て足元をすくわれないように、毎瞬、毎瞬、力の限り、自分を満足させてあげよう。


 案外あるのは、自己満足を他人に押しつけるという荒技。笑
 まあそういうことも、あるかもしれない。
 ただその場合、大抵の他人は、愛情たっぷりに断ってくれるか、苦笑いして受け取ってくれるか、拡大解釈をした上で喜んで受け取ってくれるだろうから、大丈夫。

 そう思うことにしよう。


 全ては自己満足ありきだ。
 まずは、自分をとことん満足させてあげよう、全力で。

あれはあそこに置いておこう。

2020-07-20 15:50:19 | 物に悩まされない生活
 天気が良くて、目の前の仕事をとりあえずほぼ終えて、気分は穏やか。

 最近は、やらなくちゃいけない事はなるべく午前中に終えて、午後からはやりたい事だけすることにした。
 と言っても線引きがはっきりせず。やらなくちゃいけない事の中にも、やりたくてやる事と、面倒だな~と思いながらやる事があるので、ここの仕分けは大切。

 
 やりたくない(と感じる)けど、やらなくちゃいけない(と感じる)事。

 追々、これをどうにかして行こう。

 方法。

1.やりたいと思えるやり方に変える。
2.やりたいと思う理由を見つける。そもそもどうしてそれをしているのか、どうしてしなくちゃいけないと思ってるのか、理由を忘れてるかもしれない。
3.やめる。


 案外、やらなくちゃ!と思ってることも、やらなくても大丈夫だったりする。
 他の方法を考えてみると、案外それで回ったりする。

 一番良かったのは、「物に悩まされない」と決めたことかな。決意すると結構気が楽になって、あれやんなくちゃと思った時に、「いやいや、そういう事に悩まされないから。」と余裕で言えるようになった。

 例えば、座っている1メートル先にゴミが転がっていても、「あれはあそこに置いておこう。」と余裕で言うことができる。そんな午後。

下々のモノ

2020-07-05 15:11:53 | 物に悩まされない生活
 さて。

 物に対してジャイアンになる、と決意したはいいけど、気がつくと「あれしなくちゃ、これしなくちゃ」になっている。

 ゴミ捨てなくちゃ、台所片づけて、洗濯しないと!、などなど気がつくと、物に振り回されている。

 生活の基本に関わる事はやらなきゃ仕方ないんじゃないの?という意見もあるかもしれないけど、私は嫌だ。
 嫌というより、出来れば根本からごっそり解決したい。
 

 それで、より優位に立つべく、ジャイアン化より更に一歩踏み込んで考えてみた。


 そうだ、「下々のモノ」だ。



 目の前に今、広がっている世界(部屋)を見渡してから、「これ、全部、下々のモノ。」と言ってみる。殿様気分で。めちゃめちゃ上から。

 そうしてからおもむろに、「よしよし、苦しゅうない。どれ、今日はわたしが面倒みるとしようかな。ふぉっふぉっふぉ。」と、洗濯機を回してみる試み。

物が多い、物が少ない

2020-06-28 22:33:54 | 物に悩まされない生活
 さて私なりの新しい生活様式。目指すは「物に悩まされない生活」だ。


 「物に悩まされない生活」と言っても、とてもアバウトなもので、たとえば家中に物があふれかえっていても、気にならない人には気にならない。

 え、何で?

 と思うかもしれないけど、別に不思議はなくて、その「物」たちは、その人の管理下にないからだ。
 管理下になければ、意識の中にも入って来ない。
 逆もまたしかり。
 意識上になければ、管理しようとも思わない。

 それで言うと、他人の家や旅先の市場のあふれんばかりの「物」たちは、自分の意識の自由な広がりを、決して邪魔するものではないのである。
 究極を言えば、その瞬間、その瞬間、意識がゴツゴツと何かにぶつかったりせず、自由にのびのびとあれば、それで良い。

 それが「物に悩まされない」というイメージ。


 ただやっぱり身の回りに物が多いと、動きが不自由でぶつかったり、探し物をするはめになったり、色々気にもなるので、私は物は少ない方が良い派。

 (残念ながら私には、目の前の「物」から完全に意識をはずしきるという集中力を、持続し続けることは出来ない。)


 だったら、必要最低限、物が少ない方が良いかと言うと、こだわり過ぎると、それはそれで気に病むこともあるかもしれない。

 だから、物は多くても、少なくても、まあどっちでも良い。
 ちょっと多いかなと思ったら処分したらいいし、持ってることを楽しむ余裕があるなら、楽しめばいい。そう言っちゃったら、元も子もないけど(笑)

 意識が自由に飛び回り、広がり、楽しんでいる状態。
 あと、体の心地よさ。
 それが、自分にとっての「丁度良い」。
 本当の問題は、物量じゃない気がする。


 結論。

 「物に悩まされない生活」とは、「丁度良いの発見の旅」だ。
 
 物量の調整も大事だけど、それとともに、常に「丁度良い」を発見し続けるという能力を、ここで身につけよう。






物に悩まされない生活

2020-06-15 11:14:11 | 物に悩まされない生活
自分はどんな生活がしたいのかなと、理想の生活をふと考えてみたところ、
「物に悩まされない生活」がしたいなと思った。

コロナは関係ないので、いわゆる「新しい生活様式」とはちょっと違うかもしれないけど、
まあ自分なりに新しい生活様式なのである。


ミニマリズムに似てるかもしれないけど、多分ちょっと違う。
(そもそもミニマリズムをそんなに知らない。)

物が多くても悩まない、物が少なくても悩まない、それが理想。



「好きな物」「心地よい物」だけを残すというのは、お片付けのセオリーだ。

かのウィリアム・モリスさんは、こう言っている。
「役にたたないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない。」

ただしですよ。よく見てください。

that you do not know to be useful or believe to be beautiful

自分英語は全然堪能じゃないけど、言ってるよね。
ノウって、ビリーブって。

「役に立たないもの」ではなくて、「役に立つと(自分が)思わないもの」、
「美しくないもの」ではなくて、「美しいと(自分が)思わないもの」と。



全て自分で選んでいい。

別にモリスさんの言うことを聞く必要はないけれど、
達人の足跡を追うとしたら、
注目すべきは、「自分で選べ」なのである。

「誰かにとってだけ」役に立つもの、「誰かにとってだけ」美しいものは、
自分にとっては不要である。

モリス師匠はそう言っている。多分。

もちろん、誰かにとっても自分にとっても、というものはあるけど。


この地球で人間として生活していれば、
最低限の衣食住は必要で、そこから物とのつきあいが始まる。

先祖代々、私たちは色んな物を所有してきたけど、
ラッキーだなと思うのは、
今の時代、すっごくミニマルですっごくシンプルな形で、
快適な生活が出来てしまうということだ。

物だけではなくて、
社会通念や社会システム、個人の考え方も、
シンプルになって行ってるのかな。

あれをやらなければいけない、これをやらなければいけない、
もどんどん減ってくるんだろう。

ああでなければならない、こうでなければならない、
もどんどん減ってくるんだろう。


今の自分にミニマルに。
自分じゃない誰かを肩からはずそう。

ということで、「物に悩まされない生活」第一日目。