tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『かぞくのくに』

2013-06-26 20:38:50 | 映画-か行
 旦那がDVDを借りてきてくれたので、観た。

 こうゆう映画って、ちょっと観るきっかけが難しいんじゃないかと思う。
 なんでなら、家族という普遍的なものを描いているようでいて、やっぱりその状況は特殊だと言わざるを得ない。かと言って、文化的なことや政治的なことを描いているわけでもない。

 映画自体は、普遍的な、普通の家族を描こうとしているように見えた。そしてそれは少なくとも私に関しては、とても成功しているように見えた。

 観るきっかけが難しいというのは、簡単にカテゴリーにくくれないということだ。

 
 在日朝鮮人や集団帰国のことを描いている映画はある。ただ何か派手なもの、「境界」や「越境」を見せるのではなくて、ただここに、そこに暮らしているということをベースに、そこから決して離れない映画は、他にあまりないんじゃないかということだ。私が知らないだけという可能性を脇におけば。
 この映画は特殊だと思う。

 ここには日本国籍の日本人はほぼ出て来ない。在日か、在北朝鮮かという差異さえ、実はそう大きなものではないよう。描かれているのは、「人の力ではどうしようもない、運命のようなもの」と、「それに挑むもの、希望」という、それぞれ普遍的なものだ。ただそれが現れ出る過程が、表される過程が、とても特殊なのだ。
 カテゴリーにくくりずらく、観るきっかけが難しい。誰かに「どういう映画だった?」と聞かれたら説明しずらいけど、どうしよう。

 ヤン・ヨンヒ監督、2012年、日本。

   
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『汚れなき祈り』

2013-06-24 19:50:01 | 映画-か行
 クリスティアン・ムンジウ監督、2012年、ルーマニア・仏・ベルギー。

 2005年にルーマニアで起こった「悪魔祓い事件」を題材にした作品で、事件の舞台は丘の上の修道院。

 色んな人たちと色んな場所が、ほぼ同じトーンで描かれてた。
 なんでそんなことをあえて思うのかと言えば、まるで隣同士のような近い場所に、信じるものが全く違う、世界の違う人たちが普通に暮らしているからだ。その中で丘の上だけが切り取られてるんじゃなくて、民家も、病院も、薄いイコールで繋がっているように見えた。そこには、お互い行き来することの不自然さが全くない。だから、それが不思議。

 そんな中で行きあぶれてしまったのは、アリーナ彼女一人なのかもしれないな。
 どうして言葉にできなかったんだろうと、それが悔しいような、哀しいような。「普通の言葉でしゃべって!」と怒鳴った時の命綱から手を滑らせたかのような焦りと苛立ちが、思い返すと哀しい。

 草を踏み、雪を踏んでいく、修道院への丘を上る道のりが、とても美しかった。

   



 


『ビル・カニンガム&ニューヨーク』

2013-06-22 22:01:51 | 映画-は行
      

 この監督は、もしかしたらすごいんじゃないか。

 すごいというのは、えらく好みの監督なんじゃないか、ということだけれど、それは「個人的に」でもないらしい。ニューヨークの一館のみでの上映が、「またたく間に感動の輪が広がり、(略)全米で異例の大ヒットを記録した。また上映された世界各地の映画祭で、多くの観客賞を受賞した。」とパンフレットに書いてある。

 リチャード・プレス監督、2010年、アメリカ。

 NYタイムズ紙のファッション・コラムを担当しているニューヨークの名物フォトグラファー、ビル・カニンガム氏を追ったドキュメンタリー。
 制作期間は、10年ということ。監督曰く「ビルを説得するのに8年!撮影と編集に2年かかったということです。」


 観客賞を受賞したのは作品だけれど、投票した観客たちは、おそらくもう一方の手に見えない票を持っていて、それをビル・カニンガム氏に投票したんじゃないか。
 
 こんな人がいるんだな。
 カニンガムさんの後を追うカメラを見ていれば、自然とカニンガムさんの視線を借りるようなことになり、「透明人間」のさらに後ろにいる透明人間になった気分。色んな場所や色んな社会階層を行き来して、ファッションそのものを、カニンガムさんは切り取って行く。公平なジャッジ。美意識。そのための努力や思考、なにより情熱は並大抵ではなくて、自分の情熱を守り通す強さと、あの素晴らしく人懐こい笑顔はなぜ両立するんだろう。「喜び」だ、って言ってたけど。

 毎週日曜日は教会に通っているという。
 ただその場面は映画の中には映っていなかった。毎週だというのに。「あなたにとって宗教とは何ですか?」と聞かれ、急にだまって下を向き、しばらく経ってからカニンガムさんが顔を上げた時、なんだかどきどきしてしまった。こうやって、一つ一つのことに誠実に答えを出してきたのかもしれないな。
 カニンガムさんの切り取る世界は、一つの物語にもなっていて、その物語を解き明かすためのヒントを紡ぎ上げたこの映画は、やっぱりとても面白くて複雑な映画のように思う。
 あ、途切れることなく登場する、おしゃれびとたちのオシャレもとても楽しかったです。


   

 

『ニックス・ムービー -水上の稲妻』

2013-06-21 10:38:24 | 映画-な行
 予告で、ニコラス・レイ監督の特集がありますというのを見て、観に行くことに。

 『理由なき反抗』以外にニコラス・レイのことはまったく知らないけど、予告に出てきたおじさん(おじいさん?)がやたらと面白い。

 何だろう、この悲壮感というか大げさ感というか。
 予告は、長編遺作の『We Can't Go Home Again』と、妻のスーザン・レイによるドキュメンタリー、『あまり期待するな』だった。

 あまり期待するな、とは、NY大学の教授をしていたニコラス・レイが学生に言った、「教師にあまり期待するな」という言葉から取ったらしい。こうゆう身もふたもないというか、卑屈というか、妙に醒めたというか、そんな言葉にがつんときた。しかもなぜか堂々としてる。
 なので、タイトルを聞いただけで、感嘆と共に笑ってしまう。他には、ブコウスキーの「勝手に生きろ!」とか、「塵に訊け!」ジョン・ファンテ、とかね。どうして!がつくんだろうか。期待するな、にはついてませんけども。

 とにかく、このおじさんは面白い。(と思う。)

 『ニックス・ムービー -水上の稲妻』(1980年)は、どうだったかと言うと、こちらはニコラス・レイと、若き友人ヴィム・ヴェンダースの共同監督で、ニコラス・レイを撮ったドキュメンタリーだ。癌の闘病中で、死の間際のニコラス・レイ。そのニコラス・レイを主人公にして、フィクションとノン・フィクションが入り混じる。

 撮影がしばらく進んだ頃、ニコラス・レイが、突然、ヴィム・ヴェンダースにキャラクター設定を提案する。

 「音楽家で、第一線からは遠のいていて、…うんぬんかんぬん」

 ヴィム・ヴェンダース、「どうして音楽家なんだ?それは君とは違うよね?君に、君自身として、出てもらいたいんだ。そうだよね?」

 「分かった。」

 
 当時34歳のヴィム・ヴェンダースに一刀両断される、ニコラス・レイ67歳。

 こうゆうシーンが印象的で面白いと言うのも、ちょっとどうなのかなとも思うけれど。
 ニコラス・レイに、ねじれたユーモアを感じて、惹きつけられるのかも。

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『ロシュフォールの恋人たち』と、『シェルブールの雨傘』

2013-06-19 20:01:54 | 映画-ら行
 早稲田松竹にて、二本立てで観る。
 こんなに楽しいとは!遅れてしまってバタバタとチケットを買い、そうっと劇場のドアを開けたら、すでにスクリーンは宝箱の世界。スクリーンの端から端までがすべてきらきらと輝いて、色と音と街が現われては消えて行った。一瞬たりとも見逃せないので、カメレオンのように目を左右に動かしながら見つめる。

 『ロシュフォールの恋人たち』をまず観てから、次は『シェルブールの雨傘』。

 始まりの、港町の広場を真上から見下ろし、色とりどりの傘が左右上下に行きかう。クレジットと共に入って来ては通り過ぎる、もはやそのしょっぱなで、胸がいっぱいになって「I love you! I love you!」と叫びたくなってしまった。Je t'aimeの方が適切かもしれないけど。セリフがすべて歌になっていた。胸がいっぱい。

 カトリーヌ・ドヌープも、実姉のフランソワーズ・ドルレアックもきりりとして美しい。ただ、不思議なことにドルレアックは年齢よりも少し老けてみえた。監督の魔法の中では色んなものが、色んな風に見えるのかも。少し生生しいような、それもまた完璧具合をさらにあげているような気がしないでもない。

 双方とも、ジャック・ドゥミ監督のミュージカル。

 『ロシュフォールの恋人たち』、1967年、フランス・アメリカ。
 『シェルブールの雨傘』、1964年、フランス・ドイツ。音楽は共に、ミシェル・ルグラン。もちろん有名なので聴いたことのあるものもあったけれど、音楽がまた素晴らしいのでした。

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ロバート・キャパ 『ちょっとピンぼけ』

2013-06-14 07:36:07 | 
 冒頭のニューヨークでの場面から、ぐんぐん惹きつけられて、読むのが面白くてたまらなかった。

 キャパの人柄と、明朗闊達な文章があいまって、とても明るい。それからニューヨークからロンドン、北アフリカ、イタリア、パリと、戦争の前線をめぐり、極限の悲惨さと緊張を鼻の先にして、戦争の一隅に針のように刺されるのだ。

 訳者あとがきによれば、ロバート・キャパは、本名はアンドレ・フリードマン、1913年にハンガリーのブタペストに生まれる。
 ユダヤ人であり、祖国独立の後17歳の時、思想的な理由で国を追われる。ベルリンでトロツキーを撮った写真が初めて世に出た後、再びナチスの台頭そしてユダヤ人追放により、今度はパリへ渡る。
 パリでは生活資金は底をつき、商売道具のカメラも手放すことに。友人である日本人芸術家のアパートに転がり込むが、その時キャパを迎え、朝夕の生活を共にした親友が、この本の訳者でもある川添浩史、井上清一の両氏だった。

 1954年、キャパは41歳で亡くなる。インドシナ戦線でフランス軍のジープに乗っていて、地雷に触れた。

 この本では、第二次世界大戦、1942年の夏から1944年の春までの間の、キャパや自身の周囲の兵士や戦場の様子が、そしてピンキィという女性との恋が、語られる。写真論のようなものは一切なく、全てが、酒と賭博が大好きな、そしてキャパ個人の視線によってつづられている。

 キャパは、動いてるものが好きなようだ。

 敵国人でありながら、アメリカ軍属の報道写真家として、身分証明書を手に入れるために、または失わないために、船から船へ乗り移り、落下傘で降下し、銃弾の間を這い、泳ぎ、また大陸から大陸へ、島から島へと自身もひっきりなしに動き回る。
 仕事でもあるけれど、祖国を追われヨーロッパを追われ、「ハンガリー人であるような、ないような」キャパにとって、動いているということが何者であるかの証明のようなものだったんじゃないかと、思えなくもない。自由のはずがない身分と戦乱の中で、キャパはあらゆる知恵と明るさと冷静さと、運命を持って、「戦場カメラマン」としての自分を動かして行った。
 それだけと言えば、それだけだ。
 陽気で率直で勇敢で、決してあきらめないキャパ。焦りや恐怖、悲しみは、どこにしまってあるんだろう。
 すぐにしまってしまうので、どこにあるのか分からないけど。

 静かなるもの。静止したもの。それはようやく再会した入院中の、療養中のピンキィだ。キャパはベッドに貼り付けられた彼女にも、彼女のいないロンドンにも耐えられない。そしてノルマンディ上陸作戦について行くために、そのような理由で、キャパはロンドンを去った。


  抜き書き。

 「やがて、よく気をつけて見ると、みんな、ある一つの兵舎に向かってゆくようなので、私もその方向にしたがうことにきめた。私は、クラブ・ルームに入り絶望的な気持ちで、誰かが話しかけてくれないものかと希った。すると、バーの後ろにいた一等兵が、私に何を飲むのかときいてくれた。私は有難い思いで、みなさんと同じ生ぬるいビールを注文した。私の側にいる若い飛行士、__有名な“空飛ぶ要塞”のヨーロッパ一番乗りの連中は静かで、しかも、おとなしそうであった。彼らのうちのある者は、アメリカの古雑誌を読み、また、ある者はひとりぼっちで、綿々たる手紙を書いていた。唯一の活気は、まわりに群がった連中の背中で隠されてはいるが、部屋の中央の大きなテーブルの上にあるらしかった。」 (p.48 Ⅲ/われ君を待つ より)

 この後キャパは、ルールも分からないトランプ・ゲームに飛び込み、でたらめにぼろ負けしてから、兵士たちの写真を撮る。うちとけたのだ。そしてこの爆撃機隊の、出撃を待つ幾日かの間、ポーカー仲間として過ごす。
 まだまだしょっぱなの、この部分が好きだ。小さな小さなエピソードだけれど、なぜか好きだ。

 「 彼は 私たち家族のものを 友達として扱い ― 友達たちを 自分の家族ときめこんでおりました」

 弟であるカーネル・キャパの言葉の通り、本書のすべての頁にキャパの魅力があふれている。タイトルだって、とぼけている。読み終えた後、キャパがとっくにこの世にいないことを思って胸が切なくなる。
 1956年、ダヴィッド社。文春文庫版は1979年。


   ちょっとピンぼけ

『ロマン・ポランスキー 初めての告白』

2013-06-13 21:04:46 | 映画-ら行
 ロマン・ポランスキー監督に、旧友でありビジネス・パートナーである人(製作)がインタヴューしながら、そこに様々な時代の映像が重ねられていく、ドキュメンタリー。とても面白かった。

 ポランスキー監督の映画はわりと観ているけれど、実は好きなのかどうかもよく分からない。

 心理劇が多いから、私にとってつかむのが難しいせいかもしれないし、それにしてもラインナップだって、わりと多様だと思うのだ。孤立した空間での心理劇、というテーマを色んな角度から繰り返し描いている、と言えば、そうなのかもしれないけど。それでも色んな風味があって、なんだか複雑な心境になる。

 ポランスキーさんの人生の来歴が、複雑な、プリズムのようなものを、生み出させているのかもしれないな、と思った。


 
 パンフレットを読んでいたら、この企画を思いつきインタヴューをした、アンドリュー・ブラウンズバーグさんが語っていた。
 「一緒にいると楽しいですね。愉快な男で。(略)知識を渇望していて、学ぶことに没頭するのです。車のエンジンがどうやって作動するのか尋ねたら、エンジンの部品を一つずつ描きながら説明してくれますよ」。

 だから、もしかしたら、ポランスキー監督の頭の中では、人の感情や感覚もエンジンの部品のように一つ一つ明確に形をもっていて、複雑な仕組みから「ほら」と取り出して見せられるようになっているのかもしれない。なんて思ったり。
 ローラン・ブーズロー監督、2012年、英・伊・独。


『テッド』

2013-06-12 20:46:47 | 映画-た行
 火曜日が映画サービス・デイなのもあってか、終わってから振り返ると、高校生男子の集団が見に来ていた。制服を(映画館で)見慣れないので、ちょっとびっくりした。さすがはお下劣クマ。人気なんだなあ。面白かったのかしら。

 それにしても、クマの動きが自然だったなあ。全然CGに見えない。糸でつってるようにも見えないけど。自分が昔から持ってるぬいぐるみの地に似ている。と、観た人は思ってると思う。

 お下劣ネタがお下劣過ぎて、笑えた。クマだし。
 『フラッシュ・ゴードン』が何たるか知らないし、知りたいとも特に思わないけど、ストーリーはわりと巧妙に出来てる映画なんじゃないか。主人公とテディの殴り合いの真剣さには引き込まれた。
 危うく流れ星に祈りそうになる。

 「クマを喋れるようにしてください」じゃないことだけど。

 セス・マクファーレン監督、2012年、アメリカ。面白かった。次回作が決まっているらしい。すごい人気ですね。また観に行こっと。

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『ワン・プラス・ワン』

2013-06-10 20:17:21 | 映画-わ行
 ジャン=リュック・ゴダール監督の、1968年、ドキュメンタリー映画。イギリス。

 ローリング・ストーンズが、スタジオで新曲「悪魔を憐れむ歌」のレコーディングをしている。1カット1シーンで、今度はブラックパワーなる黒人闘士たちの様子。こちらはフィクション仕立て。そしてレコーディング。それから…。
 レコーディング風景が面白かった。なにしろずっと撮っているから。

 これはドキュメンタリーなんだろうか。すみずみまで、時代の意識なり、ゴダール監督の意識に満たされている。

 ラストシーンが極めつきだ。
 砂浜で、何かの撮影をしてるんだろうか。撮影用のクレーンが高く高く昇って行く。空と海に包まれ、これからどんなシーンが撮れるんだろう。冒険が始まるんだな、と思った。



  
  ワン・プラス・ワン ブルーレイ [Blu-ray]

『CUT』

2013-06-05 21:54:07 | 映画-か行
 以前、同じ監督の、『駆ける少年』というのを観たけど、そっちの方が好きだな。あちらは劇場で、こちらはDVDで観たので、もしかして劇場で観てたら違う印象かもしれないけど。

 どちらも、すごくエネルギッシュだ。エネルギーに直に触れたいという感じ。そこのところは似ているけど、何にしても、殴られ続けるのはやっぱり閉塞感があるような。アミール・ナデリ監督、2011年、日本。



 最近、スピルバーグ監督の87年作品、『太陽の帝国』のジム少年が、クリスチャン・ベイルだったことが分かって嬉しい。
 あのかすれ声は印象的で、記憶の彼方に飛んで行った少年が、元気だったことが分かったような幸せ。そう言えば、目元に面影がある気がする。