tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『はじまりへの旅』…少しコミカルで、切ない父の話

2022-10-17 02:26:01 | 映画-は行

 『はじまりへの旅』、マット・ロス監督、2016年。119分、アメリカ。原題は、『Captain Fantastic』。

 

 

 キャプテン・ファンタスティック。

 強権的に見える父親だけれど、実は言動のほとんどは、妻と子供達への愛が動機となっているのが分かる。

 

 森の中で暮らし始めたのも、そもそもは妻の治療の為だった。妻は産後に統合失調症を患い、彼らが拒否しているかのように見える、「消費社会」の病院に入院中だ。

 ある日、妻が病院で自殺をしてしまう。妻(母)を遺言に則って弔うために、一家は、アメリカ北西部、ワシントン州の森の中から、2400キロ離れたニューメキシコ州まで、水色のバス「スティーブ」に乗って旅に出る。

 この映画は、その旅と顛末を描いたロード・ムービーになっている。

 

 

 6人の子供達(上はおそらく18歳から下は5歳くらい?)の描写が素晴らしく、見ていて楽しかった。

 いわゆるホームスクーリングで父親によって鍛えられた彼らは、あらゆる知識を本を読むことで吸収し、またその知識を「自分の言葉で」解釈し、説明できるように訓練されている。十代で量子力学の本を読み込み、また全員が6ヶ国語を操る。(驚!)

 音楽教育も重視されているらしく、父親のギターに続き、子供達が次々にセッションに加わるシーンがある。この家族は音楽と親和性があるようで、音楽のシーンはとても温かい。

 そして子供達は日々の鍛錬によって、アスリート並みの体力も備えている。自給自足のため、狩りもする。勿論(?)格闘技も学んでいる。

 

 そんな、こちらの顎が外れるくらい人間としての強度を持った彼らだけれど、何と言うか、とても仲が良いのだ。

 互助精神が行き届いていて、小さな子をいつも誰かが見ているし、誰かが一人になることもない。

 

 

 映画は、四つの色合いに分かれていた。

 冒頭の狩りのシーンから始まる一つ目は、子供達を守り育て、強く厳しく、慕われている父親のベン。

 二つ目で、ベンの教えが相対化され始める。子供達にとって、初めての「下界」。子供達の前に魅力的な「何か」が現れると同時に、ベンの弱さが垣間見られる。

 三つ目は、ベンの世界が、さらに無力で陳腐なものへと突き落とされる。祖父母という、古き良き伝統社会の台頭。

 四つ目は、再びシャッフル。そして家族の団結。

 ただしそこから、イデオロギー的なものはすっかり抜け落ちている。生き生きとした子供達を見ながら、ベンは静かにシリアルを食べている。

 

 

 そう言えば、この作品の隠れたキー・パーソンは、アメリカの言語哲学者でアナーキストを自認する、ノーム・チョムスキーらしい。

 クリスマスを祝う代わりに、チョムスキー氏の誕生日を家族で祝うシーンは面白かった。プレゼントにも笑った。

 「アナーキスト」については、台湾のオードリー・タン氏が、易しい言葉で説明している。

__無政府主義とアナーキズムは、同じではありません。私が考える「アナーキスト」とは、決して政府の存在そのものに反対しているのではないのです。政府が脅迫や暴力といった方法を用いて人々を命令に従わせようとする仕組みに反対する。つまり、「権力に縛られない」という立場です。  (『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』より抜粋)

(タン氏もチョムスキーに大いに影響を受けたと言う。そして監督のマット・ロスもチョムスキーを敬愛しているらしい。ベンも大好き。大人気です(笑))

 

 

 この映画は、決して何かを批判したり、優劣をつけたり総括する映画ではなくて、ただただ、家族と自分の自由と幸せを願う、頑固で愛に溢れた一人の父親の話だと思った。複雑な感情を静かな演技で(そして派手な衣装で)見せてくれた、主演のヴィゴ・モーテンセンに乾杯を!ありがとうございました。

 ところでロス監督。全米たった4館の公開で始まったインディーズ映画が口コミにより、あっと言う間に世界へ広がり、アカデミー賞にノミネートされるまでに至ったのには、どんな気持ちだっただろう?

 そんな事あるんですね。

 

 

 第69回カンヌ映画祭、ある視点部門、及びある視点部門監督賞受賞。

 第89回アカデミー賞主演男優賞、第74回ゴールデングローブ賞最優秀主演男優賞(ドラマ部門)、ノミネート(ヴィゴ・モーテンセン)。

 

 

6人の子供達と、父親のベン↓強面にヒッピーチックな衣装。

猛烈な訓練により、体力筋力はアスリート並みの一家↓医者のお墨付き。

子供達の娯楽は読書。↓がんがん読みます。

お母さんの好きな曲は、ガンズ・アンド・ローゼズの「Sweet Child o'Mine」(1987) (『ソー:ラブ&サンダー』でも使われてた曲)↓


『世界の涯ての鼓動』…水で繋がる男女の話

2022-10-12 03:07:25 | 映画-さ行

 『世界の涯ての鼓動』、ヴィム・ヴェンダース監督、2017年、112分。独・仏・西・米合作。

 原題は、『Submergence』(水没、潜水の意)。ジェームズ・マカヴォイ、アリシア・ヴィキャンデル。原作は、J・M・レッドガード、『Submergence』。

 

 この映画が、たびたび失敗だと言われるのは、どうしてだろう。

 二人の男女の出会いは、短すぎたのだろうか。

 束の間の休暇での二人の出会いは、5日間だった。知的で哲学的な二人の会話からは「運命の出会い」は感じられず、少し説得力に欠けていたのかもしれない。

 ダニーは、生物数学者として、超深海潜水艇に乗る。ジェームスは、MI6の諜報員として、南ソマリアで連絡員と接触する。

 設定も少し、突飛と言えばそうかもしれない。

 

 けれど私は、この作品が「息をしていた」ように思った。

 絶望を吸って、希望を吐く。

 冒頭から変わることなく、乱れることのない呼吸を、常に感じた。

 

 

 二人のそれぞれの任務は、「誰も知りたくもないもの」、「解決出来るとも思わないもの」に向き合うという所で一致している。

 深海の暗い海底で生命の誕生を探ることが、人類を環境問題などの生存の危機から救うことに繋がると、ダニーは信じる。「けれどそんな真っ暗な海底の事なんて、誰も興味を持たないわ。」

 諜報員であることを隠しているジェームズは、頻発するテロのニュースをダニーに読ませる。「興味を持ち知識を持つことで、解決に寄与すべきだ」と言うが、今度はダニーは、「古代の紛争に根ざす問題に、解決法があるとは思えない」と言う。

 二人はそれぞれ、思考の「世界の涯て」にいるが、物理的にも、それぞれの場所へと移動する事になる。

 

 

 さて、「世界の涯て」で呼吸しているのは、誰?

 ノルウェーの未知の深海に、ヨーロッパに一隻しかない潜水艇で沈むダニー。

 諜報員として誰にも知られず、ISに囚われ、生死をさまようジェームズ。

 自身もじきに殺される運命と言うISの医者は「死を受け入れる」と言い、ISの兵士は、「ジハード(聖戦)は、死後の命だ」と言った。

 誰もが世界の果てで鼓動を打つ。見ている観客もまた、世界の果てで鼓動を打ち、呼吸をしている。

 絶望を吸い、希望を吐く。

 

 私はジェームズは生き抜いたんじゃないかと思っている。

 なぜならラストシーンの直前で、彼は希望を吐いたところだったから。

 その規則正しさにならうなら、ジェームズは波の下で爆撃をやり過ごし、保護されたのだと私は思う。ダニーが海底で輝く生命を目の当たりにし、そして危機から脱し、水面へ浮上したように。

 

 ヴェンダース監督は、暗闇と光、絶望と希望をただ繰り返すこと、そして詩的で哲学的な言葉のイメージで、泡沫のように離れては繋がる世界を描いた。

 孤独と熱望が、絶望と希望が、全編を通して静かに聞こえたように思う。

 今も誰もが、当たり前に息をしている。

 

 

__何びとも自立した孤島ではない。

  皆が大陸の一片であり、全体の一部をなす。

  何びとの死であれ、私の一部も死ぬ。

  私は人類の一員なのだから。

  ゆえに問うなかれ、誰がために鐘は鳴るのかと。

  あなたのために鳴る。

 

  (John Donne 1572-1631 「不意に発生することについての瞑想」より抜粋。劇中でジェームズが朗読する。)

 

 

二人が出会うのは、ノルマンディの海辺の小さなホテル↓

ヴィム・ヴェンダース最新作『世界の涯ての鼓動』予告編

 

 


『LAMB ラム』…ネイチャー・スリラーって何?

2022-10-09 00:12:11 | 映画-ら行

 『LAMB ラム』、バルディミール・ヨハンソン監督、2021年、106分。アイスランド、スウェーデン、ポーランド合作。

 第74回カンヌ国際映画祭、ある視点部門受賞。

 

 怖いのはちょっと苦手で観るか迷っていたけど、予告に釣られて観に行った。

 

 アイスランドの大地が、地に沿うような視点から撮られている。

 冠に雪を抱く山々。広がる牧草地。軋むような暗闇に、白夜。灰色の動かない空。

 横に動く霧。羊達の足元の泥。

 

 そんな景色を見ていると、「何か」が起こっても不思議ではないような感覚になる。とは言え、羊飼いの夫婦はいたって普通の生活を送っている。冒頭から「何か」の気配が近づくけれど、最後までそれは明かされない。

 アイスランドの大地と、扉を抜ける風と、唸り声。

 

 この映画をギリシャ神話の精霊サテュロスに結びつけ、「性と誕生の物語」と解釈する人もいた。説得力があるし、実際そうなのかもしれない。

 ただこのサテュロスは、人間を見向きもしないし、冷たく尊大な眼で世界を観察し、ただ己の摂理を成して行く。

 

 この恐怖の原因を大地のみに負わせるのは、どうも無理なのかもしれない。

 なぜなら並行して描かれる人間の思念。自然はむしろ、それを鏡映しにしているようなのだ。

 

 

 製作総指揮には、主演のノオミ・ラパスを始めとした沢山の名前があるが、ハンガリーの巨匠、『ニーチェの馬』のタル・ベーラの名前もある。

 ヨハンソン監督は、師であるタル・ベーラの名のおかげで資金集めがスムーズに出来たとも話している。

 カンヌで上映される数日前、完成作を観たタル・ベーラは、笑顔で「ハッピーだった」と言ってくれたそう。

 

 

 畏れ多いことではあるが、怖い映画を観て、笑顔で「ハッピーだった」と言える人に、私もなりたい。出来ることなら。

 2時間弱釘付けで、たっぷり引き込まれはしたけど。いや、怖いから。

 そう言えば、ゴーォォォという低音が響いた際、座っていた椅子が小さく震えた。

 4DXではないので、ただ振動が伝わったのだろうけど。

 

 

皆でサッカーを観ているのかと思いきや、ハンドボールだったシーン↓大興奮の3人。

子羊に反抗期はない。↓そうなのか?