tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『イニシェリン島の精霊』…仮面の下

2023-02-21 22:27:36 | 映画-あ行

 楽しみにしていたのに、何故かタイミングが合わず、昨日ようやく観ることが出来た。

 

 いや~面白かった。終始スリリングで、人間劇としてもとても面白かった。

 

 舞台も良かった。

 1923年、アイルランド本島の西側、アラン諸島のとある島(架空の島)。

 荒涼とした、何もない土地。海があるけれど、すぐ向こうに本島があり、内戦の音が聞こえ煙が見える。それくらいの海。

 しかしそこは近くて遠い、最果ての島。古代の匂いさえ感じさせる。うごめく人間以外は、古代ケルト人の頃から何も変わっていないんじゃないかとも思わせる。

 

 空々漠々とした景色の中、繰り広げられる人間模様は、まるで密室劇だ。

 ドミニクの言う通り、小学生のようでもある。でもそれが哀しくて、切なくて、ユーモラスで目が離せない。

(以下、ネタバレします。)

 

 前半は、どちらかと言うと絶縁を告げたコルムの方に、共感をしていた。指を切るなんて頭どうかしてるんじゃないの、と思いつつ、「お前に時間を奪われるのは、バイオリン弾きにとって大切な、指を失う事と同じくらい、苦痛なのだ。」と、その痛みを可視化して見せているのかなと解釈していた。

 ところが後半、ロバのジェニーが死んでから、様子が一変する。

 ナイスなだけでつまらない男のパードリックが、突如目覚めた。

 

 パードリックは、おそらくとても満足していたのだ。自分の人生と自分の生活に。なのに、妹が家を出て行き、コルムの指のせいで、可愛がっていたロバが死んだ。

 愛すべき平穏な日々を壊したのは、親友のはずだったコルム。お前だ!と言わんばかりに。

 

 そうなってくると今度は、「残りの人生を音楽に捧げたい。お前のくだらない話に付き合っている暇などない。」などと言っていた、コルムの生ぬるさが際立ってくる。

 いや、指を切っているから生ぬるくはないか。

 しかしシボーンのように、知らない土地へ、ドンパチ内戦をしている本島へと出て行く勇気もない。ナイスな男の仮面の裏も、見抜いていなかった。もしくは予測出来なかった。

 自分の指を切るなんて、言っちゃ悪いけど、何てロマンチックで、めめしいこと。

 

 

 マクドナー監督は、この映画の本意、観客へ伝えたかったことは絶対に言わない、と言っているそうだが、一つだけ、「恋愛の別れがテーマ」みたいな事を言ったそう。

 

 作品中でも、神父がコルムに尋ねている。「男を好きになったことはあるか?」コルムは険しい顔で否定した。

 でももし、そうだとしたら。コルムが「パードリックを思慕の対象として好きかもしれない」とふと思い、それを否定したかったのだとしたら。

 呑気で何も考えていないナイスなパードリックを遠ざけようとする理由の一つに、恋愛感情があるのだとしたら。

 

 それは、めめしくても仕方がないかな。仮面を付けていたのはコルムの方か。とは言え、やり過ぎだよね。メンヘラだわ。

 

 メンヘラ男とは別に、キーパーソンとして、精霊(バンシー)役とおぼしき、老婆が出て来る。

 ミセス・マコーミック。

 私は、要所要所に何故か出没するこの老婆が手招きをして、ドミニクを川に招き込んだんじゃないかと、踏んでいる(笑)

 

 ああ、もう一回観たいな。

 

 

 マーティン・マクドナー監督、2022年、イギリス。114分。原題は、『The Banshees of Inisherin』。

 コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン。

 第80回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(ミュージカル/コメディ部門)、最優秀男優賞(ミュージカル/コメディ部門、ファレル)、最優秀脚本賞(マクドナー)受賞。第79回ベネチア国際映画祭、最優秀男優賞(ファレル)、最優秀脚本賞(マクドナー)受賞。

 第95回アカデミー賞、9部門ノミネート。

 

 

潮風と生ぬるいエールビールを呑む二人↓(美味しそう。)

懐いてくるドミニクは、バリー・コーガン↓名役者揃いの本作。

妹のシボーン↓兄も呼び寄せようとするけれど。

劇作家でもある監督の本領発揮?↓二人には仲直りして欲しい・・。

 

 

 

 


『mid90s ミッドナインティーズ』…不自由から自由へ

2023-02-17 01:34:17 | 映画-ま行

 『mid90s ミッドナインティーズ』、ジョナ・ヒル監督、製作、脚本。2018年、85分、アメリカ。原題は、『Mid90s』。サニー・スリッチ、キャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ。

 

 「君と出会って、僕は僕になった」「たちあがれ、何度でも」

 ポスターの、この二つのコピーが、この映画のことをよく表しているように思う。

 

 俳優として活躍するジョナ・ヒルによる、初の監督作品。舞台は1990年代半ばのロサンゼルス。

 

 13歳のスティービーが、自分の新しい世界を見つけ、仲間に触発され成長して行く。

 1983年、ロサンゼルス生まれのヒル監督の、自伝的ストーリーかと思えば、そうでもないらしい。とは言え「あの頃」に向ける(少し距離を置いた)温かい眼差しと、生き生きとした描写が感じられらる。

 

 誰にでもある「あの頃」だが、作品の中の彼らはどうだろう?

 スティービーが「自由でかっこいい」と憧れる年上の少年達にも、それぞれ色々な事情があることが、次第に明かされて行く。

 スティービー自身もさんざんだ。思えば理不尽なその世界を懸命に生き、愛そうとするスティービーだが、世界はもっと広くバリエーションに富んでいるという事に気がつく。

 

 不自由から自由へ。

 不自由だったのは、スティービー自身の頭の中だった。成長するというのは、そういう事かも知れない。不自由から自由へ。不自由から自由へ。人生とはその繰り返しなのかも知れない。

 みっともない「あの頃」を、それでも愛し、楽しさを見つけ出し、それを原動力にして、次へ、次へと進んで行く。

 そのうち、不自由と感じていた世界も変わって行く。

 

 幼さは、十分に不自由の原因たり得る。体の成長も伴い、誰にでも訪れる一番の冒険という意味で、青春映画はやっぱり面白い。もしかしたら、好きな青春映画のベストワンかも。

 

 「お前が一番ひどい目に遭ってるな。」

 「そんな必要ないのに。」

 

 全編16mmフィルムで撮影。90年代の文化がふんだんに盛り込まれた。心が締め付けられるような感覚と、過ぎた時代への憧憬が入り交じる。

 

 

主演のサニー・スリッチ。↓撮影時は11歳だったとのこと。

スリッチ含め主な出演者は皆プロスケーター。↓初めての演技だった人も。

全米4館公開から、最終的に1200館まで広がったらしい。↓

 

 


『あさがくるまえに』…均等性と対比

2023-02-13 01:07:24 | 映画-あ行

 『あさがくるまえに』、カテル・キレヴェレ監督、2016年、104分。フランス・ベルギー合作。

 原題は、『Reparer les vivants』(生きている人々を癒やす、の意。英題は『Heal the Living』)。

 

 17歳の青年の脳死と、家族による臓器提供の決断。関わる医師チーム、移植コーディネーター、そして移植を受ける女性とその家族と恋人を描いた物語。

 

 どのシーンに登場する人も、皆主役に思えてくる。

 関わる者一人一人の心象が描かれる事で、複雑で込み入った「人生」(というもの)に光が当てられる。たった一日の、ある夜明けから次の夜明けまで。複雑で多様な人生ストーリーが、画面に即物的に映し出される、一つの心臓に集約されて行く。

 (動悸を打つ心臓とはこういうものか。比喩ではなく。)

 

 複雑な人生と、シンプルな命。それぞれの事情、心と対比するように、心臓は淡々と運ばれ移植される。冒頭のサーフィンのシーンは、シンプルさに含まれるんだろう。ただ夢中になって、ただ生きていることの美しさ。ラストシーンは、複雑さの味わいかな。切なさと、喜び。

 監督インタヴューによると、原作ではシモン青年のストーリーに重心が置かれているそうだが、この映画では、シモンとクレール(被移植者の女性)を同じ分量で扱いたかった、ということだった。

 この作品の語り口、淡々としていて、それが故に余計胸にせまる余韻の理由は、そうした均等性にもあるのかもしれない。

 何かを声高に語らないように。だって本当はシンプルだから。

 

 

 分子生物学者福岡伸一さんの、「動的平衡」を思い出した。

 先生は仰る。「生命現象とは、動的平衡だ。動きながら平衡を保つ現象。生命は、変わらないために、変わり続けている。(エネルギーは循環しているが故に)私たちの細胞は、この風に揺れる葉っぱだったかもしれないし、死んだ後この葉っぱになる可能性もある。」

 うろ覚えなのでもしかしたら、ちょっと違うかもしれない。そしたら、ごめんなさい。

 私が理解出来るかどうかは置いておいて、福岡先生の文章は、とても明快で、かつ詩的でもある。「動的平衡」論はもちろん科学なのだけど、そのイメージは、詩情にあふれる。分子がふるふる震えているだなんて!(理解出来てないだろう感。)

 ともかく、その詩情をストーリーにし映像にすると、この『あさがくるまえに』になるんじゃないかと、ふと思った。

 

190107 動的平衡ロゴmovie

 

 

 

 ちなみにキレヴェレ監督は、ガス・ヴァン・サント監督が好きらしい。

 確かに。

 ガス・ヴァン・サントの名前を覚えるのと同じくらいのポテンシャルで、カテル・キレヴェレ監督の名前を覚えよう。次作が楽しみ。そうそう、エンドロールのデヴィッド・ボウイ「Five years」も最高だった。

 

 原作は、メイリス・ド・ケランガル『Reparer les vivants(映画と同題)』(2014年、英題は『The Heart』)。

 

映画『あさがくるまえに』本編映像(オープニングシーン)

↑話題となった美しい冒頭シーン。映画を見終った後はさらに、生と死を繋ぐ一つの詩のようにも感じる。

 

秦 基博/朝が来る前に-Avant l’aube- (Réparer les vivants Ver.) 映画『あさがくるまえに』オフィシャルイメージソング

↑同タイトルという事から監督の希望によりイメージソングとなった、秦さんの「朝が来る前に」(2010年)。歌詞が映画の内容に不思議とシンクロしているのは何故。

 

よく分からないけど「ありがとう」と言いたくなった。↓

 

 

 

 


『スーパーノヴァ』…胸がつぶれた。

2023-02-11 00:17:53 | 映画-さ行

 『スーパーノヴァ』、ハリー・マックィーン監督、2020年、95分、イギリス。原題は、『Supernova』。

 コリン・ファース、スタンリー・トゥッチ。

 

 AmazonPrimeにて。

 人が人生を生きるとは、どういう事か。人が人を愛するとはどういう事か。人が人を必要とするとはどういう事か。「命」とは何か。とても考えさせられる映画だった。

 

 説明のための描写はほぼ見られず、二人の名優(そして実際の古い親友でもある)が日を繋いで行く様子を、淡々と観るだけである。

 それなのに、次第に気がついて行く。

 差し迫った状況とユーモア。絶望と愛情。思考と希望。エゴと宇宙の星々。ウィット。団欒。孤独。

 イギリス湖水地方の美しく雄大な景色も、何だか目に入らなくなって来る。

 

 病により、記憶と認識能力、身体能力をも失いつつあるタッカーは、「世界は驚異で満ちている。人がそれに気がつかないだけだ。だから質問をやめちゃいけない。」と少女に語りかける。

 スーパーノヴァ。超新星について、目を輝かせて少女に語るタッカーと、暗い芝生の上に一人横たわり、虚空を見つめるサム。

 

 人は死んで宇宙の塵になるのではなく、今この瞬間すでに宇宙の塵なのかもしれない。

 いやむしろ、そうだったらよいのに。ぎりぎりの決断を突きつけられて、泣きわめきたいのは観ている私だ。彼らはそんな事しないけれど。

 無言の余韻がいつまでも頭を離れなくて、思わず文句を言いたくなってしまう程だった。もっと何か言ってくれ、と映画に言いたくなってしまう程だった。

 

 

タッカーが好きな曲。↓(ピアニストのサムが)この曲を弾いてくれないと言う。

愛の挨拶(Elgar:Salut d'amour)名曲アルバムより

 

タッカー(トゥッチ)とサム(ファース)↓

古いキャンピングカーで旅に出る。↓行き先はサムの実家。

コピーは「世界で一番美しい、愛が終わる。」↓本当に美しかったけど、胸がつぶれた。

 

 


『バイオレント・ナイト』…奥ゆかしき、赦しのセンス

2023-02-08 23:20:08 | 映画-は行

 立春に世間も沸き立つこの2月に、クリスマス映画ってどういう事?

 半分いぶかしがり、半分わくわくして、観に行った。

 

 これが、面白かった!

 

 話の筋は、

 「腑抜け親父キャラのサンタクロースが、とある大富豪の家にプレゼントを配りに立ち寄ると、なんと家は極悪強盗団に占拠され、家族は人質となっていた!」

 そして始まる、バイオレンス・アクション。

 そこに至るまでの描写も、既に相当面白い。

 

 R15指定なので子供は見ちゃいけないんですが、よく分かりました。「大人の悪趣味」を理解しないお子様は見たらいけないんですね。(たぶん)

 

 いやー、でもねぇー、何と言うか。

 素晴らしい。これは中々出来る芸当ではないのでは。この絶妙なバランスというか、ギトギトの愚痴りに、思わず眉をひそめる「あ、イタタタ」シーンも、その疾走感と笑いで目を離せない。しかもこれが、いい話なんですよ…。(泣)

 こんなバカバカしい暴力、わざわざ映画にしなくってもよいんじゃないの?と思う人もいるかもしれないけど、多分仕方ないのだ。

 だってそうしなかったら、ただのめっちゃいい話になってしまうから。

 だって大人だから…。クリスマスもサンタクロースもこそばゆいから。

 

 

 サンタクロースの不思議、①袋、②煙突、③その誕生と死なないこと(長生き)。これらへの言及の仕方にもグッと来た。

 説教臭くないけどアホくさくもない。グロいけど、愛しさに溢れている。色んなものをブレンドして、「サンタなんて信じてねーよっ」と高らかに宣言する小学生を前に、「ホッホッホッホ」(うちら信じてるんすよ、の意)と笑ってもいいんだ、と思わせる赦しのセンスに脱帽である。

 

 まじグッと来た。グッと来たので、毎年クリスマス・イヴには是非この映画を見て、ゲラゲラ笑い、そして心を垢を洗われたい。

 2月公開っていうのも、こうなって来ると、奥ゆかしさという美徳のように感じられてくるのだ。(本国アメリカでは12月公開だそう)

 

 

 そうそう、主演のデビッド・ハーバーが本当にはまり役で良かったけど、もう二十年前だったら、ブルース・ウィリスがやっていたかもしれないなあ。

 あと『ホームアローン』ね。大分痛さ増しだけども(汗)

 もう一つ。「クリスマス映画」じゃなくて、「サンタクロース映画」だったね。

 

 

 『バイオレント・ナイト』、トミー・ウィルコラ監督、2022年、112分、米。原題は、『Violent Night』。デビッド・ハーバー、ジョン・レグイザモ。

※なんと続編製作が決定したそう。これは楽しみ!

 

サンタの存在を信じていたのは、前列右の二人だけ。↓(うち一人は本人)

「子供なんてみなジャンキー」と嘯きながら、Amazonに負けじとプレゼントを配るリアルサンタ↓(闘いの後)

ちなみに、英エンパイア紙が選んだ「クリスマス映画の中の最高のサンタを演じた俳優10人」の第四位に、デビッド・ハーバーが今作で選ばれています。なんと!

10人はこちら↓(映画.com)

https://eiga.com/news/20221224/13/

 

 


愛着という呼び名と解決

2023-02-04 17:23:40 | 物に悩まされない生活

 先日ふと思い立ち、小さなお片付けを始めた。

 家の中の細々としたもの、何となく気になっていたもの。そのうちやろう、片付けようと思っていて、しかしそのままでも特に困らないくらいのもの。

 

 例えば、登録しようと思ってしていない、新聞のビューワー(スマホで紙面を見られるらしい)。壊れたり使わないので処分しようと思っていた小型家電幾つか(具体的には体重計、毛玉取り器、洗濯機の風呂水ポンプ)。昔自分で編んだニット帽とマフラー(もう使わないので何年も処分待ち)。後でチェックしようと思っていて高度を増す紙の山。穴が空いたので繕おうと思っていたポケット。実家から持って来たまま開けていない思い出の段ボール。4枚だけ残ってしまった2円切手(これは姉に手紙を書くことで解決)。何故そこに置いているのかよく分からないまま、毎日そこに戻してしまう洗濯干し用具(これは置き場所の問題)。何年も使っていない、大きめの食器(微妙にかさばる)。籠に入れっぱなしの裾上げ待ちズボン。ある日壊れたノートパソコン(予兆はあった)。読みかけの本。全然読んでいない本。

 新しく買おうと思っていた毛玉取り器(これはアマゾンで注文済)。

 この感想を書きたい!と思って、書いていないブログ。

 映画館からつい持ち帰り、保存するでもなく保存された映画チラシの束。

 電池の切れた電卓。

 5個あるホチキス(壊れていない)。

 部屋の隅の夏用の帽子。

 捨ててよいか旦那に訊こうと思っていた、使っていないマスクケース。

 

 思えばどうしてそのままなのか。そのままを嫌がりながら、いざとなると実は居心地の良さも感じる。何となく愛着のある、あれこれの物、あれこれの状態に、よく見たら囲まれている。「これは何?」。

 そうこうしていたら、全部特に意味の無い、どうであってもどうでもよいような気がしてきて、ぐるっと一周回って、全て完璧とくつろごうとしている今日。

 

 とは言え、幾つか変化、解決出来た物事もあり、小さな満足も感じている。

 

 実は新しく、簡単な棚を一つ買おうかとまで考えている。模様替えをしたくなっている。細々としたことを愛着という呼び名で解決とし、大きな楽しみに方向転換しつつある自分を、夕闇に包まれつつある部屋に見出している。

 今日はちょっと暖かいな。

 

 ※写真は二十年前位に自分で編んだ帽子とマフラー。写真を撮ることで処分に成功。