憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

佳子内親王 聾唖連盟に御就職

2021-04-30 23:24:03 | 佳子さま
佳子さま、ろうあ連盟に就職 5月から非常勤嘱託職員で
2021年04月30日18時32分 時事com

宮内庁は30日、秋篠宮家の次女佳子さま(26)が、一般財団法人「全日本ろうあ連盟」(東京都新宿区)の非常勤嘱託職員として、5月から勤務されると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間はテレワークで事務作業などに当たる。
 同庁によると、5月6日から週3日程度勤務する。契約は2022年3月31日までだが、更新も可能。佳子さまはこれまで、同連盟主催の「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」などの行事にたびたび出席しており、自ら希望し今年2月末からインターンとして同連盟で働いていた。
 佳子さまは30日、お住まいの宮邸で、都内で開催されている「第53回なるほど展」(婦人発明家協会主催)をオンラインで見学した。同庁によると、単独での公的活動は昨年10月以来。4月26日に会場を訪れる予定だったが、緊急事態宣言を受けオンラインになった。

「第53回なるほど展」をオンラインで見学される秋篠宮家の次女佳子さま
=30日午後、東京都港区の宮邸(宮内庁提供)

2019年に 国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科をご卒業。
その後御公務で御姿を拝見するものの、「普段、何をされているのか」
という声が上がることもあった佳子内親王のご就職先が決まったようです。

一般財団法人全日本ろうあ連盟

紀子妃殿下と手話の関わりは長く、秋篠宮家といえば手話。手話といえば秋篠宮。というイメージがありますので、佳子内親王の就職先が聾唖連盟と聞いても、まあ、そんなものでしょう。
他の御公務との兼ね合いもあるし、結婚までの腰掛けとしても、結婚後を見据えてのパート勤務としても、週三日の非常勤勤務は具合がよろしいのでしょう。
勤務先を通じて名目をつけてカネを回すことも可能です。
佳代さんのケーキ店パートなど、カネを小室母子に回すためのトンネルパートの匂いがプンプンするじゃありませんか。

佳子内親王は親しみやすい美人でいらっしゃる。
派手そうに見えて、おしとやかと報道されているし、国民の前では常に無表情で何を考えているのか解らない眞子内親王よりは、心が顔に表れるかたのように思われます。
勉強はおそらくお嫌い、ICUの成績も言わぬが花という人もいる。
真っ直ぐすくすく育った御姫様と思っているがどうだろう。思いを裏切られることになるのだろうか。

「女性自身」は女系天皇容認派?

2021-04-30 13:10:02 | 皇位継承
『女性自身』が、女系天皇容認の記事を出している。
これを理論的根拠として使う女系天皇容認派も多いと推察されるので、コピー。
勿論、私はこれらのことは既に全て知っている。
知った上で、「天皇は男系男子でなければならない。」と考えているのですが、他の男系男子派を標榜する方々は、私以上に広く、深く、これらのことを知っておられるだろうと思います。

「男系限定は中国の模倣」女系天皇こそが日本の伝統である理由
2021年04月30日 11時00分 女性自身
 
今年1月、『女系天皇 天皇系譜の源流』(朝日新書)を上梓した大東文化大学名誉教授の工藤隆氏だ。その中で工藤氏は「男系と女系がないまぜとなった継承こそが本来のヤマト文化」だと主張しているのだ。いったい、どういうことなのだろうか? その根拠を工藤氏に解説してもらった(以下、「」内は工藤氏)。
「去年の8月、河野太郎防衛大臣(当時)がインターネット番組で『安定的な皇位継承に向け、父方が天皇の血を引かない女系天皇も検討すべきだ』と、踏み込んだ発言をしました。女系天皇容認論を時の大臣が公言したということで話題になったのですが、その河野氏ですら『我が国の皇室は、過去ずっと男系で継承されてきており』という前提で話しています。この認識がそもそも正確ではないのです。
男系での皇位継承が本格的に採用されたのはあくまでも西暦600年代以降です。当時、隆盛を誇っていた中国大陸の唐を手本に国家体制を整える中で、皇位継承についても唐を模倣して男系に限定されたと考えられます」
西暦600年代というと飛鳥時代にあたる。宮内庁のホームページにも掲載されている天皇系図では、初代の神武天皇が即位したのは紀元前660年の縄文時代とされているが、

「縄文、弥生など非常に古い時代にも天皇氏族が存在したかのように記述された天皇系譜は、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)にまとめられているのですが、それらは700年代初頭の権力集団である天皇氏族が整理・編纂したものであり、客観性という点ではかなり疑わしいのです。
近年の研究では、そもそも『天皇』という称号が登場したのは600年代末、天武天皇、持統天皇の時代です。『古事記』や『日本書紀』で、初代・神武からすべての『大王(族長)』に『天皇』号を与えてしまったことによって、非常に古い時期から天皇氏族が存在していたかのような錯覚が生じています。

王(皇帝)が男系継承でかつ男性でなければならないというのは、もともと中国・漢民族由来の思想です。日本でも、500年代くらいから族長位継承は男系継承優位に傾いてはいたようですが、600年代末から700年代初頭、唐の国家体制を模倣するうちに、天皇につながる古い時代の大王(族長)の系譜も男系でまとめたほうがいいという観念が優位になり始めたのでしょう(男性でなければならないという部分は受け入れませんでしたが)。

そして、以後の皇位継承を男系に限定するだけでなく、それ以前の大王の系譜にも、おそらくはいくつかの創作や改変を加え、初代・神武から続く男系の天皇の系譜として『古事記』や『日本書紀』にまとめたのではないかと考えられます。綏靖(すいぜい)天皇(2代)、懿徳(いとく)天皇(4代)の系譜に残された女性始祖の痕跡や、継体天皇(26代)の系譜に見られる女系継承の痕跡などは、男系継承への整理作業から漏れ落ちた事例だと考えられます」

■日本には数多くの女性リーダーが存在した
それでは600年代以前、縄文・弥生から古墳時代に至る古い時代の族長位(皇位)継承は、どのようになされていたと考えられるのだろうか?
「当時の日本列島には、弥生時代の卑弥呼をはじめとして、数多くの女性リーダー(族長)が存在したらしいことは、『古事記』『日本書紀』『風土記』からわかります。九州から関東まで、何人もの女性族長の存在が伝承されています。また、同じ九州から関東までの地域で、被葬者が女性と推定される古墳が少なくとも18例はあるという考古学者の報告もあります。
族長位継承の実態については歴史的資料が乏しいものの、文化人類学的資料を参考にすれば、古い段階では男性の族長と女性の族長の両方が存在していたと考えられます。これも推測ですが、女性族長がいれば、女系継承もありえたでしょう。すなわち、600年代以前の族長位の継承は、男系と女系の両方がないまぜになっていたのではないかと推測されます。

『古事記』『日本書紀』の天皇系譜でも、推古天皇(在位592~628年)など、600年代以後にも女性族長(女性天皇)が珍しくありませんでした。やはり、男系と女系がないまぜになって継承されていた古くからの感覚が600年代以後にも生き続けていて、少なくとも女性天皇は可とする考えははっきりと維持されていたのでしょう」
701年には日本初の成文法である「大宝律令」が制定されて、その中の「継嗣令(けいしりょう)」には、皇族の世継ぎや婚姻についても規定されていた。
「《およそ天皇の兄弟と皇子を、皆親王とせよ》としたうえで、《女帝の子もまた同じ》という注がつけてあるのですが、女帝の子の父についての条件は書かれていません。この条文の解釈には諸説がありますが、私は、女帝の夫が男系の皇族ではない人だったとしても、つまり“女系”の子でも、皇位継承権のある親王になれるという共通認識が当時の権力者にあった可能性があると考えています。
その後、『古事記』や『日本書紀』がまとめられた奈良時代(710年~)には、皇位継承は男系重視に強く傾いていったのですが、それが明文化されることはありませんでした。女性天皇はもちろんのこととして、女系天皇も許容される余地がかすかに残されていたのだと思われます」

■ヤマト文化本来の姿に戻る時期が来た
女性天皇に限っていえば、実際、江戸時代(1603年~)にも、明正(めいしょう)天皇(109代、即位1629年)、後桜町(ごさくらまち)天皇(117代、即位1762年)という2人の女性天皇がいた。
「皇位継承の規定を『男系』ばかりか『男子』とまで明文化したのは、明治時代(1868年~)の大日本帝国憲法下で制定された旧皇室典範が初めてなのです」
天皇氏族が紀元前から存在し、その系譜が男系継承だけだったとする考え方が国家の法によって支持されたのは、明治時代以後のことである。それを踏まえたうえで、工藤氏は皇位継承問題についてこう提言する。
「現行の皇室典範にも規定されている“男系かつ男子継承絶対主義”に固執する限り、皇位継承の危機的状況から抜け出すことはできないでしょう。もともと日本列島のヤマト文化では、族長位(皇位)の継承にも男系と女系が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていたのだと思われます。
男系継承の強化は唐の皇帝制度の、日本古代国家整備の必要性に後押しされた模倣だったのであり、それに男子継承まで加えたのは西欧列強との対抗を意識した明治政府の選択だったのです。21世紀の近代国家日本では、そろそろその模倣の行き過ぎから脱して、ヤマト文化本来の姿に戻る時期が来たのではないでしょうか」

それぞれの項目、反論はあるが一つだけ。
「万世一系男系男子天皇の系譜」を幻想というのなら、
「ヤマト文化本来の姿」もまた幻想でしょう。

私は「万世一系」を事実と認識する人にも用心するが、「ヤマト文化本来の姿」を提唱する人にも用心する。



工藤 隆(くどう たかし、1942年4月7日 - )は、日本文学・演劇研究者、大東文化大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学経済学部卒業、早稲田大学文学研究科大学院演劇専修修士課程修了、同博士課程単位取得退学。はじめ劇作家・演劇評論家、のち上代口承文芸の研究に移り、大東文化大学文学部教授。2013年退任。『歌垣の世界 歌垣文化圏の中の日本』で2015年度志田延義賞受賞。

両陛下オンラインで福島を〇〇

2021-04-30 09:46:15 | 皇室
28日、天皇皇后は福島をオンライン視察されました。
と、私は視察という言葉を使いましたが、報道各社〇〇にまちまちな言葉を当てている。

両陛下が復興状況をリモートで視察 (福島)・・・KFB福島放送
天皇皇后両陛下 福島県の東日本大震災被災地をオンラインで訪問・・・TBS系
両陛下 オンラインで福島県の被災者をお見舞い・・・テレビ朝日系
両陛下 お声かけ。福島オンライン訪問詳細・・・日本テレビ系(NNN)
両陛下 福島被災者と交流 震災10年 オンラインで・・・フジテレビ系(FNN)
両陛下、被災者に寄り添う姿 双葉、大熊町民とオンライン交流・・・福島民友

内容は、<視察>が一番そっけなく、<寄り添う>福島民友が一番詳しく。
<訪問><お見舞い><お声かけ>は天皇皇后を暖かく持ち上げる。
<交流>フジテレビは淡々。

素っ気ない福島放送
天皇皇后両陛下が東日本大震災からの県内の復興状況をリモート形式で視察されました。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、オンラインで県内の状況を視察された両陛下。
 始めに県庁の内堀知事と対談し震災と原発事故から10年が経過した県内の状況について説明を受けた後、福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館で双葉町の伊沢町長らと対談し、原発事故後の町の歩みや復興の現状を視察されました。 さらにその後、双葉町から避難した住民と懇談しお言葉をかけられたということです。

詳しい福島民友
天皇、皇后両陛下は28日、東日本大震災から10年が経過した本県の復興状況をオンラインで視察され、東京電力福島第1原発事故による帰還困難区域を抱える双葉、大熊両町の被災者を見舞われた。両町民との懇談では10年の苦労にねぎらいの言葉を掛けられたほか、復興に向けた今後の課題や住民帰還の動きなどについて質問された。
  双葉町では、被災市町村で唯一、全町避難が続く町の状況について伊沢史朗町長が説明。天皇陛下は現在の課題について聞かれ、皇后さまは「今、戻ることを希望する方はどれくらいいるのですか」と質問したという。伊沢町長は「(オンラインではあったが)温かい気持ちが伝わってきて、本当にありがたかった」と話した。
  大熊町では、天皇陛下が吉田淳町長に「今、町の一番の大きな課題は何ですか」と質問した。来春に避難指示が解除される地域がある一方、まだ解除の見通しが立っていない地域があることを説明した吉田町長は、懇談後に「両陛下は震災以来ずっと被災者に寄り添っていると感じた。新型コロナウイルスがなければ一度は町に来ていただき、本当の町の状況を知ってもらえれば」と述べた。
天皇、皇后両陛下と懇談する(右から)双葉町の山本さん、谷津田さん、梅田さん、伊沢町長=28日午後、東日本大震災・原子力災害伝承館(代表撮影)


<「国民に寄り添いたい」と言う天皇に寄り添う>各社が取り上げた被災者のかたの言葉。
「なんて言葉で表現したらいいか分からないんですが、心がちょっとジーンときました」 

天皇、皇族方におかれましては、お声かけを頂いて感激する国民のこのような心を大切には思われないのでしょうか。
国民は勿論、天皇、皇室をも、屁とも思っていない小室を何故天皇の姻戚にするのか、天皇の口から説明をお聞きしたいものです。

ゴールデンウィークの週刊誌(3)『週刊文春』 

2021-04-29 21:28:28 | 小室


文春が小室文書中、眞子内親王の意向が大きかったと紹介している部分。

加地皇嗣職大夫は
「文書の三つ目の項目”基本的方針について”は眞子さまのご意向が大きかったと聞いている。」と明かした。

《借金だったことにされてしまえば、元婚約者の方のおっしゃることが正しかったということになり、私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。

これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します。》

眞子内親王が「甘いのよ!」と小室を叱ったのは、婚約内定報道当初の小室の振る舞いに対して。
例えば朝に電話で眞子さまと挨拶を交わしたことを報道陣を前に話したことなど。
以後、小室は自身の対応を逐一眞子さまと相談しているという。
つまり、長い間小室が何の対応もしなかったのは、眞子さまのご意向であるということらしい。
確かに、3【基本的な方針について】 には、そのようなことが書いてあったが、眞子さまのご意向による対応なのか、小室の無責任な対応を庇うために眞子内親王が「私の意向ということにすればよい。」と言われたのか、記事からは解らない。
週刊文春は、眞子さまと小室の関係は、眞子さまが小室をリードしている関係、と書いているが。

私は婚約内定会見の有様から、小室からのアプローチで始まった交際だが、途中から眞子内親王がイニシアチブを取った、というより、小室がイニシアチブを眞子さまに取らせたのだろうと見ている。
ヒモ男の典型。

その他、記事には2015年5月、小室が渡英してレスター大学大学院留学中の眞子内親王とデートしたことなど、二人の交際の歩みが書かれている。
小室との交際で<しっかりもので優しく、はたらき者>だった眞子内親王は変わってしまったと示唆したいのだろう。
しかし、おそらく<しっかりもので優しく、はたらき者>というもって生まれた性格的な部分は今も変わっていない。惜しむらくは善悪の基準、倫理道徳の規準が国民の感覚とはズレていらっしゃったことですね。
眞子さまは、小室や佳代さんにとっては、<しっかりもので優しく、はたらき者>の妻、嫁でしょう。
国民にとってはトンデモナイ内親王ですけどね。

さて、国民の思いなどそっちのけで、小室一筋の眞子さまも、小室に一つだけ不満を抱かれたこともあったという。

小室さんが、金銭トラブルをご自身や秋篠宮ご夫妻に明かしていなかったことだ。
「眞子さまは、きわめて緻密に物事を考えてから行動に移すタイプです。そんな眞子さまからすれば、小室さんが金銭トラブルについて事前に打ち明けなかったのは”詰めが甘い”と映った。<略>」
小室さんに対応を任せておけないー。徐々に眞子さまのご気性が頭をもたげ始める。
最も顕著に表れたのは、十九年十二月の事だ。

マスコミが一斉に謝罪した、あの一件です。

▼小室さん代理人謝罪要求でチラつかせた眞子さま「ご意向」
上芝弁護士は謝罪を要求する際、こう言って”眞子さまのご意向”をチラつかせた。
当事者たちが苦しんでいる。」
本人達が収まらない」
だが、そもそも小室さんは18年夏からフォーダム大に留学中。日本のテレビ番組を逐一チェックするとは考えづらい。謝罪を要求されたメディアの関係者が打ち明ける。
「こちらは、謝罪要求が眞子さまのご意向であることを強く感じざるを得ませんでした。実際上芝氏からは”眞子さまは、報道が結婚の妨げになっていると感じている”という趣旨の発言もありました」

これが本当なら、今も眞子さまは国民が反対する意味が理解出来ず、「報道があること無いこと騒ぐから、国民が反対して、結婚できない。」と思われてるのでしょう。
国民が反対することが結婚の歯止めになるのなら、弛まず諦めず反対しなくてはね。

▼小室さんが初恋眞子さま「激しいご気性が前面に」
記事は、眞子さまは「気性が激しい。」と続く。
尤も小室の件を続けて見ていれば、眞子さまの気の強さと頑迷さには誰でも気が付くが。
記事は
「眞子内親王はおしとやかという感じは全く無く、むしろ”気の強い人”という印象です。」(ICUの同級生)

等の証言を集めている。眞子さま、ここぞと言う時には自分の意見を論理的に展開、議論すれば一歩もひかないそうだ。


こうした眞子さまのご気性と、小室さんの良くも悪くも自らの正当性を主張する頑なさは、一体となって結婚へと突き進んで行くことになる。

小室と眞子さま、似た者同士ということでしょう。

2020年2月ごろ、眞子さまは結婚に伴って支給される一時金を「お金は要らない」と言い出された。
国民から小室さんに対し、『借金も返さないのに、税金から出される一時金を受け取るのか』と批判が上がっているのをご存知だったからでしょう。
(秋篠宮家関係者)

一時金を辞退しても、充分に生活できる目途がついているからじゃないのー?
それとネットや報道に「皇籍離脱、一時金辞退するなら結婚しても良い。」というコメントが溢れていたから思いついたのかもね。

一時金辞退にしろ結婚前の皇籍離脱にしろ、前例のないこと。関係者はこうした眞子さまの暴走気味のご発言にずいぶん苦慮したそうです。眞子さまの振る舞いを受けて、秋篠宮さまは、内心では小室さんとの結婚に反対されつつも、強引に引き離しては眞子さまが”暴発”しかねない、というお気持ちになっておられるようです。」

本当ですかー?
もし、これが本当なら眞子さまは「小遣いくれないと何をするかわからないぞ!」と親を脅す不良息子と同じですね。

▼秋篠宮家の憂慮「悠仁さまに級友が小室さんの件を…」

「眞子さまは、ご自身の結婚問題について『級友から何か言われていないか』『イジメに遭っていないか』と心配されている。(別の秋篠宮家関係者)

本当かなー?
本当に悠仁殿下の将来を思うのなら、小室と別れるでしょう。

▼小室さん母元婚約者の年末調整「還付金」も懐に

これは、変な話。
記事中でも専門家が首をかしげている。
元婚約者は「年末調整の受け取り人は佳代さんになっています。これはコピーを取りました。」とメールし、佳代さんは
「保健ママ(の件)了解しました。有り難うございます。年末調整は来年の旅行のために貯蓄かナ~(笑)♪」
とメールを返している。

年末調整を本人ではない第三者が受け取ることは可能なのだろうか。

従業員が希望したとしても、なぜ第三者が受け取るのか会社側が詳しく聞くはずで、社内でおかしな噂が立ちかねない。かなり特殊なケースだと言えます。」(税理士の大林茂樹氏)

特殊なケースであるというだけで、第三者が絶対に受け取れないことになっているわけでもないようですね。
経理に上手いこと言って、年末調整の振り込み先を佳代さんの口座にしたということでしょうか。

小室さんはこの夏、米国で司法試験を受ける予定だ。合否が判明する秋にも結婚し、お二人は米国で暮らすのでは、と囁く宮内庁関係者は多い。

既に二人の結婚は「鍋に入ってしまっている」のか。

ゴールデンウィークの週刊誌 (2) 『週刊新潮』 

2021-04-29 00:18:23 | 秋篠宮



記事の半分は、小室文書への眞子内親王の関与についてと皇籍離脱後に小室と結婚するというシナリオ。
眞子内親王の関与とシナリオは既出のもので新鮮味が無い。
「週刊文春」ゴールデンウィーク合併号は皇籍離脱のシナリオを最初に言い出したのは眞子内親王だと報じている。
この件に関しては「週刊文春」のほうが面白い。

「週間新潮」の記事の後半は、悠仁殿下へ及ぼした影響について。

「4月8日から学校が始まり、元気に登校されています。
 春休み中はもっぱら、学校の課題をこなしつつ宮邸の畑で農作業に精を出されていました。悠仁さまは一年を通じて作物栽培を続けられ、これまでもトマトやナス、キャベツやダイコンを育て、皇嗣職の職員におすそ分けをなさっています。」(宮内庁担当記者)

いい話ではないか!
紀子妃殿下は東大を希望されているが、悠仁殿下は農業に関心が高く、秋篠宮殿下もその方面(農大)へ進んで欲しいという希望を持たれている。と、これは憶測記事かもしれないが。

小室の件の解決策をめぐって、秋篠宮殿下と紀子妃殿下が激しい言い合いをなさる場面もあった。
眞子内親王がご両親と会話を交わされなくなり、ご家庭内が険悪なムードに。
こういう家庭内の不和は悠仁殿下に良い影響を与えるはずが無い。
と、記事にはあるが、家庭内の不和に悩んだからこそ、人間への思いが深まったという人もいるわけで。
重要なのは、苦悩をより高いものへ導いてくれる師に出会うことだと思うのですが?
週刊誌は、機能不全家庭に育った子供の行く末は必ずロクでもないことになると、下手なカウンセラーのような事ばかり書く。笑。

「最近も官邸で紀子さまが職員らと話をされていた際、ちょっとした言い間違いをなさったのですが、それを横でお聞きになっていた悠仁さまが、強い言葉で紀子さまを面罵なさったのです。周囲に人がいたこともあり、紀子さまは悠仁さまのお振る舞いをたしなめることもままなりませんでした。」

中学3年生の男子て、おおかたそんなものじゃないのでしょうかね。
面罵しても信頼していることもあるし?
会見ではなよなよと優しげな話し方の秋篠宮殿下ですが、お怒りになると声を荒げることもあるそうですから、悠仁殿下の振る舞いは秋篠宮ゆずり?
秋篠宮殿下と悠仁殿下、父と子の関係は良好そうなので心配ないと思いますけども?