憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

大祓の儀 節折りの儀

2021-12-31 18:02:21 | 皇室
12月20日に宮内庁が発表したご予定には

12/31(金)
佳子さま 神嘉殿前庭(大祓の儀)

とあります。
宮内庁が国民に向けて発表する予定は大概不親切です。
宮内庁ホームページ、宮中祭祀、主要祭儀一覧には、12月31日、節折り、大祓とある。

ところが、天皇家の予定は12月31日空白です。
佳子さまの大祓の儀だけ発表して、天皇の節折りの儀を発表しないのは何故なのでしょう。

節折りの儀では、陛下は御小直衣という装束をお召しになるそうです。
直衣は普段着。臣下が正装して居並ぶ中で普段着が着られるのは上級貴族、天皇の特権です。




平成26年(2014年)6月10日産経新聞

2016年12月内親王時代の眞子さんが昭和28年、高松宮殿下に代わって参列した高松宮妃殿下以来66年振りに女性皇族として参列された。

佳子さまが御降嫁されたら、愛子さまも三笠宮高円宮の妃殿下、女王方もいらっしゃる。30年~40年くらいは大丈夫でしょう。
大祓の儀のために女性宮家を作る必要はありません。

宮中祭祀の様子が公表されることは原則としてありません。
美貌の内親王が大祓に参列されているご様子も想像するしかないのですが、天皇は先ず大祭司であるということを広く示すためにも、祭祀をされる場所、祭祀の様子をその都度ギリギリところまで発表していただきたいと思います。
国民が「本当に祭祀しているのか?」という疑念をいだくことの無いように。

2021年もあと数時間。
今年、私の拙いブログにお立ち寄りいただいた皆さまに感謝いたします。
奇特にもボタンを押してくださった方々、コメントをお寄せいただいた方がた、御礼の言葉もありません。

良いお年を!

大膳製 手打ちそば 他に揚げ物、小鉢、煮物


大晦日の当直に当たった職員に賜る「梅鶴」梅の香りがする干菓子。
(『宮中季節のお料理』宮内庁監修扶桑社 より)


ローブデコルテの胸元

2021-12-30 23:14:28 | 皇室
😇 新年祝賀の儀には女性皇族の方々は正装で居並ばれます。
宮内庁は2022年新年祝賀の儀を愛子さまの初公務と位置づけていますので、愛子さまは勿論、雅子さま皆様愛子さまのデビュタントをお祝いする意味でもティアラ勲章ローブデコルテの礼装でお並びになるのでは?と期待しています。

新年、女性皇族の方々がお召しになったドレスを楽しむために、お復習いします。

ローブデコルテのデコルテとは胸です。
胸元をガバッと開けて綺麗なデコルテを見せつけるデザインなので、ローブデコルテと名付けられているのですね。
「デコルテ」という言葉は、女性ならエステ等でお馴染みの言葉ですが、デコルテを人目に晒せるほど綺麗に保つには、それなりのカネをかけてのお手入れが必要だということは、女性なら誰でも知っていることです。

ローブ
ローブは本来、男女ともに着用されていたが、近世ヨーロッパでズボンが独立して聖職者などの例外を除いてはツーピースの男性衣服が一般的になると、女性が着用する細胴とそれを強調する緩やかなスカートで構成されたワンピース形式の衣装のことを指すようになる(フランス語の「ローブ」はこの意味で用いられることが多い)。18世紀にはフランス宮廷を中心にローブ・ア・ラ・フランセーズ、ローブ・ア・ラ・ポロネーズ、ローブ・ア・ラングセーズ、ローブ・ヴォラントなどの様々な形式のローブが流行してヨーロッパの社交界で愛用された。今日でも礼服として用いられることが多く、肩および背中と胸の上部を露出したローブ・デコルテは女性の最も正式な礼装(夜会服)とされている。(wiki)

😇 ローブデコルテの胸元がガバッと大きく開いているのは、豪華なネックレスを付けるためでしょうか。

エリザベス女王の戴冠式では、女王ばかりでなく、付きそう女性達もネックレスのデザインと綺麗なデコルテを見せるドレスのデザインがピタリと決まっています。
デコルテに自信のあるかたほど綺麗なデコルテを見せたいでしょうね。


エリザベス二世戴冠式。
堂々たるデコルテ。大粒ダイヤをふんだんに使ったネックレスはさすがです。


美智子さま、婚約会見。
ネックレスを召されなくても、この開き。当時庶民の殆どがその存在すら知らなかったエステで磨いた綺麗なデコルテに余程自信をお持ちだったのでしょうか。


紀子さまも・・・

雅子さまも、大きく開けた綺麗なデコルテに大ぶりのネックレスがよくお似合いです。


眞子さま


佳子さま

愛子さま

内親王、お三方のデコルテの開きはほぼ同じに見えます。強いて言えば愛子さまの開きが他の方よりやや大きいような?
愛子さまは、色白で肌がお綺麗ですものね。

愛子さまのローブデコルテのほうが、シンプルなデザイン、襟元が詰まっているので、眞子さま、佳子さまのローブデコルテより格上という記事を見かけたことがありますが、そんなことはありません。
むしろローブデコルテにテーラーカラーを合わせるセンスがユニーク。
生地の色が白なので、パッと見、ドクターコートみたい。つまり仕事着風。

ローブデコルテという格式は、使用生地の値段によって変わるものではありません。安物でも留め袖のほうが、高価な大島紬より格は上、みたいなものでしょうね。


佳子さま 27歳の誕生日

2021-12-29 21:16:14 | 佳子さま
12月29日 佳子さまは27歳の誕生日を迎えられた。

紅葉の中に立たれる佳子さまは秋の女神立田姫のようにお美しい。

秋篠宮ご夫妻の次女 佳子さま 27歳の誕生日
2021年12月29日 0時01分 NHK
秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さまは、29日、27歳の誕生日を迎えられました。

宮内庁によりますと、新型コロナウイルスの影響で多くの行事がオンラインでの開催になるなか、佳子さまは、一つ一つの活動に心を込めて臨まれました。

このうち11月には、おととしまで姉の小室眞子さんが出席していた行事、「みどりの『わ』交流のつどい」にオンラインで初めて出席されました。

佳子さまは、おことばを考える際、眞子さんの経験などを参考にしながら検討したということで、当日は、眞子さんが前回、着ていた洋服を身につけられました。

また、佳子さまは、5月から全日本ろうあ連盟の非常勤の嘱託職員になり、少しでも役立てるように努められているということです。

10月の眞子さんの結婚については、願いがかなったことをとてもうれしく思い、これからの幸せを心から願われているということです。

ことしの佳子さまの誕生日の行事は、祖父の川嶋辰彦さんが亡くなり、母親の紀子さまが喪に服されているため、行われないということです。

秋篠宮家の佳子さま 27歳の誕生日



😇 眞子さんと小室の結婚を応援された佳子さまの御言葉には心底ガッカリしました。
姉妹二人三脚で、、、小室と三人ペレストロイカで、、、鼻息荒く二人の強行結婚を応援されたこと、私は忘れません。
「私」というより「我」を通す姉を諫めようが無くても、お母さまの苦悩をそっとお慰めしていらっしゃるだろうと想像していたのですが、お姉さまと全く同じメンタリティの方だったとは!

「姉は、これまでもこれからも、自分にとってとても大切な存在です。一緒に楽しい時間を過ごせましたし、姉がいてくれたおかげで救われた気持ちになったことが多くありました。心から感謝しています。また、小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じています。結婚に関して、誤った情報が事実であるかのように取り上げられたこと、多くの誹謗中傷があったことを、私もとても悲しく感じていました。そのような中でも、姉と小室圭さんがお互いに支え合う姿を近くで見てまいりました。本日、2人が結婚できたことを嬉しく思っております。今後は、姉と小室圭さん、小室圭さんのご家族が、穏やかな日々を過ごせるようになることを心から願っています」

😭 このようなお考えの方が女性皇族として悠仁さまの傍にいることは、悠仁さまの於為にはならないような気がします。
秋篠宮家の再生を願うのなら、一日も早く、御降嫁されたほうが良いと思います。




佳子さまと切り離したほうが、自然な雰囲気。
秋篠宮殿下と悠仁殿下、既に男同士の世界に入っていらっしゃる?

御三方だけのほうがスッキリ。

😇 申し訳ありません。勝手に佳子さまを御降嫁させてしまいまして。
でもでも、日々、秋篠宮殿下、悠仁殿下、紀子妃の御三人で過ごされたほうが、悠仁さまの帝王教育も上手く行くような気がします。
悠仁さまも青年期。これからは、(秋篠宮殿下+悠仁殿下)を紀子さまが支える、という関係に移行したほうが良いと思うのですが、どうでしょうか?

今現在、国民の秋篠宮家への信頼は地に落ちた、というところですが、下まで落ちても、根気に良いものを積み上げれば、きっと挽回できます。
そのためには、眞子さんと同じような個人的理解の人権論やジェンダー論を振り回して眞子さんと小室の結婚を応援した佳子さまは邪魔になるような気がするのですけれども。

「どうして小室さんでダメなのか、僕にはさっぱりわからない」と仰る岳父が去られて、日が経てば秋篠宮殿下の考えにも少しは変化があるかもしれません。
岳父は既に善悪を超越した世界に生きていらっしゃったようですが、国民は善悪の世界に生きていますので、秋篠宮殿下と悠仁殿下には、まず国民が生きている善悪の世界を知って頂きたく思います。



あきらめが悪い女系派

2021-12-28 14:51:07 | 皇位継承
 <安定的な皇位継承の確保などの課題を議論する政府の有識者会議>は①皇族女性が結婚後も皇室に残る案、②旧宮家男系男子を現存宮家の養子として復籍させる案③①②で皇族数を確保できない場合、旧宮家男系男子を直接に復籍させる案を最終報告書として提出した。
男系の目から見れば、運用次第では男系男子による皇位継承が継続する可能性を大きくすることが出来る、と、まずはホッとした。

女系天皇容認派は「女性宮家、女系天皇について言及が無い。」として、引き続き女性宮家創設、女系天皇の実現に向けて活動を継続している。



皇位継承検討委員会、来月設置 立民、先送り報告書に危機感で
12/27(月) 19:11 共同通信

立憲民主党は27日、皇位継承策を先送りした政府の有識者会議報告書には問題が多いとして、検討委員会を来月設置し、党としての考え方をまとめる方針を決めた。皇位継承問題に長く関わっている野田佳彦元首相をトップとし、国会での議論で主導的な役割を果たすことを目指す。この日の準備会で野田氏は報告書に関し「危機感を持っている。安定的な皇位継承を確保するための諸課題について整理しておらず、先送りしている」と批判した。 

 委員会は泉健太代表の直轄組織とし、委員長に野田氏、委員長代行に長浜博行元環境相、事務局長に馬淵澄夫国対委員長が就く。

😐 野田佳彦氏のライフワーク化したようですが、野田氏はもうこんな所でしか存在をアピール出来ないのでしょうか。しかも間違った方向へ導こうとしていらっしゃいます。

女系派のかたは女性皇族に継承権を認めなかれば、皇族数が減少に歯止めがきかない。と言われますが、そうでしょうか?

旧宮家男系男子復籍を認めれば、皇族は安定的に供給され続けます。
女系派は「引き受ける旧宮家男系男子がいるかどうかも解らない。」と言うが、特権をもった皇族、宮家当主として手腕を振るってみたいという男子はいらっしゃるのではないか。
今上は女性にもてなかったくせに「好みの顔ではない」と振ってしまったが、久邇晃子さんは本人も周囲も大いにその気があったと聞く。
学習院哲学科卒後東大で医者になった晃子嬢は本物の才媛です。皇太子妃になることを厭わなかった晃子さんも、周囲も平成の皇室のありかたに思うところはあったのでしょう。
そのように、現在の皇室の在り方に疑問をもっている旧宮家男系男子の方々はいるのではないかと想像するのですが?

GHQが天皇と直宮家三家を残したといっても、秩父宮、高松宮にはお子さんが望めなかったので、実質的には皇位継承に関しては天皇と一宮家が残されたのと同じですね。
女系派のひと、皇族数を増やしたい人は、戦後時期宮家が三家残されただけだったので、こうなった、と言いますが、皇位継承の観点からみれば、天皇家と一宮家が残されただけです。それでも昭和、平成、令和、次、次々、までは繋ぐことができた。
旧宮家男系男子復籍でお子さまが望める宮家が三宮あれば充分でしょう。
女性宮家など全く必要ありませんね。


悠仁さまは庭上で拝礼されていません。

2021-12-28 00:26:14 | 悠仁殿下
悠仁さまについて検索していて、気になるブログ記事がヒットした。
皇族は生まれて50日目に一般のお宮参りに当たる賢所皇霊殿神殿に謁するの儀を行う。
記事では”愛子さまは賢所殿上で拝礼し、悠仁さまは庭上で拝礼した。”と書いてあるが、そのようなことは無い。

産経新聞 2006年11月14日の記事 
悠仁さま“お宮参り”

秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さまのお宮参りにあたる儀式「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が14日午前、皇居・賢所仮殿で行われた。


 悠仁さまがお住まいのある東京・元赤坂の赤坂御用地から外出されるのは初めて。秋篠宮邸で身を清めた後、天皇、皇后両陛下から贈られた白い「御初召(おうぶめし)」に着替え、ご夫妻と一緒に皇居に向かわれた。

 賢所仮殿では、宮内庁楽部が神楽歌を奏で、掌典長が祝詞を読み上げた後、松田慶文宮内庁御用掛に抱かれた悠仁さまが拝礼された。秋篠宮ご夫妻も見守られた。この後、ご夫妻と悠仁さまは皇居・御所を初めて訪れ、両陛下にあいさつされた。

 悠仁さまはご誕生から70日目。儀式は生後50日で行われるのが慣例だが、秋篠宮さまの外国ご訪問などで時期が延びていた。宮内庁によると、13日現在の身長は58.5センチ、体重は5244グラム。これまでに病気もなく、天気のいい日は紀子さまに抱かれて、宮邸の庭や赤坂御用地内を散歩されている。姉の眞子さま、佳子さまも喜んで世話をされているという。

😐 ブログ記事では<内廷皇族の内親王愛子さまのほうが、宮家の親王悠仁さまより格上>という主張のもと「愛子さまは殿上で拝礼、悠仁さまは庭上で拝礼」と書かれているのですが、それはおそらく賢所仮殿を誤解されたからではないでしょうか。

宮中三殿は2004年(平成16年6月)から2008年(平成20年)3月まで耐震工事(事前調査、移動の儀式含む)を行っている。その間三種の神器などご神体は賢所仮殿へお移しされていました。
悠仁殿下は2006年〈平成18年〉9月6日の御誕生なので、宮中三殿はまだ耐震工事中。なので賢所仮殿で賢所皇霊殿神殿に謁するの儀を行ったにすぎません。ご神体は”奉遷の儀”をもって賢所仮殿へ移されていますので、仮殿でもそこが正式な神殿となります。「悠仁さまは仮殿で儀式を行ったから愛子さまより格下」ということではありません。

些細なことですが、新聞記事を引用して主張されていますので、悠仁さまを貶めたいかたに利用されはしまいか、と気になります。
その時宮中三殿が耐震工事中だったと思い出す人は少ないでしょう?