アメリカンスクールに子どもを生かせている方と話す機会があった。
彼女は二人の男の子のお母さんで日本人。
混血の長男は中学校3年生年代で集中力が持続できない学習障碍だと認定され
学校でも宿題の補助などの援助を受けている。
年子の次男はIQが高く、Special Education(能力が高い子どもが受ける特別教育)クラスにいるそうだ。
アメリカでは、小さい頃から子どもの特性を見分け
それぞれの能力にあった教育を施すことを良しとしているため
様々な検査の中で、子どもたちには色々なレッテルが張られていく。
話題が変わるが、英語を母語としない子どもに対して
ESL(english as a scond language)の授業で丁寧に英語教育がなされるのも
このためなんでしょう。
では、張られたレッテルは.....
アメリカ社会ではあまり影響はないように感じる。
学習障碍といわれ、手厚い教育の中で育ち社会人として活躍したり
Special Education クラスで、才能を伸ばすべく教育を受け
身の丈に合った職を得て大人になっていったり
人種のるつぼだけに様々な道を経て、多種多様な人間が存在し
それを認め合うことで社会が成り立っている気がする。
一方、日本では...と自分のいる教育現場を振り返ってみた。
2002年に週休2日制が実施されたころからだろうか
生徒にレッテルを張ることが是とされ
教室で抱えきれない様々な問題を孕んだ児童生徒は
学校カウンセラーを経て専門的な病院に行き
LD(学習障碍)やADHD(注意欠陥・多動性障害)
アスペルガー(高機能自閉症ともいわれ、知的障害を持たないが
コミュニケーションに問題を抱える)と認定されることが身近になってきた。
特殊学級と呼ばれていたクラスが特別支援教育に制度変わりし
その為の教員免許も新設された。
インクルーシブとかノーマライゼーションという専門用語が
日常会話の中で聞かれるようにはなったが、色々なレッテルを張られた生徒が増えたのが事実。
40人いる普通級にだいたい5-10人ぐらいは上記の「病気」といわれてしまう生徒がいる。
20代のころは「どの子も大切、みんなクラスの仲間」といわれ
子ども同士の教育力、学年教師のティームワークで
全員をできるだけ色分けせずに抱え込み巣立ちまで育ててきた。
あの頃にだって、立ち歩く生徒・突如感情が抑えられずに暴力に訴える生徒
いつも教室の隅にいて、何かあると掃除用具入れに隠れてしまう生徒.....
多種多様の生徒がいたけれど、「あの子は病気だから」とはいわなかった気がする。
カウンセラーもいなかったし、特別支援教育の専門員も学校にはいなかったので
何もかもを普通の教員が抱えていかなければならなかったけれど
経験豊富な教員がイニシアティブをとり、教育が成り立っていた。
何もかもが専門化していっている日本の公教育現場。
「自分の範疇でないこと」には手を出さない都会の教員たち。
管制研修は多いけれど、職場の中で先輩から学ぶことが出来にくく
職員室で教育や生徒のことが話題上ることは少ない。
道徳の授業でよく使われ、教科書にも掲載された金子みすずの詩が脳裏に響く
「みんな違ってみんないい」
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
地面(じべた)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A7%81%E3%81%A8%E5%B0%8F%E9%B3%A5%E3%81%A8%E9%88%B4%E3%81%A8&tid=43db7111e5366d8c4b00a6ae01195b88&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
Youtube で歌があります(相変わらずリンクが上手く作動せずすみません)
There was a woman poet named KANEKO, Misuzu (1903-1930),
who has been highly recognized in the past few decades.
She was born in a Jodo Shinshu family in Yamaguchi Prefecture
at the western end of Japan's main island Honshu.
During her short life she made 512 poems for children's songs.
Because of her unhappy marriage, she committed suicide at age 26.
The following is a poem entitled "A Bird and a Bell and I."
彼女は二人の男の子のお母さんで日本人。
混血の長男は中学校3年生年代で集中力が持続できない学習障碍だと認定され
学校でも宿題の補助などの援助を受けている。
年子の次男はIQが高く、Special Education(能力が高い子どもが受ける特別教育)クラスにいるそうだ。
アメリカでは、小さい頃から子どもの特性を見分け
それぞれの能力にあった教育を施すことを良しとしているため
様々な検査の中で、子どもたちには色々なレッテルが張られていく。
話題が変わるが、英語を母語としない子どもに対して
ESL(english as a scond language)の授業で丁寧に英語教育がなされるのも
このためなんでしょう。
では、張られたレッテルは.....
アメリカ社会ではあまり影響はないように感じる。
学習障碍といわれ、手厚い教育の中で育ち社会人として活躍したり
Special Education クラスで、才能を伸ばすべく教育を受け
身の丈に合った職を得て大人になっていったり
人種のるつぼだけに様々な道を経て、多種多様な人間が存在し
それを認め合うことで社会が成り立っている気がする。
一方、日本では...と自分のいる教育現場を振り返ってみた。
2002年に週休2日制が実施されたころからだろうか
生徒にレッテルを張ることが是とされ
教室で抱えきれない様々な問題を孕んだ児童生徒は
学校カウンセラーを経て専門的な病院に行き
LD(学習障碍)やADHD(注意欠陥・多動性障害)
アスペルガー(高機能自閉症ともいわれ、知的障害を持たないが
コミュニケーションに問題を抱える)と認定されることが身近になってきた。
特殊学級と呼ばれていたクラスが特別支援教育に制度変わりし
その為の教員免許も新設された。
インクルーシブとかノーマライゼーションという専門用語が
日常会話の中で聞かれるようにはなったが、色々なレッテルを張られた生徒が増えたのが事実。
40人いる普通級にだいたい5-10人ぐらいは上記の「病気」といわれてしまう生徒がいる。
20代のころは「どの子も大切、みんなクラスの仲間」といわれ
子ども同士の教育力、学年教師のティームワークで
全員をできるだけ色分けせずに抱え込み巣立ちまで育ててきた。
あの頃にだって、立ち歩く生徒・突如感情が抑えられずに暴力に訴える生徒
いつも教室の隅にいて、何かあると掃除用具入れに隠れてしまう生徒.....
多種多様の生徒がいたけれど、「あの子は病気だから」とはいわなかった気がする。
カウンセラーもいなかったし、特別支援教育の専門員も学校にはいなかったので
何もかもを普通の教員が抱えていかなければならなかったけれど
経験豊富な教員がイニシアティブをとり、教育が成り立っていた。
何もかもが専門化していっている日本の公教育現場。
「自分の範疇でないこと」には手を出さない都会の教員たち。
管制研修は多いけれど、職場の中で先輩から学ぶことが出来にくく
職員室で教育や生徒のことが話題上ることは少ない。
道徳の授業でよく使われ、教科書にも掲載された金子みすずの詩が脳裏に響く
「みんな違ってみんないい」
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
地面(じべた)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A7%81%E3%81%A8%E5%B0%8F%E9%B3%A5%E3%81%A8%E9%88%B4%E3%81%A8&tid=43db7111e5366d8c4b00a6ae01195b88&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
Youtube で歌があります(相変わらずリンクが上手く作動せずすみません)
There was a woman poet named KANEKO, Misuzu (1903-1930),
who has been highly recognized in the past few decades.
She was born in a Jodo Shinshu family in Yamaguchi Prefecture
at the western end of Japan's main island Honshu.
During her short life she made 512 poems for children's songs.
Because of her unhappy marriage, she committed suicide at age 26.
The following is a poem entitled "A Bird and a Bell and I."
Even if I spread my arms
I cannot fly in the sky at all.
But the bird that can fly
Cannot run on the ground as fast as I.
Even if I shake my body,
I cannot produce pretty sounds,
But the bell that can ring
Doesn’t know as many songs as I.
The bell and the bird and I--
All are different and all are good.font>
I cannot fly in the sky at all.
But the bird that can fly
Cannot run on the ground as fast as I.
Even if I shake my body,
I cannot produce pretty sounds,
But the bell that can ring
Doesn’t know as many songs as I.
The bell and the bird and I--
All are different and all are good.font>