1984年に初めて教壇に立ったころ、
JICA卒業生の先輩から教えて頂いた言葉です。
Development Education
自治体の福祉教育の学校指定を受けた年に
福祉委員会を立ち上げ
「使用済み古切手収集」
「夏休みの施設訪問」
「ゴミ処理の行方調査」
「PTAの廃品回収のお手伝い」
.........
........
.......
何だか色々やってきて3年後に研究発表をした。
校長先生が最後のホチキス留めを手伝って下さり
夜中のファミレスで、イチゴたっぷりのデザートをご馳走になった。
「3年間は何でも思いきりやりなさい
責任は全部とってあげるから」
今でも尊敬している初任校の校長先生のことば
教員集団はチームだったはずなのに
マニュアルなんてなくても、先輩達の背中を見て学べたのに
あの頃の女性で仕事を続けている仲間は誰もいなくなった
定年前のはずなのに.....
色々ないろを持っていた同僚男子たちは
其々の50代を迎え、現場で指揮をとっているはず
初任校は廃校になってしまったけれど
丘の上にある校舎は東京湾を見降ろし
生徒と一緒に駆け上がった174段の階段に続く
壮年を迎えたあの頃の15歳たちはどうしているのだろう。
応援してるよ
いつでもどこでも
「迷惑掛けてもいいと思うよ」
卒業文集を紐解いてごらん
迷惑をかけ続けた私たちがいるから
5月27日 横須賀市立上の台中学校 創立記念日 懐かしいね。