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s葬儀屋の私がカープの監督になった…第2話

2009年07月29日 17時09分03秒 | 広島

この物語は架空の話です。

登場人物は実在しますが、

あくまで推測です。

 だから、楽しく読んで下さい。

 もし、異論があれば、

すぐにやめます。

カープ関係者の皆様…

 架空ですから

誤解のないように

してくださいね。

 

 

永田は、通訳のジョー古川の言葉に驚いた。

「監督は、前田の打撃技術には、一目置いている。

しかし…守備力や走力は計算できない。新球場は左右とも

広くなり、これからは守備力を含めた機動力が重要視される。

そのためには、赤松や天谷などの選手がカギを握れる。

前田をスタメンで計算すると、監督の目指す野球が出来ない。

ましてや将来の構想も立たない。この方針を変えるつもりは

100%ないと語っている・・・」

 

永田には、その言葉の持つ重要さが理解できた。

しかし…前田に対して、これからどのように伝えていけばいいのか

しばらく考え込むしかなかった。

 

「意気に感じてプレーする男…ましてや野球選手はスタメンで出て

ナンボじゃ…と口癖のように語る男だけに、監督の言葉はストレートに

伝えることはできん…」

 

時間を見計らって、前田の激励に、大野グランドへ行ってみた。

「永田さ~ん…元気っすか…」

前田がいつものように声をかけてきた。

 

「元気そうじゃの~…どうや調子は…」

「相変わらずです…」

「いまは寒いけど、開幕には照準合わせよ…」

 

前田は無言であった。

 

永田は…「どうしたんない…開幕は大丈夫よの…」

と、再度確認した。

 

「永田さん…ワシもうええんですよ…」

「バカ言うな…オマエなにぬかしようるんや…

お前抜きのカープはないんでェ。監督もオマエの復帰を待っとる」

 

「ワシ…わかるんですよ。マーティーが、ワシをあてにしてないの…

じゃけん…今年はもう試合に出まあと…」

 

「アホか…オマエがおらんと、どうもならん。タケ(小早川)や内田さんも

そうよってじゃい…とにかく開幕…いや…お前の気力で5月までには

出て来いよ…ワシは待っとるでェ…」

 

永田は前田の肩をたたき、大野練習場を後にした。

車中で…(監督の言葉は、ワシだけに納めとこう)と思った。

 

オープン戦が終わり、シーズンは開幕した。

東京ドームの巨人戦には、前田不在を感じさせなかったが

その後…徐々に前田不在が、チーム内に影響を及ぼし始めた。

 

投手陣は大竹、前田健太、ルイス、斎藤をはじめ、中継ぎ陣の

奮闘もあり、安定した投球内容であった。

 

しかし…打線が停滞し、僅差で星を落とす展開にファンはもとより

フロントも業を煮やした。

 

松田オーナーは

「どうなっとるんじゃい…じゃけん去年契約で揉ましたとき

解任じゃ~言うたんよ…」と、まくし立てた。

 

聞き役のフロントの一人は、「仕方ないですよ…あの時はあれしか

方法がなかったのですから・・・なんせ誰も監督を受けない状況でしたから」

 

そうは言っても、何とかしなければならない。

フロントは、元西武のマクレーンに再度交渉した。

実は、昨年も動いた経緯があった。

しかし…マクレーンの年齢が36歳だったので、異論も出た。

 

「昨年オフに、アレックスを解雇したとき、年齢による衰えを

公表しましたよね。それなら、国内トレードで日本人野手の獲得に

動いた方がいいのでは…2軍にも松山や鞘師もいますし…」

 

しかし、オーナーは大砲を熱望した。

西武在籍時のマクレーンの長打力…これが忘れられなかった。

「エエワイ…すぐにシュールストロム(駐米スカウト)に電話して

マクレーンの身分照会を急げ…ほいで、2000万の出来高で1年よ…」

 

もうさすがに…どうでもよかった。

 

前田の存在さえ忘れてしまう状況に

苛立ちは拍車をかけていた。

マクレーンが来日した。

球団事務所にやってきた、マクレーンと対面したオーナーは

腰を抜かしそうになった。

ナゼなら…西武時代の面影が無くなっていたからである。

頭髪は抜けおち…体重は30キロくらい増加し、まるで同姓同名の

別人かと思った。

 

オーナー室に帰り、すぐに国際電話をした。

「あれはホンマに、西武におったマクレーンか…」と、流ちょうな英語で

シュールストロム駐米スカウトに確認した。

 

「間違いないです…」

 

オーナーは渋々、電話を置いた。

 

「こりやぁ…えらい買い物したかもしれん…」

 

オーナーの予感は当たった。

 

これまで大半が外れだったのに、変な予感は当たると

オーナーは内心苦笑いをした。

 

マクレーンは予想通りの結果になった。

 

チームも交流戦は健闘したが、リーグ戦再開後

また貧打を繰り返した。

コーチ陣もお手上げ状態であった。  つづく

 

 

 

 

 

 

 


小説…葬儀屋の私が、カープの監督になった

2009年07月29日 09時42分47秒 | 広島

この小説は架空の話です。

登場人物は実在しますが、あくまで推測です。

だから、楽しく読んで下さい。

もし、異論があれば、すぐにやめます。

カープ関係者の皆様…

架空ですから誤解のないようにしてくださいね。

 

 

 

平成21年…広島カープは、新球場完成で大いに盛り上がった。

開幕まもなく、それなりの好成績を残し、セパ交流戦では

過去最高の成績を残し、ブラウン采配も軌道に乗ったと

誰もが確信した。しかし…

 

悲劇は、その交流戦後に始まった。

このシーズンは、当初の予想を覆し、投高打低で推移した。

その予兆は、開幕前の前田智徳の離脱で始まった。

 

前田はキャンプ当初、燃えていた。

しかし…待てど暮らせど、指揮官からレギョウラーの確約が

もらえず、暗中模索の日々を送っていた。

 

たまりかねた前田は、指揮官に打診を決意した。

しかし…その朝、スポーツ新聞に掲載された記事に

大きな衝撃を受けた。

 

「私の構想には、前田はレギュラーとして決めていない…」

 

前田は、その新聞で発せられた、指揮官の言葉に失望を覚えた。

 

「ナゼ…新聞でなく直接話してくれないんだ…」

次第にその思いは、やるせない怒りに変わった。

 

その時、たまたま通りかかった、守備コーチの永田が声をかけた…

「どうしたんない…さえん顔してから・・・」

前田は無言で、その場に掲載された記事を、

永田に見せつけるがごとく置き、立ち去った。

 

永田もその記事を見て驚いた。

 

ナゼなら…昨日までの練習では、まるで今年に選手生命をかけて

いると感じる練習を、前田は行っていたからである。

 

永田は、寡黙とか求道者とマスコミが報じる前田の姿は虚像だと

知人に話していた。ナゼ、前田は誤解されて報道されるのか

不思議でならなかった。

 

それだけ前田は、永田に心を許していた。

 

選手としての実績は、前田にかなわない永田であるが、後輩の面倒見は

コーチ陣の中では、1・2を争う。

それだけ、永田の周りには、いつも選手の輪ができた。

 

永田は前田の胸中を案じた。

「腐らなければいいが…」

 

その嫌な予感は的中した。

 

数日後、コーチ陣に1枚の紙が回ってきた。

「前田智徳…足の治療のためオープン戦は不参加

リハビリ組(3軍)に移動…」

 

永田には、前田の思いが痛いほど理解できた。

「つらいよの…昨年も気力体力充実していたのに、代打屋だった。

トモ…我慢せいよ・・・と言った時のアイツの顔…忘れられんわ…」

 

そんな永田が一度だけ、指揮官に申し出た。

「前田をレギュラーで使ってほしい…それもゲームの流れを読みながら…」

永田が申し出た、ゲームの流れとは…

前田がレギュラーに出ると出ないでは、相手の心理が大きく違う。

前田には、1打席に集中する技術も他の選手とは比較にはならない。

しかし、4打席の打数の中には、前田にしかやれない仕事がある。

それは終盤にもつれた試合である。

前田の打撃センスは球界では一番である。

そのことは、球界関係者の誰もが認めている。

 

永田には、勝ち試合で点差がある場合は、前田を5回でベンチに下げ

休養させ、他の選手にも経験を積まし、競った試合では終盤まで起用する。

その方が、チームのためにも、前田にもいいと感じていた。

その思いを、指揮官にぶつけた。

 

通訳のジョー古川は、永田に指揮官の思いを伝えた。

 

その言葉に、永田は驚いた。 つづく