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あの頃カープは強かった…NO・8

2012年03月25日 12時27分15秒 | カープ

トランペット軍団…いまではどこの応援団に見られる光景である。

しかし発祥は・・・赤ヘル軍団の黄金期に、広島市民球場からスタートした。

そして・・・わたしは、そのとき球場にいた。

 

あれは忘れもしない。

昭和53年の4月。

対巨人戦・・・

先発は高橋里志であったが、初回に4点を献上され3回で降板ト。

さて次のマウンドには、三輪だろうな~と思い、アナウンスに耳を傾けた。

すると・・・「ピッチャー江夏」のコール・・・

 

このコールに、スタンドの観客は大いに驚いた。

そしてカープは終盤大逆転し、江夏投手が勝ち投手。(確か5イニングを投げきった)

打っても江夏投手は3本の2塁打を放ち、まさにこの試合の大立役者であった。

 

話が脱線したが、この試合

私はセンターのバックスクリーン横にあるスコアボード下で父と弟の3人で観戦していた。

 

そして、7回カープのラッキーセブン。

この回、先頭打者ギャレットがバッターボックスに入ったときである。

背後から・・・トランペットの音が聞こえた。

振り返ると、一人のお兄さんが立ち上がり、アメリカ国家の吹奏を始めた。

この光景に多くの観客は驚きながらも、吹奏が終わると大きな拍手が起こった。

(当時巨人のセンターを守っていた柴田選手も、思わず拍手をしていた)

 

次の日・・・テレビで観戦すると、昨日のお兄さんはいつの間にか、山本浩二ファンクラブのハッピを着て応援団の仲間入り。

その後、カープがチャンスを迎えると、コンバットマーチを奏で、また山本浩二のテーマソングも考案し、球場を大いに盛り上げてくれた。

赤ヘル軍団が黄金期を築いた裏には、トランペット軍団の躍動も大きな原動力になったものである。 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (広島人)
2012-03-25 20:44:32
私も当時何故か3塁側で応援してました
確か3打席連続2塁打と記憶してます

振り返ってみると
4番王は凄かったなぁ
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懐かしい想い出をありがとうございます (元山本浩二ファンクラブトランペット軍団リーダー平岡毅)
2012-03-26 17:11:31
自分自身忘れかけていた記憶が蘇ってきました…あの演奏の後、ファンクラブ会長が来てビールを飲ませてくれ一緒にやろうという話しになったんですよ。それにしても懐かしいな~
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