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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

水害の佐用から1年

 昨年の8月9日、台風による水害で佐用が大変だった時今日と同じく東京にいました。正直言ってとても大事な仕事をしていましたので随分迷いました。最初はまず一日でも応援に行こうと12日夜に姫路まで入ったところでレンタカーがいっぱいで借りられずその日は姫路に泊まらざるを得なくなりました。翌朝一番でレンタカーを借りにいき何とか佐用に入りました。インターを出たすぐのところで作業用の長靴と皆さんへの水と食料を買い出してまずは役場に向かいました。

 まちづくり課には知らない方々が並んでいました、不明者の捜索や倒壊した家屋の復旧に追われている状況が役場2階の緊張した空気でひしひしと伝わりました。当たり前ではありますが番組づくりでいつもニコニコしていたあの久保さんでさえ顔つきが違いました。不眠不休の皆さんが走り回り、2階が大部屋方式で全職員一致して事に当たっていることがよくわかりました。

 復旧をお手伝いに来られた地元姫路ケーブルテレビの部長や自衛隊の隊員さん、ケーブルテレビは緊急バッテリーさえも浸水で完全に停波してしまっていたので技術者さんも行ったり来たりで一刻も早い復旧に、と奔走されていました。わたしは現地の様子をまず肌で捉まえて、一度東京に引き返し継続支援の態勢を作ろうと考えていましたが・・。 つづく

@写真は役場2階、緊張続く全職員の打ち合わせ

@八百万人紀行
http://www.yaoyorozu-hito.jp/
水害時の佐用町を地元住民ディレクター有本宏郎さんと一緒に歩いて激励しながら被災者のみなさんを取材した模様があります。

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