民放での住民ドラマ初監督となった「平成元年のタイムスリップ」は熊本市の中心商店街を舞台にタイムスリップしてきた熊本市電の運転手の人生を巡って織りなす家族愛を描く娯楽作品でした。
そして第2作は鹿本郡市広域行政組合との共同制作で、不老不死の男と革命家で浪曲師の宮崎滔天の長兄宮崎八郎との出会い、謎の「八郎の壷」を追いかけるサスペンスも絡み「生きる意味を考える」ドラマでした。今振り返れば宮崎滔天は「花子とアン」を支える白連の最後の夫、宮崎竜介の父でドラマの八郎は叔父にあたり、白連と別れることになる炭坑王 伊藤伝右衛門の炭坑がある東峰村の歴史ともしっかりと繋がっています。
さて、このドラマでは6市町村(当時?)の自治体からドラマ制作班を組み、住民の方々に企画の段階から出演者交渉、ロケ地の準備、大道具小道具などの手配などをすることでドラマ作りに積極的に関わり、本格的にノウハウを身につけてもらう地域活性化ドラマとしてのスタートを切りました。「住民ドラマ」は結局、ドラマ本体よりもむしろこういう後方支援的な作業の円滑な動きを創ることが成功の鍵で2作目は親しい永村ディレクターに監督は譲り、わたしはプロデューサーに徹しました。
「番組づくり」が「地域づくり」となるドラマでの地域活性化創造プロデューサーの本格的な誕生の時でした。当時坂東玉三郎さんが応援して復興をはじめたばかりの芝居小屋 八千代座でドラマPRイベントを組み、運動会の夜に満員御礼の中、住民ドラマの大宣伝会が実現しました。
そしてその後、奇しくも八千代座復興に関わる玉三郎さんのドキュメンタリーを制作することになります。
*住民ドラマの作り方講座 うきはICT寺子屋主催