東日本巨大地震の状況が見えてくるに連れて今から約25年ぐらい前に熊本県水俣市の水俣病患者支援グループの人達が毎晩のように話し合っていたことを思い出します。
計画停電ということも被害の甚大さに誰も反対を唱えることさえなく粛々とすすめられているように感じますが25年前にはこういう状況ではなくまだ誰もが高度経済成長の延長線上にあった時期です。無農薬野菜は例えば水俣では先見の明のある農家や水俣病患者支援者の方々から出て来ていましたがまだまだ理解されず売れない時代でした。
球磨郡山江村ですでに完全無農薬野菜栽培に取り組んでいた松本佳久さんは周囲の農家から「おまえんがたの(お前のところの)田んぼが農薬を使わんから、うちんがたの(うちの)田んぼに虫が出て来て困る」と言われていた時代です。この時代に水俣の生活学校という「生き方」塾では「水俣病を起こした原因企業のチッソ水俣が実は電灯やテレビの配線の重要な部分を作っていて日本ではシェアも最も大きく、我々が夜にこうやって勉強会を開けるのはチッソ水俣のおかげでもある」と校番(水俣生活学校の塾頭)が話していました。
「チッソ水俣が起こした公害病で苦しむ患者さん達の支援をしている自分たちがこうやって夜に集まって勉強会をやれるのは原因企業であるチッソ水俣のおかげでもある」という矛盾というか現実をこの校番は見事に捉えておられました。東京等の都会からやってきてた青年たちは複雑な表情をしていたことが目に浮かびます。今、福島の原子力発電所で起こっていること、それを冷静に受け止めて何ができるかを考えている国民(である私たち)、最もしんどいところにおられる被災者の皆さん、計画停電が問題はあっても受け入れられている日本という国の相互扶助精神はきっと長い長い日本の住民の歴史の中で培われて来たことでしょう。
わたしはこの水俣の悲惨な公害病の現実の中で一人の生活者として考え、行為する当時の水俣生活学校の皆さんのことがずっと心にあります。特に今回の東日本巨大地震を日本人として共に経験したことからあの時代のあの人々の精神が今の日本に確実に伝わって来ていることを強く感じます。
そしてわたし自身はその水俣で苦悩するひとたちのことを日テレ系の当時のH番組「11PM」で企画、放送したのです。木曜イレブンの藤本義一さんが理解してくださって実現しました。テレビの活力がまだまだあった時代です。わたしは今、福岡県の人口2600人の小さな村でこの精神を具現化することに専念しています。