松陰(伊勢谷友介)の弟敏三郎はろうあ者です、兄松陰の志を最も受け継ぐ気概があっても周りのみんなに伝えられない苦しさを抱えていました。安政の大獄が始まり、松下村塾も閉鎖され、幕府の弾圧が強まる中で松陰は老中暗殺という奇策に出ます。しかし高杉晋作、久坂玄瑞をはじめ塾生たちの誰一人も立ち上りません。
松陰は業を煮やし、死ぬことで志を伝える以外に道はないと悟ります。その兄がつながれている牢獄に弟敏三郎が訪れます。「自分がやる」、手話で、表情で、これを伝えに来たのです。誰よりも兄を尊敬し、誰よりも兄の志を受け継ぐ敏三郎の必死の願いに松陰はNoと言います。勝手に出て行こうとする敏三郎を牢番に止めるように頼みます。・・・。
さて今回わたしが最も注目したのはここです。ドラマのシナリオ、演出スタッフはドラマゆえにか?「ありえない松陰」を描いてしまったと感じました。松陰は弟子たちに老中暗殺を命じる立場です。揺らぐ塾生、その現場を知る文(井上真央)が兄をなじります、小田村伊之助(大沢たかお)も「お前は先生(と呼ばれる)に値せん」と糾弾します。が、松陰は「彼らは志を共にする同志なので覚悟はできている」と一蹴します。
その松陰が塾生でもある弟敏三郎が自らの意志で決行しようとしたら、無理やり行かせないように止めてしまい、弟の生命を守ろうとするのはどう考えても矛盾します。他人の塾生たちは「死ぬのも覚悟の上」、と言い、自分の弟は特別扱いで守るでは志とは言えません。塾生たちに何の申し開きもできませんからこういうことを松陰がするわけがないとわたしはおもいます。
ドラマは元々がフィクションなので弟が兄の代わりに決行しようとする、というシーンが大河ドラマ用に作り出されても勿論いいと思ってます。しかし、筋が通るようにしていかないと今後のシナリオに、松陰の行動原理に大きく影響します。わたしはいつも自分がその立場なら・・?と考えながら、当事者として大河ドラマを生きてますが、どうしてもこのシーンは解せません。これまでのドラマの流れで描かれた志をもって、誠をもって、日本を変えようと行動する松陰なら、塾生に生命を賭けて志を遂げることを一貫して伝えている姿からすると弟にも「わかった、よし行け」というしかないはずです。
追走しておられる皆様はこのシーンをどう見られたでしょう?
*「花燃ゆ」追走番組(16)は 4/18(土)13:50-14:05 とうほうTVの新番組「ふらっと☆日本」でお伝えします。
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