ババは自分のダルマを遂行し、人生を楽しみました。ババは自分を本当に信頼した人々には、信じられないような悟りを与えました。信じられないようなエネルギーをもって彼らを祝福し、深い愛の中で彼らと融合しました。
しかしババは、自分が生徒に関心を抱いているとは、絶対に認めませんでした。ババはいつも生徒達に真剣に集中するよう要求しました。その一方で、ババはどれだけ彼らを本当に信用していたのでしょうか?
だからこそババはタティアを何年間もひどく苦しめたのです。タティアはババに食事を作り、崇拝し、本物のセバをしました。その一方で、長い間本当に苦しみました。やっと最後になって、ババは授けました。最後になってやっと与えたのです。
哀れなマハールサパティは祭司をしていました。ババは寄付金をもらうと、それを周りの人々に与えていましたが、マハールサパティにはただの一度も、わずか1ルピーもさえも渡したことがありませんでした。ババはマハールサパティに対しては「来て、祈れ、祈ったら出て行け」と、いつも意地悪に、冷たく接しました。
本当に冷たくあしらったのです。しかしババは、タティアの事はまるで義理の息子のように扱いました。義理の息子というのはわかりますか?つまりババに娘がいたとしたら、その娘をタティアと結婚させたという事です。
「おい娘婿、こっちへ来い」と言っていました。ババは多くの信者たちとそのような関係を築きました。「おしさん」「父さん」「娘」などと呼びかけたのです。
これを書いた後、犬と散歩に行ったら、柿の実が落ちていた。他の実が大きく(子孫繁栄)なるための犠牲であろうか?自然の法則の中で生かされているのでしょう。人間は自分で運命を変える事が出来る。が、それを変えないで噛みついてばかりの、噛みつき亀になるのもどうかと考えます。
・甘えがダメ人間をつくり、やがて不幸へと導く
今の教育や世の中は、自分の為の教育に変わって行った。つまり自分一番で他人は二番になっていった。アメリカンファーストと同じ思考であろう。もうあなたの国の事は知りません。世界の警察官は辞めました。今後は自分の国の繁栄のためを一番の政策を行いますと、同じである。昔は違っていた。教育で世の中、人の為に役立つ人を育てれば国は繁栄し、豊かな平和な国になる思想で教育を行っていた。少なくとも寺子屋はそのような発想で行われていたであろう。それが今は、どうか?人を蹴落としてでも自分さえ良ければ良いに変わって来た。これが回り回って自分に跳ね返っているのであります。
世界の警察官といっても、所詮は他の国の資源や知識をかっぱらった強盗に過ぎないのであるが、相手にも都合の良い解釈と言うものがある。喧嘩になれば、どちらにも言い分はあり、収まる事はない。それを裁判で判断するのである、善か悪で裁くだけである。なら、ばれなければやったもん勝ちだと言う発想が生まれる。これらは全て人間中心の考えが全てだと言う錯覚において起こっている現実である。これが子育てにも行われている。おじさんが、怒っているでしょう。など人を対象に善と悪を教えているが、昔は違った。・・・・・神から見て正しいかどうかを子供に教えていた。嘘を言うと閻魔様に舌を抜かれるよ。お地蔵さんが見ているのよ。天(神)に唾を吐いてはいけませんよ。などなどでありますが、これが人間が対象になると、ばれなければ良いになって行くのです。
神は空でありエネルギーであるから、あらゆる三千世界(全宇宙)を見渡す事が出来るが、人間の目の視界は限られている。この視界に入らなければと考えるようになる。思考も同じである。顔色一つ変えなければばれないになって行く。目は口ほどに物を言うであるなら、サングラスをすればばれないになる。犯罪者の多くがサングラスで目を隠すのと同じである。・・・・・昔は違う。人を騙すことが出来ても、自分と神を騙すことは出来ないのよと教育をしていた。今子育てをしている世代は甘えで育った世代であり、その親が子を教育しているのだから、クレーマーが出現し、ちょっと触っただけでも、体罰などと言って教育の幅を狭めているのが現実であろう。
それがいつか自分の身に跳ね返って来る事を知らない。お受験だ。一流大学だと、自分のレベルを知らないのか?自分が出来もしない事を子供に押し付けている。いつか反発が返ってくるであろう。が、その原因は自分ではなく、人のせいや政治のせいにして、永遠に気がつかない錯覚の人格になって行く。おかしい人がおかしいと吠えているのが現実社会でしょう。自分を中心に政治家を選んでいる事が自分に跳ね返っているだけでしょう。少子化大いに結構ではないかと思う昨今です。夢は想いで、想いは大きくなり、永遠に叶う事がない夢で終わる。それを永遠に追いかけるのではなく、今の現状に「足るを知る」人間を育てて欲しい。足るを知れば、幸せを手に入れることができる秘訣だと考えます。