癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


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NO1421・ババとマハールサパティ3

2024-07-19 | カレシュワーラ、スワミ

 ある日、マハールサパティは我慢できなくなり、ババの所にやって来ました。「あまりにも不公平です。あなたは大勢の人々に沢山のものをあたえています。別に私はもらえないを気にしたことはありません。でも、どうして私に冷たくするのですか?

 

 あなたをシルディ村の人々に一番最初に紹介したのは私ですよね。私はあなたの為に本気で戦った一番最初の人間です。私はあなたを一番崇拝し、プージャをしすべてを執り行っています。ところが、あなたは私にちょっとした挨拶の言葉さえ、一度も掛けてくれたことがないじゃありませんか。

 

 どうして私には何も与えてくれないのですか?どういう理由があるのですか?」ババはこう答えました。「おまえのカルマがそうなっているのだ。あと少しで清算は完了する。おまえと私の関係は、神と信者との関係だ。

 

 他人の人々は皆、私を友人として扱っている。しかしお前は私を神として見ている。私はお前を信者として祝福している。もし私と人間としての関係を築き始めれば、それは非常に低級なものだ。

 

・現実社会を考える

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 いま少子高齢化で産めよ増やせよ、結婚しなさいと、あの手この手で迫って来るが、生涯独身の人や結婚しても子供を創らない人には、その理由が存在している。何故嫁に合わせて生活しなければならないのだ。自分は生まれたくなかったのに生まされた。その自分が子供を育てることが出来る訳がない。「いや~、そんなことは無いですよ。生んで頂ければ、後は国や国民が協力して育てますから大丈夫ですよ。」それで生んだ人は、必ずこう言うでしょう。「私は頼まれたから産んでやった」・・・・・その子供は、「私は産んで欲しくなかったのに」・・・・・

 なぜこうなったのでしょう?昔子供の頃このような言葉をよく耳にした。今は死語になっているのだろうが「貧乏人の子沢山」という言葉があった。貧しいから沢山の子供を産んでその中のひとりでも成功すればと、願ったのであろう。その元は貧乏だから、それから脱出するための方策だったのだろう。それが現代は裕福であり、AIなどの進化によって、その必要はなくなった。無理して相手に合わせたコミニュケーションを図る必要はない。

 スチームオーブントースター一台あれば、女房の料理も必要ない。愛情弁当もおふくろの味も死語になって行くであろう。そのようになったのは、資本主義経済の宿命である。便利さや合理性を追求した結果である。これが進化と言うものであるから、うざい子供を産まないのは、当然の理と言える。そもそもなぜ人口減が悪いのであろうか?人口が少ないと言う事は、資源の浪費が減るので、地球に優しい世界が出来るではないか。何故人口を増やそうと躍起になっているのか?我々が贅沢三昧したつけを子供に押し付けようとしているのだろうか?簡単に言えば無駄な物を使う人を求めているのであろう。税金を払う人を増やそうとしているのだろう。企業の歯車の一つである働きバチの予備軍が欲しいのであろうか?野党も同じ意見なのか?何故、少子化大いに結構と言える政党が出てこないのか?所詮同じ穴のムジナなのであります。それがもっともっと援助を増やせと、噛みつく異常な世界が出来上がっている。心の満足より体の満足を求める世界が出来上がっているのです。税金を払う為に産まされた子供が、まともな大人にるとは到底思われない。努力は忘れ、もっともっとと要求して来るでしょう。

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木の枝をばっさり落として日当たりと風通しを良くしました。ここにハンモッグを吊り、一人キャンプをしようかな。一人ではなく、犬と一緒にかな?

 

 

 


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