竹島の日「ほとほと嫌になった」日本人の韓国疲れ、原因はこれだった重村智計』 2019/02/22中国の「尖閣侵略」菅内閣でピリオドを打て
重村智計(東京通信大教授)
2019年3月1日、韓国は日本統治からの独立を目指した「3・1独立運動」から100年目を迎える。その直前の2月27、28日には、2回目の米朝首脳会談がベトナムのハノイで開かれる。
その場で、両首脳ともに会談成功を世界にアピールすることは間違いない。韓国では、米朝首脳会談と南北首脳会談への期待から、「3・1独立運動」記念の反日式典は盛り上がらないだろう。
そのような中で、今後の朝鮮半島情勢はどうなるのか、島根の報道関係者が私のもとに取材に来た。最近の日韓関係の悪化や自衛隊機へのレーダー照射問題、米朝首脳会談の行方、拉致問題など、一連の朝鮮半島問題について聞かれた。特に気になったのは、やや奥歯に物が挟まったような口調で「『竹島の日』記念式典はどうしたらいいですかね?」と最後に尋ねられたことだった。
その言葉には、公(おおやけ)には言いにくい思いが伝わってきた。私も新聞記者だったので、気を使いながら率直に質問の理由を聞いた。
実は、島根県内で「竹島の日式典をもうやめたらどうか?」との空気があるという。県外ではうかがい知れない「竹島の日疲れ」のようだ。でも、私は竹島の領有権を主張する根拠を失うから、「式典を続けるしかない」と伝えた。「竹島の日」記念式典は島根県の歴史的使命と思わなければならない。
竹島問題は複雑だ。日本国民や島根県民全てが「竹島評論家」であり、一家言ある。一方で韓国政府の反発も強い。ひとたび発言すると、誹謗(ひぼう)中傷の嵐に巻き込まれ、韓国側の抗議も毎回受けることになる。式典実施が「ほとほと嫌になった」という島根の感情は理解できる。
この現象は、私が朝鮮問題に取り組み始めた1970年代初めから続く「韓国病」「朝鮮病」に連なるものだ。1975年に韓国に留学した私は「韓国経済は発展する」「北朝鮮は経済危機」と書いたら、「韓国の手先」という非難や誹謗中傷の嵐が、88年のソウル五輪のころまで続いた。一方、94年には「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と書くと、「北朝鮮の手先」と批判された。「工作国家」である韓国と北朝鮮、一方の立場を代弁しながら「敵」を非難し合う、まるでエージェントのような人間が日本国内にも大勢いたからである。
だが、誤った「世論」との戦いは新聞記者の「生きがい」だった。報道の自由を守る新聞社と先輩記者、友人に支えられながら主張を続けた。
周知のように、竹島の帰属は日韓基本条約では「棚上げ」された。もし、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が「日本の領土」と認めていたら、朴政権は崩壊しただろう。
韓国は、国民をあげて竹島にこだわった。この感情と世論は日本人には理解できない。国家を失った民族の「国土侵略阻止」への信念である。
1965年に日韓基本条約交渉に合意し帰国した韓国側の代表は、空港で「竹島は韓国の領土と認められた」と宣言した。これが韓国民の原点である。しかし、日本政府が抗議することはなかった。
日韓両政府は、それぞれの政府が「自国の領土」と国内に説明することを「黙認」した。また、日韓閣僚会談などで双方が「竹島(独島)は、わが国の領土とそれぞれ主張し、記録に残す」儀式を行うが、公表しないことにした。ところが、この儀式による「棚上げ方式」は、1979年の朴政権の崩壊で忘れ去られてしまった。
「竹島の日疲れ」の根元は、単なる県レベルの問題ではない。日本の将来と国際的な地位や役割と直結する問題であると考える必要がある。
では、最近の日韓対立と、「韓国に軽く見られる」最大の原因は何か。それは、日本が20年以上も経済成長しなかった事実にある。
日本の国内総生産(GDP)は1994年からほとんど成長していない。約500兆円のままだ。バブル崩壊で生じた「経済成長は悪」「量より質」の世論もあってか、日本政府はあまり成長政策に乗り出すことはなかった。
一方、韓国のGDPは94年の約5倍に成長した。何よりも、一人当たりの名目GDPが日本に接近している。日本は約4万ドル(約400万円)前後で推移しているのに対し、韓国は3万2千ドル(約320万円)に激増している。
20年前は、日韓の格差がおよそ4倍であった。韓国民は確実に豊かになっているのに、日本国民の生活は停滞したままだ。5年前には、国際通貨基金(IMF)が、やがて韓国の一人当たりの国民所得(GNI)が日本を追い抜くとの分析も出していたほどだ。
一人当たりのGDPは、その国の大卒初任給と一致するという。その格差が大きいと「貧富の格差の激しい国」と言われる。
この現実の前に、韓国民に「日本から学ぶものはなくなった」という感情が生まれ、日本への尊敬の念が消滅した。単なる「反日感情」のみを原因にすると、日韓の真実から目を背けることになる。
韓国と韓国民には「長い間、日本に我慢した」という思いがある。経済面では、日本からの投資に頼り、企業経営を学んできた。冷戦下では、安全保障面でも日本に頼らざるを得なかった。冷戦崩壊と南北融和の進展により、韓国民は安全保障上の脅威がようやく消えたと感じている。
さらに、経済や安全保障面で「中国依存」が高まり、日本の必要度は急速に低下した。これが、日本にとっての「不都合な現実」なのだ。
米紙のインタビューで飛び出した文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の「天皇が元慰安婦の手を握って謝れば解決する」という発言は、普通の韓国民が「お茶飲み話」でよく語る話だ。「普段からの持論で、10年前から話してきた」と発言撤回を拒否した文議長も、そうした茶飲み話を日本の政治家に語っていたのかもしれない。もしそうならば、日本側も「それは無理です」と反論し、日本人の「天皇への思い」を説明しなくては、「日本側も受け入れた」と勘違いする。
韓国では、戦後の日本の変化や天皇の地位について学ぶことはない。日本国憲法に関する説明もない。「歴代首相や天皇の謝罪」についても、教科書には全く書かれていない。
これは、日本の教科書や教育でも同じだ。両国の戦後の社会変化と文化理解への教育と教科書がないのも「不都合な現実」だ。「日本が何度も謝罪した」という事実は、韓国民と日本人の常識になっていないのである。
米朝首脳会談は、世界の視聴者に向けた両首脳の「テレビ・ショー」である。トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は成果があったように演出する「天才」だ。2人は演出と演技による「成功」では、完全に一致している。だから、トランプ大統領は「良い関係だ」というのだ。
トランプ大統領としては、米国との戦争も辞さなかった国際的な「問題児」に市場経済と経済発展を教え、平和に導いたという「感動的なドラマ」を米国民に示せば大成功なのだ。
その裏には、核とミサイル実験中止を継続できれば、米国民が「非核化の遅延を問題にしない」というトランプ大統領の判断がある。米朝首脳会談の成功と南北関係の進展により、韓国の対日関心がますます「低下」することは避けられない。