韓国人による“壮大な自己批判”の試み『反日種族主義』は一読の価値あり!
10/11(金) 5:30配信 文春オンライン
ベストセラーになった『反日種族主義』 ©文藝春秋
日本の朝鮮半島統治をめぐる日韓間の歴史認識の違いで、もっとも象徴的なポイントは「日本はいいこともした」という“事実”を韓国が決して認めようとしないことだ。日本統治時代を経験した人など私的、個別的にはそう語る人はいた。しかし歴史教科書を含む学校教育やメディアなど公式の歴史観においては絶対認められなかった。いや、私的な場でもその主張はダメで、時には暴力沙汰にまでなる。韓国ではタブーになって久しい。
【写真】日本メディアに初登場! 『反日種族主義』の著者である李栄薫氏
その結果、韓国では日本統治時代に関する歴史は今も「抑圧と収奪と抵抗」だけで語られ、教えられてきた。異論は一切不可である。
それでも学問的には“真実”を求め、それを公論化しようという動きは以前からあった。日本による統治時代が朝鮮(韓国)の近代化の時期にあたっていたため、日本の統治が彼の地に近代化をもたらしたことは事実だったからだ。結果的に「日本はいいこともした」を認めようという主張であり、これは「植民地近代化論」といわれてきた。
学界的には少数派ながら、この「植民地近代化論」者の代表格としてこれまで、研究を通じ「虚偽の反日公式史観」と長らく戦ってきたのが今回、「文藝春秋」11月号 でインタビューした李栄薫・元ソウル大教授(68)だ。この夏、自らの編著で出版された『反日種族主義(ソウル・未来社刊)はすでに10万部を超えるベストセラーになっており、韓国社会に衝撃を与えている(編集部注:本書の邦訳版『 反日種族主義 日韓危機の根源 』は、11月14日に文藝春秋から刊行予定)。
李栄薫教授自身は実証主義的な経済史研究が専門。これまで日本統治時代については統計を基に人口増加の事実や、土地・食糧収奪のウソなどを究明している。しかし本書では慰安婦問題を精力的に取り上げ、今や定説化、公式化している「20万人の素朴な少女たちが日本軍に強制連行され性的奴隷にされた」説を虚偽と断じている。慰安婦問題こそが韓国社会を覆う「反日種族主義」による歴史的ウソの典型だというのだ。
このウソの慰安婦ストーリーによって慰安婦少女像が全国各地に立てられ、映画や演劇、イラスト、絵本が大量に作られ、政府制定の記念日まで生まれ、元慰安婦たちはまるで国家的・民族的ヒーローのようにもてはやされ、トランプ大統領歓迎の公式晩餐会にまで出席させられている……。
こうした韓国における“慰安婦シンドローム”の背景について李教授は、民族主義以前の前近代的な、いわば部族社会にみられるようなシャーマニズム(呪術)的な心理を指摘する。それに伝統的な“華夷文化思想”に起因する“日本への敵意”が加わり、迷信のような「反日種族主義」が生まれた。「そうした集団においては個人は集団に没我し、近代社会にあるべき“自由な個人”は存在しえない」という。
李教授にインタビューした9月下旬、ソウルの名門・延世大学では保守派の論客で社会学者(!)の柳錫春教授が大学の講義の際、「慰安婦は売春婦のようなもの」と語ったとして問題になっていた。
受講の学生が外部に“通報”し、それにメディアが飛びつき非難殺到となった。大学は担当講義を中断させ処分を検討中とか。一流大学でも「反日種族主義」から自由でないということである。
本書では「日本軍による強制連行説」の唯一の“証拠”として内外でもてはやされ、その後、日本では虚偽と判明した「吉田清治証言」のことが紹介されている。虚偽だったという“事実”を韓国に伝えたのはこれが初めてではないかと思うが、信じたくないことは知らなかったことにするのも「種族主義」かもしれない。
今や宗教化し異論(異端)排除には手段・方法を選ばない慰安婦問題だけに、タブーに挑戦する李教授の覚悟のほどが分かる。
本書には、いわゆる徴用工問題に関する韓国における「奴隷労働」説に対する実証的否定や、竹島問題について「韓国固有の領土」主張への実証的批判、さらには日本統治時代に朝鮮総督府が「韓民族の精気」を断つため各地の山に鉄杭を打ち込んだという、いわゆる“風水迷信”の実態など多くの「種族主義現象」が紹介されている。
韓国における日本がらみの公式化された多様な「反日ウソ」が、韓国人の研究者によって厳しく暴かれているのだが、李教授はインタビューの最後に「反日種族主義には日本のいわゆる“良識的知識人”にも責任がある。彼らには贖罪感という善意はあったかもしれないが、それが韓国社会で反日ウソが維持・強化される原因にもなった」と語っていた。
本書は韓国人にとっては壮大な「自己批判の作業」である。それがベストセラーになっていることを韓国社会のある種の変化の兆しとして期待したい。それ以上に李栄薫教授の安寧と「自由な個人」としてのさらなる健筆を心から祈りたい。
黒田 勝弘/文藝春秋 2019年11月号
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