先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

野田醤油争議写真集

2024年11月06日 07時00分00秒 | 1928年の労働運動

上・暴力団襲撃に立ち向かう野田醤油争議団のデモ行進


上・1928年初頭「父と共に闘いに起つ」児童同盟休校


上・1927年争議の発端となった丸木運送店

上・会社の参謀本部の工場課、警察と頻繁に電話している

上・1927年会社の暴力団に破壊された行徳争議団出張所を臨検する検事一行

上・1927年9月30日「竹槍事件」を大げさにでっちあげた会社は争議団員46名を解雇してきた

上・1927年9月27日スト破りにより操業再開した第17工場

上・1927年野田劇場で演説する総同盟鈴木文治。日和見的な演説内容に争議団員は不満だった

上・1927年争議団本部のバルコニーから宣戦布告の演説をする小岩井相助

上・1927年第17工場前スト破りを阻止するピケ。テントを張り座り込む争議団(右側には制服・私服警官が)

上・争議団野田劇場での炊き出し

上・1928年争議団の女房ら120名が秘かに野田町を抜け出し松戸から上京をはかり、警官隊に検束阻止される

上・1928年4月1日最後の手段として宮内省、内務省に向けて「押し出し」闘争に決起した5千の家族

上・1928年4月19日会社重役と協議する鈴木文治や松岡駒吉、この日ついに敗北した

上・1928年4月19日野田劇場における悲痛なる争議団解団式。
頭を垂れる人々の表情を見よ!左側には子どもたちもいる
上・1928年4月20日敗北協定の日、正面喜色満面の会社側役員・銀行で解雇手当を受け取る争議団員

上・1928年4月解雇手当の小切手(松岡駒吉の名で)

上・「総罷業敢行にあたりて我等の態度を声明す」総同盟野田支部(1927年9月)

参照・日本労働年鑑第10集/1929年版(大原社研問題研究所編)

野田醤油争議敗北のまとめ(労働年鑑第10集より)
 1927年9月16日から1928年4月20日の戦前最長のストライキ野田醤油争議が敗北した。労働年鑑第10集は<経過>の中で会社側の作戦と争議団の行動を以下のようにまとめている。
(会社側)
 会社は労働組合を根本から破壊するためにあらゆる手段を使った。
一、政府(田中反動内閣)の有力者を歴訪し、(労働組合つぶしの)諒解運動を試み、その反動政策に期待した。
一、(大量な)暴力団を雇い、争議団に暴力的挑戦をし、争議団がこれに抵抗するのを待って官憲が一網打尽に弾圧し、争議団の崩壊をねらった。
一、野田町全体の商店主らを(野田正義団として)組織し、争議団の切り崩しと会社に有利な世論を作ろうとした。(争議団とその子弟に店の商品不買などでいじめた)
一、争議団員を暴力的に誘拐したり、切り崩し運動を文書・宣伝ビラ・家庭訪問など組織的に行った。
一、大々的組織的スパイを使い、スパイに多額の金銭を与え、購買組合の差し押さえ、組合幹部への偽誹謗情報を内部から流すなど争議団切り崩しを行わせた。
一、争議中、争議団員の大量解雇を繰り返し行い、争議団1000名の殆ど全員を解雇することで恫喝を加えてきた。
一、労働組合との交渉を拒否し、第三者の調停をことごとく斥け強硬な態度で臨んだ。
一、(スト破りのための)新工員を大量に雇い入れた。(付近の農村の村長などを組織し、農村の若者を狩り集め、組合には絶対に入らないという「黄犬契約」を結ばせた)

(争議団)
一、(スト破り阻止のための)ピケッティング(遠く茨城、埼玉県まで及んだ)
一、裏切者に対する制裁(争議費用のうち5百圓を弁償するとの誓約書)
一、新工員募集の阻止
一、直接行動(争議の深刻化が深まるにつれて増えた。正義団商店街への襲撃、硫酸事件、天皇直訴事件等)
一、亀甲萬の全国的ボイコット運動
一、家族運動(争議団家族5千名は、神社祈願デモ、県・政府への陳情、押しかけ闘争、家庭訪問運動など夫と共にあらゆる闘いをした。)
一、小学児童同盟休校と少年軍少女軍の編成(その数546名。共に学びながら闘いの伝令や炊事なども担った)

(覚書)
 1927年(昭和2年)9月16日以来続いた野田醤油株式会社における労働争議は、1928年4月20日以下の覚え書きを結んで終了した。
一、争議団は昭和3年4月20日に解散すること。
一、会社は解雇中より300名を採用すること。
一、会社は解雇者に解雇手当並びに生計援助費を支払うこと。
  イ、解雇手当ひとり平均二百圓(総額3萬5千483圓)
  ロ、生活援助費はひとり平均二百圓
付記
 一、刑事事件告訴は互いに取り下げること。
 一、解雇者は社宅を3ヶ月以内に退去すること。
これ以外に、金7万圓を争議費として組合に提供した。

 未曽有の長期にわたる野田醤油争議は、かくして終結した。この争議は全国の無産団体より熱烈な支持並びに援助が行われ、そのカンパは総計3萬6千余圓に達した。
以上


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