かつて荒川放水路と呼ばれていた荒川
(ネット検索「荒川放水路は1907年,10年の大洪水を契機として11年に着工され,24年に通水,30年に完工した。 現在は隅田川が派川(分流)となり,荒川放水路を荒川と呼ぶ。」)
1926年8月8日亀戸の東京モスリン争議団が、一里先の荒川の橋を渡った向こう岸の「葛飾本田渋江荒川放水路堤防の堤」までの遠足会を行いました。その数は応援部隊も入れて3,500名にも上ります。ちなみに、今、私が毎日散歩している河原が、まさに「葛飾本田渋江荒川放水路の堤」です。この記載を見つけた時は心底うれしくなりました。散歩しながら、ここに97年前、3,500名もの先輩争議団と応援労働者が ! 来たのか !とひたすら感激しています。