先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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秋田の小坂鉱山など鉱山労働者の闘い 1926年の労働争議(読書メモ)

2023年02月15日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

写真・磐城炭鉱(日本鉱夫組合)争議団 1927.02頃

秋田の小坂銅山など鉱山労働者の闘い 1926年の労働争議(読書メモ)
参照
「日本労働運動史年表 第一巻 明治大正編」青木虹二編 新生社版
「小作農民の証言-秋田の小作争議小史-」野添憲治・上田洋一 あきた文庫
「日本労働年鑑第8集/1927年版」大原社研編

1926年の鉱山における主要な労働争議
この年、全国の炭坑・鉱山で実に多くの労働者が立ち上がっている。

別子銅山(愛媛)前年より続く1600人 鉱夫組合
伊予鉱山(愛媛)1月                  188人   ストライキで解雇手当制度獲得
神の浦炭(福岡)1月     800人
小坂鉱山(秋田)前年より続く 農民の煙害闘争に呼応して70人の鉱山労働者決起、3月8日56人解雇 鉱夫組合・農民組合
三池鉱業(福岡)3月          大牟田合同労組
三菱鉱業金剛炭坑(北海道)4月  33人 賃下げ反対 
川崎炭坑(福岡)5月     210人 
金砂鉱山(愛媛)5月       23人   解雇手当制度を要求
茨城無煙炭抗(茨城)6月   200人 鉱夫組合
吉野鉱山(秋田)6月     組合幹部解雇に反対全山スト 40人が抗議退山
6月鉱夫組合、イギリスの炭坑スト(5月)に連帯のメッセージ送る
杵島炭坑第二抗(佐賀)7月  1,300人 
平山炭坑(福岡)7月     1,300人 賃金不払い反対、解雇手当制度要求
磐城炭坑(福島)8月9月      60人   賃下げ反対、監督排斥
三笠炭坑(福岡)8月       30人   5割賃上げ、公傷手当の増額でスト
松島炭坑(長崎)8月          賃上げ要求でスト
佐渡鉱山(新潟)9月     600人 12時間労働を8時間へ
大根土炭(福岡)9月     700人 鉱夫組合
三菱鉱業第六抗(福岡) 9月    600人 賃上げ、最賃制でスト  坑夫組合九州聯合会
大正鉱業中鶴炭坑(福岡)9月1,700人 賃上げでスト
大嶺無煙炭抗(山口)9月     350人 8時間制要求、賃上等でスト
大倉鉱業茨城無煙炭抗(茨城)2月・7月・9月    200人 鉱夫組合 賃金不払いでスト、
尾去澤鉱山(秋田)10月    1,800人 最低賃金・組合加入の自由を求めスト  鉱夫総聯合
飯盛鉱業所(和歌山)10月   130人 賃上げ 評議会
小田炭坑(福島)12月     1,500人   解雇反対、賃金不払い根待遇改善を求めスト 鉱夫組合

秋田  小坂銅山の闘い
1923年
秋田の小坂鉱山争議と可児義雄
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/517881e4861c87995c470a365b2c2508

1925年
秋田県小坂鉱山煙害反対闘争
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/6d2062d2406b7d735d8414213f3be595

(農民組合と労働組合の連帯)
秋田の小坂銅山では、1923年から藤田組に対し銅山労働者が立ち上がった。1925年には、小坂銅山の煙害問題で周辺の農民が決起し激しい煙害闘争が繰り広げられた。この小坂銅山煙害と闘う農民を支援するため、日本農民組合と鉱夫組合(鉱夫総連)が連帯して立ち上がった。煙害(公害)企業自身の労働者の決起は画期的な出来事であった。日本農民組合からは加藤勘十、浅沼稲次郎、川俣清吉ら、鉱夫組合(鉱夫総連)からは可児義雄らが現地に駆け付けた。

(暴力団による襲撃)
1926年3月3日、細越の農民組合約300名が鉱山に押し寄せたところ、鉱山側が九州で何十人と雇った警戒夫という名の暴力団員や在郷軍人が、闘う農民に対して暴力で襲撃してきた。農民側に多数の負傷者が出て、この事件を知った東北6県労働組合会議は、各県支部に緊急応援を要請する電報をうち、各県の労働組合は総力をあげてカンパ活動や組合員の現地派遣を決め、続々と小坂銅山に押し寄せた。

農民組合と全秋田労働組合は共同戦線を張り、銅山側に次の3か条を要求した。
一、今回の暴力事件はすべて銅山側に責任があるので、銅山側は被害者に謝罪すべき事
一、秋田市内の三新聞に謝罪広告をだす事
一、銅山側は賠償をする事

3月5日には農民組合と労働組合が連携した大きな反撃デモが敢行された。農民は上は70歳の老人から、下は10歳ぐらいの子供のほか、女性は全員参加し、応援部隊鉱夫組合(鉱夫総連)とあわせ約300人の隊列が、3本の農民組合と鉱夫組合の旗を掲げ、口々に「賠償金を払え」「暴力を謝れ」と叫びながら銅山に向けて戦闘的に行進した。

(銅山の中から労働者の決起)
3月8日、銅山の工作課の労働者約70人が賃金3割増要求と待遇改善を求め鉱夫組合を結成してストライキを決行した。農民の闘いに連帯した画期的な闘いであった。銅山側はたちまちストの組合員の中の56人をクビにし、同時に銅山周辺に3千ボルトの銅線を張り巡らし、暴力団と御用組合交誠会の鉱夫、消防団員、在郷軍人ら約200人に武装させて溶鉱炉を守らせた。さながら戒厳令下のようであった。その上銅山側は農民への煙害補償金の交渉も打ち切ってきた。

(竹ヤリ事件)
3月20日には、ついに竹ヤリ事件が起きた。銅山に雇われた暴力団が、農民をこん棒や石で襲撃してきて10数名が傷害を負い、中には重傷を負わされた仲間もいた。これには農民や応援の労働者は怒った。男たちは手に手に竹ヤリや木刀、こん棒を持ち、女たちも手にカマや目つぶし用の「灰」を用意し続々と集まってきた。200人ぐらいが突進し、途中の警官の阻止線をも突破し、東渡羽の暴力団の詰め所になだれ込んだ。翌朝も女たちは炊き出しをしたり、まるで戦争状態だった。

(変電所襲撃破壊)
3月26日、銅山側は、すべての騒ぎの原因と責任は農民・労働組合側にあるとする、まるで農民・労働者への挑戦状のような声明書を小坂町各戸に全面配布した。この銅山側の態度に憤慨したストライキ争議団と農民組合員は深夜ひそかに一団となって厳重なる警戒線を突破し、精錬工場に侵入し、その原動力たる送風機を破壊し溶鉱炉の機能を完全に止めてしまった。

(小坂警察分署長の調停成立)
一、解雇された43名の解雇を撤回し復職する(13人は解雇)
一、負傷者への見舞金500円の支払い
など調停による妥協が4月7日に成立した。

なお農民への煙害賠償問題は交渉中で、いまだ未解決である。



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