鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【映画視聴感想文】『The 5 wave』 観た

2017-01-09 05:07:30 | 感想文
姉が俺のクロエ・グレース・モレッツを好きでいることを知っていることからお勧めしてくれたことがキッカケ。先ほど観終わった。みゆきちとクロエのタッグは反則。それを除いても面白かった。映画館で観てたらちょっと高かったかなって感じ。

地球侵略系、滅亡系ははっきり言って食傷気味なほど溢れてるが、現代においては然るべき流行なのかな、とも思った。というのはなぜかといえば、人類がここまで繁栄してきたからだろう。地球の攻略をある程度済ましたら次なる世界が宇宙やその他になるのは人間の好奇心的には当然の結果だと思うし、人類が身内同士の争いをやめるにはもう新たな敵を得る以外に無いと言っても過言ではない気がするから。

ターミネーター
プレデター
スター・ウォーズ
バイオハザード
etc.

『フィフス・ウェイブ』では、異星人が地球を破壊し尽くさない程度に攻撃を重ねていく。

start
宇宙からの侵略者が来訪
wave 1
電磁パルスでデジタル機器(自動車とかも)を不能
wave 2
地震(+津波)
wave 3
鳥インフルエンザ
wave 4
偵察ドローン
wave 5
人間に紛れて虐殺

人類が築いた文明は壊滅状態になって荒廃。孤独な旅を続ける生存者は難民キャンプに集まる。ある日、そこに動かない筈の自動車(軍用車やスクールバス)が訪れる。成人と子供を隔離して、成人は排除。子供に洗脳教育をして嘘の情報で操って各地に生き残っている人間を殺すために徴兵。敵を認識するためのレンズをつけたヘルメットが、対象の頭部を緑で映し出す。wave1~4のような大量殺戮兵器の力を使えば人類を根絶やしにすることは簡単な筈だという至極尤もな推論と、なぜアザーズはわざわざ人間に扮して生き残りを殺そうとしているのかという疑問が、徴兵された作戦チームの一隊を真実に導く。

書いていて思った。「あれ?なんかこれ高野和明の『ジェノサイド』と似てね?」って。ストーリーも舞台も全然違うんだけど、選別された作戦チームが実は司令官に騙されてるっていうオチが同じ。まあ俺の知ってる話が少ないってだけで他でもたくさんあるんだろうけどさ。とはいえ気付けなかった時点で、それを理由に評価を下げる資格はないしそんなつもりも無いからいいんだけども。

早々こんな状況(人類滅亡の危機)ってのは訪れないだろうまさか自分が生きている間に、とは思うんだけどどうしても「もしもこうなったら…」と考えずにはいられないんだよね。とりあえず生存するためには食料と水の確保、次いで安全ってなるじゃん? 

・雨風の凌ぎ方
・暑寒への対処法
・害獣や害虫(山/森/沿岸など)への対処法
・救難信号の基礎知識
・怪我の応急処置の仕方
などなど挙げたらキリがない「生きていくための知識」について考えること、考えさせられる機会が多くある。こういう作品を見た直後でなくとも。

フィフス・ウェイブの作中では青年エヴァンが、太腿を狙撃されたキャシーを自宅で介護する。止血して患部を消毒、傷口を縫合、描写はないが恐らく銃弾は取り除かれていて、ベッドに寝かせて点滴。覚醒したキャシーの基地に向かうという目的に同伴している道中では的確な方向感とキャンピング。

それらがどうしたかといえば、「ふむふむなるほど」と勉強になっただけである。デジタル機器が不能になったら自分の居場所と目的地への道を知るためにまず地図を入手すること。学校での理科の成績が良ければ天体を頼りにある程度の方向がわかるだろうが、年齢によっては記憶が曖昧なやつもいれば不真面目なやつもいるだろうということでまずは地図。ゴーストタウンがあれば、コンビニエンスストアやフードコートで清潔な水と賞味期限が長く携帯しやすい食料を探す。それぐらいならまあ誰でも思いつくが、青年エヴァンが行った救命活動はどうだろうか。医療というのは非常にシビアで難解なものだというのが馬鹿な俺の見解だ。心肺蘇生法ぐらいなら肋骨を無視しても心臓へのマッサージが優先という程度には知っている。義務教育でも習うし、自動車学校でも必須授業だ。しかし傷口の縫合や怪我人への対処法となると、患部や症状の重さによってはすぐにお手上げである。喉に食べ物が詰まったら背中を強く叩く程度の対処法しか知らない。エヴァンが施した怪我人の手当てというのは、義務教育や自動車学校で習う応急処置の仕方と同じで、第二言語やプログラミングや流行のファッションおを知るよりも遥かにマストな知識なのではないだろうかと感じた。

税収があって、医療機関があって…というのは世界が平和だという前提に成り立っている。正常バイアスは日常のストレスを軽減してくれるが、我々人類は少し…どころか極めて甘ったれた環境を生きているのかもしれないと思わずにはいられない。10人いたらそのうち何人が仲間を失血死から救えるだろうか?
救命士が助けてくれるのは救急車が走れるという前提がある場合に限り、ドクターヘリが飛んできてくれるのは優先順位が明確で電子機器が正常に機能している場合に限っている。フィフスウェイブのような異星人からの大規模攻撃を受けてまさか負傷した自分が優先して助けてもらえるとは思っていないよね?

自分の身は自分で守らなければならないし、助けたい人を助けてくれる人が自分以外にはいないかもしれない。その時に頼りになるのは自分の血肉になっている知識の”確かさ”だけである。調べればわかることは調べられる時にしかわからないということと同義である。攻撃する側の異星人からすれば人類は外部記憶に頼りすぎていて脆いところが丸見えかもしれない。外部記憶に限らず、免疫能力も同じで、マスクやゴーグルなしには空気感染に対応する術を持っていないように、薬や衣類などといった(外部である)”道具の能力”に依存している。これは地球上の生物の中で進化を停めた代償でもある。異星人にとっては意外にも人間より小さな虫や微生物のほうが脅威という可能性すらあるかもしれない。もし(完全に)人類が滅亡した後に異星人が侵略に成功したとして、その後の話がまだ続く映画があれば、その異星人はこれまた人類と同じ道、つまりは地球上で出現した脅威、例えば人類にとってのインフルエンザやSARSやエボラやAIDSといったような大げさかと思われるかもしれないがそれらのウィルス達がここまで脅威としての地位を築いた経緯を考えれば至極可能性のある話である。

とまあ話が四方八方に逸れて脱線どころではないわけだが。

不思議なもので、こういう話が楽しくてしょうがないんだよね。リチャードドーキンスやチャールズダーウィンを筆頭に遺伝子とか進化心理学の話が好きなのも、”起源”に期待しているからなのかなって今書いていてふと思った。

サバイバルを生き抜く方法云々はその派生に過ぎないと思うんだけど、要は厨二っぽく言うと「生きる意味」が知りたいんだと思う。遺伝子ビークル説によってそれはある程度もう済んだ話なんだけどね。

とにもかくにもみゆきちとクロエのタッグに圧巻。耳も目も幸せでした。見終えてすぐこれ書いたよ。一服挟んだけどその際スマホも触らなかったしTV画面を切り替える時にどうでもいい情報を挟みたくなかったらちゃんと工夫した。余韻は大事。これまたくどいようだけど書いていて思ったことが「この余韻っていうものも人生の中で結構かけがえのないものじゃね?」って。

だって人生で一回目っていうのは、健康な記憶力であれば高齢時ボケてからじゃないと永遠に体験できないわけですよ。厳密に言えば酩酊して記憶飛ばすとか方法はあるかもしれないけど。青春とか友達とか家族との思い出と肩を並べるには少し大げさかもしれないけど、こういう余韻って凄くデリケートで一度その扱いを間違えたらもう取り戻せないという意味では価値がそう違わないんじゃないかな?

おーわりっ
コメント (2)
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