鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】時間も金も足りない時

2017-01-17 13:21:02 | 考察

・(未購入)PS4ソフト『GRAVITY DAZE 2』
・(未購入)PS4ソフト『キングダムハーツ2.8』
・書籍『コンテナ物語』
・書籍『結物語』

さあ困ったぞ。

ゲームに読書に日々の用事に…。こういうときどうしたらいいんだろう。

マルチタスキングは苦手だし、性格的にも一つに集中したい。しばらく前に購入したばかりのPS4のゲームソフトもまだやり足りてない。

そして自分の将来のためのこともしなくてはならない。音楽に癒される時間も必要だし、知人とのたまの食事会も削りたくない。あれもこれも自分を満たしてやまない。

こういう形で忙しいということは、悩む暇も無くなるからきっと良いことなのだろうけど、いやはやまいったな。来週あたりには見たい映画もあるし。

こんな記事を執筆している時間があったら、無作為に選んでもいいからとにかく取りかかることのほうが先決な気もするが、これについても考察が必要だろう。

念のために言うが、俺は「暇つぶし」をしたいのではない。かれこれ長いこと「暇つぶし」というものをしていない。

どれも楽しめる自信があって困る。どれもが同じぐらい楽しいというのはつまり同価値ということで、さらに言えばどれにも価値がないということなのだろうか??

23時間連続起床の頭で執筆した記事がどういう形をしているのか、お分りいただけただろうかw

おわり



コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【考察】理想の職場について

2017-01-16 03:44:48 | 考察

・自分の力が発揮しやすい、もしくは発揮できる場所
・自分の性格を活かせる場所(図太さや神経質)
・それを評価してくれる人やシステムが存在すること

給与や作業環境や作業時間帯や作業現場への距離とかっていうのは、二の次なのかなと思った。無論だが「目標金額が¥◯◯だから給与からフィルターする!」という場合は例外。

職場や作業に対する不満や疑問にちゃんと行き先があって、ある程度意味をもつということの重要さを実感している。絶対的なボスやリーダーの存在意義を否定するわけではないが、部下が従順であるべき場合というのは、上に立つものが(目標に対して)完璧であるという前提で成り立っていると考える。

自分の労働に対するこれまでの考え方は、1に給与と作業内容、2に時間帯と環境、3にそれ以外といった具合だった。しかし色々な経験を得た中で今思うことは、どんな仕事にも共通したルールが働いていて、つまり我々が区別しているのは場所や作業内容といった仕事そのものの本質とは遠い部分だけだったということだ。

同じ仕事であってもそこにいる人が違えば評価も違うし見方も違う。好評を得られるところもあれば気に入ってもらえないところもある。相性の合う人間がいるところもあれば逆も然り。選べる時代なのだから選んだらいいと思う。所詮は適者生存。海の王者であるサメやシャチがわざわざ陸で威張ろうとしないのと同じ。自分を評価してもらえる場所、自分が役に立てる場所、自分が気持ちの良い場所を選んでもいいのだと思えた。もちろん、切磋琢磨を求めるのであれば、競争が激しく味方は自分の信念だけという場に自ら赴くのも一つの道である。それを必要と感じる人生か否かの違い。

おわりっ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【映画視聴感想文】『The 5 wave』 観た

2017-01-09 05:07:30 | 感想文
姉が俺のクロエ・グレース・モレッツを好きでいることを知っていることからお勧めしてくれたことがキッカケ。先ほど観終わった。みゆきちとクロエのタッグは反則。それを除いても面白かった。映画館で観てたらちょっと高かったかなって感じ。

地球侵略系、滅亡系ははっきり言って食傷気味なほど溢れてるが、現代においては然るべき流行なのかな、とも思った。というのはなぜかといえば、人類がここまで繁栄してきたからだろう。地球の攻略をある程度済ましたら次なる世界が宇宙やその他になるのは人間の好奇心的には当然の結果だと思うし、人類が身内同士の争いをやめるにはもう新たな敵を得る以外に無いと言っても過言ではない気がするから。

ターミネーター
プレデター
スター・ウォーズ
バイオハザード
etc.

『フィフス・ウェイブ』では、異星人が地球を破壊し尽くさない程度に攻撃を重ねていく。

start
宇宙からの侵略者が来訪
wave 1
電磁パルスでデジタル機器(自動車とかも)を不能
wave 2
地震(+津波)
wave 3
鳥インフルエンザ
wave 4
偵察ドローン
wave 5
人間に紛れて虐殺

人類が築いた文明は壊滅状態になって荒廃。孤独な旅を続ける生存者は難民キャンプに集まる。ある日、そこに動かない筈の自動車(軍用車やスクールバス)が訪れる。成人と子供を隔離して、成人は排除。子供に洗脳教育をして嘘の情報で操って各地に生き残っている人間を殺すために徴兵。敵を認識するためのレンズをつけたヘルメットが、対象の頭部を緑で映し出す。wave1~4のような大量殺戮兵器の力を使えば人類を根絶やしにすることは簡単な筈だという至極尤もな推論と、なぜアザーズはわざわざ人間に扮して生き残りを殺そうとしているのかという疑問が、徴兵された作戦チームの一隊を真実に導く。

書いていて思った。「あれ?なんかこれ高野和明の『ジェノサイド』と似てね?」って。ストーリーも舞台も全然違うんだけど、選別された作戦チームが実は司令官に騙されてるっていうオチが同じ。まあ俺の知ってる話が少ないってだけで他でもたくさんあるんだろうけどさ。とはいえ気付けなかった時点で、それを理由に評価を下げる資格はないしそんなつもりも無いからいいんだけども。

早々こんな状況(人類滅亡の危機)ってのは訪れないだろうまさか自分が生きている間に、とは思うんだけどどうしても「もしもこうなったら…」と考えずにはいられないんだよね。とりあえず生存するためには食料と水の確保、次いで安全ってなるじゃん? 

・雨風の凌ぎ方
・暑寒への対処法
・害獣や害虫(山/森/沿岸など)への対処法
・救難信号の基礎知識
・怪我の応急処置の仕方
などなど挙げたらキリがない「生きていくための知識」について考えること、考えさせられる機会が多くある。こういう作品を見た直後でなくとも。

フィフス・ウェイブの作中では青年エヴァンが、太腿を狙撃されたキャシーを自宅で介護する。止血して患部を消毒、傷口を縫合、描写はないが恐らく銃弾は取り除かれていて、ベッドに寝かせて点滴。覚醒したキャシーの基地に向かうという目的に同伴している道中では的確な方向感とキャンピング。

それらがどうしたかといえば、「ふむふむなるほど」と勉強になっただけである。デジタル機器が不能になったら自分の居場所と目的地への道を知るためにまず地図を入手すること。学校での理科の成績が良ければ天体を頼りにある程度の方向がわかるだろうが、年齢によっては記憶が曖昧なやつもいれば不真面目なやつもいるだろうということでまずは地図。ゴーストタウンがあれば、コンビニエンスストアやフードコートで清潔な水と賞味期限が長く携帯しやすい食料を探す。それぐらいならまあ誰でも思いつくが、青年エヴァンが行った救命活動はどうだろうか。医療というのは非常にシビアで難解なものだというのが馬鹿な俺の見解だ。心肺蘇生法ぐらいなら肋骨を無視しても心臓へのマッサージが優先という程度には知っている。義務教育でも習うし、自動車学校でも必須授業だ。しかし傷口の縫合や怪我人への対処法となると、患部や症状の重さによってはすぐにお手上げである。喉に食べ物が詰まったら背中を強く叩く程度の対処法しか知らない。エヴァンが施した怪我人の手当てというのは、義務教育や自動車学校で習う応急処置の仕方と同じで、第二言語やプログラミングや流行のファッションおを知るよりも遥かにマストな知識なのではないだろうかと感じた。

税収があって、医療機関があって…というのは世界が平和だという前提に成り立っている。正常バイアスは日常のストレスを軽減してくれるが、我々人類は少し…どころか極めて甘ったれた環境を生きているのかもしれないと思わずにはいられない。10人いたらそのうち何人が仲間を失血死から救えるだろうか?
救命士が助けてくれるのは救急車が走れるという前提がある場合に限り、ドクターヘリが飛んできてくれるのは優先順位が明確で電子機器が正常に機能している場合に限っている。フィフスウェイブのような異星人からの大規模攻撃を受けてまさか負傷した自分が優先して助けてもらえるとは思っていないよね?

自分の身は自分で守らなければならないし、助けたい人を助けてくれる人が自分以外にはいないかもしれない。その時に頼りになるのは自分の血肉になっている知識の”確かさ”だけである。調べればわかることは調べられる時にしかわからないということと同義である。攻撃する側の異星人からすれば人類は外部記憶に頼りすぎていて脆いところが丸見えかもしれない。外部記憶に限らず、免疫能力も同じで、マスクやゴーグルなしには空気感染に対応する術を持っていないように、薬や衣類などといった(外部である)”道具の能力”に依存している。これは地球上の生物の中で進化を停めた代償でもある。異星人にとっては意外にも人間より小さな虫や微生物のほうが脅威という可能性すらあるかもしれない。もし(完全に)人類が滅亡した後に異星人が侵略に成功したとして、その後の話がまだ続く映画があれば、その異星人はこれまた人類と同じ道、つまりは地球上で出現した脅威、例えば人類にとってのインフルエンザやSARSやエボラやAIDSといったような大げさかと思われるかもしれないがそれらのウィルス達がここまで脅威としての地位を築いた経緯を考えれば至極可能性のある話である。

とまあ話が四方八方に逸れて脱線どころではないわけだが。

不思議なもので、こういう話が楽しくてしょうがないんだよね。リチャードドーキンスやチャールズダーウィンを筆頭に遺伝子とか進化心理学の話が好きなのも、”起源”に期待しているからなのかなって今書いていてふと思った。

サバイバルを生き抜く方法云々はその派生に過ぎないと思うんだけど、要は厨二っぽく言うと「生きる意味」が知りたいんだと思う。遺伝子ビークル説によってそれはある程度もう済んだ話なんだけどね。

とにもかくにもみゆきちとクロエのタッグに圧巻。耳も目も幸せでした。見終えてすぐこれ書いたよ。一服挟んだけどその際スマホも触らなかったしTV画面を切り替える時にどうでもいい情報を挟みたくなかったらちゃんと工夫した。余韻は大事。これまたくどいようだけど書いていて思ったことが「この余韻っていうものも人生の中で結構かけがえのないものじゃね?」って。

だって人生で一回目っていうのは、健康な記憶力であれば高齢時ボケてからじゃないと永遠に体験できないわけですよ。厳密に言えば酩酊して記憶飛ばすとか方法はあるかもしれないけど。青春とか友達とか家族との思い出と肩を並べるには少し大げさかもしれないけど、こういう余韻って凄くデリケートで一度その扱いを間違えたらもう取り戻せないという意味では価値がそう違わないんじゃないかな?

おーわりっ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【考察】読書が趣味・・・ってしっくりこない

2017-01-08 15:34:11 | 考察
読書の割合は小説1:9それ以外。科学の本ばかりで、そのほとんどが生物学・進化心理学・脳科学だったりする。小説は直木賞受賞作品だったり目立つところに置いてあるミステリー小説だったりをミーハーに読んでいる。

本の虫というほどは読んでいないし、活字中毒でもないのでそういう人たちに比べたら遥かに少ない読書量なのだが、会話のつまらない相手といる時間に対して比べものにならないほど楽しいのが本だと疑っていないので普段からそこそこ読書を嗜んでいる。俺の読書は、いわゆる暇つぶしや趣向としての読書ではなく、俗に言う勉強的な読書が多い、という言い方が一番ニュアンスとして正しいと思う。知りたいという好奇心によって読書に至るので、好奇心を最も容易に満たす方法が読書というだけである。

俺が金持ちだったり有名な人物だったりすれば、それらを利用して会話をしたい相手のところに伺うことができただろうけど、そうではないので本を読んでいる。到底会えないような人たちの発信する情報が含まれている媒体である本を読んでいる。本ではないとしても、雑誌や音声データや講演でもなんでもいい。

今読んでいるのは
『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』
『コンテナ物語』
『子供は40000回質問する』
などなど、作業机の周りに乱雑に積み重ねてある本を気まぐれに読んでる。

スマホアプリもやるし、ネットサーフィンもする。けど寝食を忘れさせてくれるのはこうした執筆活動や好奇心が高ぶっている時が多い。

なにが言いたいのかようわからんなw

おわりっ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする