「えっ!? 車輪、このままいくのか?」
扉を開けると戒人が別の人力車を引っぱって来て立っていた。開いた口から出た言葉が、恵に助言された車輪を替えずにそのまま木輪でいくことで、それを聞いた悠治が驚きの表情を持って問いただす。
「そうなんだってよ。見た目のギャップがいいんだってさ。これで十分引きやすくなったしさ、いいんじゃない、もう一台作らなきゃならないんだし。コストは低いにこしたことないから、ちょうどよかったんじゃない。それとさ… 」
戒人はあわせて恵に言われた改良点をかいつまんで伝えた。
「あー、はいはい、ギャップ萌えね。それに車輪から換えるとたしかに大ごとになるから、それでいいんならいいんじゃない。ところでさ、なんで見た目とか気にしたり、二台必要なんだ? セクシー部長が乗るだけなんじゃないの?」
「なんかさ、商店街のまつりのイベントに使うんだって。オレもよく知らないけど親父に言われて、そんなに出来が良いならもう一台用意してくれって。親父に内緒で人力車改造した手前、それを咎められなくてよかったっていうか、気に入ってもらえたならちょうどいいやって感じで」
「なんだよ、カイト。オマエ蚊帳の外か。セクシー部長、オヤジさんに取られちまうぞ。いや、まさか親子ドンブリ狙ってるわけじゃないだろうな」
からかいがちに言う悠治の言葉には、含まれるものがあった。恵を引き合いに出して濁してはいるものの、実際このところこのごろの戒人は、今まで悠治が知っているあのちゃらんぽらんで、いいかげんで、前向きな考えを一切おもてだって出さないというイメージを一新するほど、真剣に人力車の改造にのめり込んでいる姿に感心さえしていた。そう思うと、それは瑶子のためというよりは、恵の気を引くために行っていると考えた方が腑に落ち、かまをかけて聞いてみたわけだ。それは、のめり込んではいたものの、なんだか元気のなかった戒人が今日は吹っ切れたような顔をしているのも、それに輪をかけていた。
「やめてくれよ。オレにはヨーコちゃんがいるんだから。そんなヨーコちゃんを泣かせるようなことは… しかし、親父に取られるのもどうなんだ? いやいや、そんなことが起こるわけないよ、親父だろ。いやいや、新しい母親として紹介されたらどうしよう… 風呂の順番とか… 」
悠治の言葉になにも感ずることもなく真剣に悩み始める戒人は、腕を組んでうなりだした。ちょっとからかって言ったことを真に受ける戒人に、そこじゃないだろと、あきれる悠治が言う。
「ねえよ、そんなこと。なに真剣に悩んでんだよ。あるわけないだろ、あの親父さんが。別に悩んでも止めないけどよ、手ェ動かせって。もう今日は来ねえと思ってたのに、また別の作るってか。今日こそは午前様はおことわりだからな」
悠治がそう言っても、戒人は妄想の世界から戻ってこない。困った顔をしたかと思えばニヤケるし、顔をしかめたと思えば、だらしない顔になる。いろいなシチュエーションを想像して、そのたびリアクションが表情にあらわれる。なんだか少しでも感心した自分が馬鹿に見えてきた。
近頃じゃ、会社かひけると悠治の自転車屋に通いつめ、手ほどきをするとひとりで黙々と作業をし始めた。何度かわからないところとか、コツがつかめないところを聞いてきても、そのうち器用に自分のやりかたでうまくこなしていった。
戒人がひとつのことに熱中している姿をこれまで見たことはなかった悠治は、戒人を突き動かしているものを俯瞰で見ることができた。商店街に動きがあり、会長に動きがあり、仁志貴や瑶子に動きがある。それらはすべて悠治の言うところのセクシー部長が糸を引いており、いつしか自分もその中に巻き込まれている。これまで静かな凪が続いていた商店街に大きなうねりの兆しが見え始めた。
「だからよ、いつまでも妄想してんじゃないって。浴場の場面で欲情もよおしてどうするんだって。ほら、引き手のバラシから始めるぞ」
悠治は言いながらもそれほど困った様子でもなく、なにか楽しんでいるふうにも見える。そして軽くジャブを打つようにして瑶子の話しをふった。
「しかし、オマエらホントよく続いたもんだな。ウチの中学校の七不思議だったもんな、オマエとヨーコが付き合ってるのって。オマエさ、モチヅキとかムラカミとか気の強いオンナ、ダメだったろ」
ひととおりの妄想が終わったらしく、現実に戻ってきた戒人が答える。
「んっ? あーぁ、アイツ等? いまだにあたまに来るんだけどさ、用もないにいろいろちょっかい掛けてきやがって。すぐ怒るし、すぐ手がでるし、カカト落としされたけど、パンツ見えなかったし、ありゃやられ損だろ」
「なにムダに韻を踏んでるんだよ。あのさ、みんなさ、知ってたんだぜ」
したり顔で言う悠治に、つまらなそうに答える戒人。
「なにを?」
「モチヅキもムラカミもオマエのこと好きだったんだよ。なのにさ、オマエったらヨーコ、ヨーコだろ。そらイヂられるわ、殴られるわ、パンツ見せてもらえねえわ。つまりマルでダメ男くんってわけだ」
「えっ? そうだったの? 知らんかったあ。知らなくてよかったけど。オレ、ダメなんだよ、ああいう気の強いの。やっぱりヨーコちゃんみたいに、おっとりして、静かなコでないとぜんぜん無理だから」
「あばたもえくぼっていえばそこまでだけどよ。客観的に見れば、動きは遅すぎて、ほとんど口きかないだけの地味なオンナだっただけどな」
「いいんだよ、それで。そんなに目立ったら別の男の目に付いちゃうだろ。ニシキなんかが出てきたらオレ、勝ち目ないじゃん」
自分の状況を知らない他人事のような危惧に、噴き出しそうになる悠治はぐっとこらえて続ける。
「そうかもな。中学校のときなんかはさ、どこがいいんだろって思ってたから、勝手にやってろって感じだったし、モチヅキやムラカミのほうが、華があってぜんぜん良かったもんな。でもさ、いまどき、変に肩肘張らずに、だまってオトコに付いてきてくれるオンナって少ないよな。オトコを立ててくれるっていうかさ」
「そんな♡ 直接的な… 立ててくれるなんて… 」
ことごとく、期待を裏切るような反応で押してくる。
「はあ? オマエなあ… せっかく誉めんてんのに、台無しだな。なんだよ、オマエら、ついにそういう関係になったのかよ?」
戒人は、捜査に進展のないベテラン刑事のみたいに難しい顔をして首をふった。眉間のシワは、やりすぎだとつっこんでやろうかと思ったほどだ。
「いやあ、とても手を出せる雰囲気にならなっくてよ。少しでもさあ、そんな話になると顔真っ赤にして、あたまから湯気でちゃって、小さくなってくから… またそれがカワイくてさ、それはそれで良いんだけどね」
「知らねえよ。やってろよ。それじゃあ中学校ん時と変わんねえじゃねえか。つーかさあ、いまどきの中学生より幼いじゃないか」
「ニシキにも、同じこと言われた… あっ、でもこないだなんかさ、集合住宅の名前が、なんとか・アーバンって、上の名前が見えなかったんだけど、その看板の『バ』の点々が取れててさ、ほら、むかし『パチンコ屋』の『パ』がないみたいな」
「点々? アーハン? なに?」
「いや、ウッフーン・アーハンって名前だったらウケるなって、ヨーコちゃんに言ったら、ちょっと笑ってくれた」
「……」
「少しは、免疫ができてきたのかなって、話なんだけど。どう?」
どうと言われても、結局、中学校から成長ゼロだったと確信できただけだ。
「あのさ、そりゃどうみてもつきあい笑いだろ。つーかニガ笑いとか、呆れ笑い? オレ、ヨーコよりオマエの方が心配になってきた。いや、オマエの心配なんかどうでもいいけど、ヨーコの寛大さにますます感激した。フツーだったらドン引きで二度と口きいてもらえなくても文句言えないぐらいだぞ。いやー、たしかに眼のつけどころがよかったな。そこだけは認めてやる」
「遅いよ。オレには先見の明があるんだ」
「先見の明というより、ほとんど種族保存のDNAのおかげなんじゃないか。いやー、オレもヨーコにしときゃよかった。逃した魚はデカかったな」
「サカナじゃねえよ。かすってもないし、逃してもないだろ。だいたいなんだよ、今日はやたら、ヨーコちゃんを引き合いに出して。手ェだすんじゃないぞ」
「オレが言ったって、なびくようなヨーコじゃないだろ」
ニヤケて余裕のある表情の悠治に、少し不安がよぎるな戒人。
「なんだ、よくわかってるじゃない」
「オレはな。 …だけど、オマエが危惧するニシキだったらどうする?」
「ニシキ?」
「あれ、オマエ知らんかった? 中学の時からだぜ、アイツもヨーコに惚れてたの。オレが見てた感じでも、よく堪えたなって、感心したほどだ。」
「はっ? こらえてた? またまたあー。アイツ、いつだってオレたちのこと応援してくれてて… 」
「自分はそういう役回りだって言い聞かせてたんだろ。そうでもしなきゃ、自分を止められなかったとかね。お前からヨーコ奪ったら夢見が悪そうだし、ニシキも自分から言い出すタイプじゃないだろ。ヨーコからそう言ってくれば別だけど、自分からはなあ。それがいつまでもオマエがウジウジしているから、ヨーコの幸せ考えれば、もう黙ってられない、ってことになってもアリないんじゃないか」
「いやいや、ナシだよ。黙っていようよ、これからも。ニシキなんかに出てこられちゃ、勝ち目ないでしょオレ」
「なんだよ、オレにはムリだって言っといて。ニシキならヤバいって。ひでえなあ。でも、一応は危機感があるみたいだな。オマエさ、アイツが高校中退したのケガのせいだけじゃないって知ってた?」
「どういうこと?」
仁志貴と同じ高校に通っていた悠治が何を言い出すのか想像もつかない。
「そもそも、ケガしたのだってさ、練習に気が入らなかったからだし。アイツもあせってたっていうか、中学まではできていたことができなくなっていたみたいで。っていうかさ、ヨーコに見てもらえたときはできていたことが、関連が断ち切れたことで自分の能力が枯渇してしまったとしか思えなかったんだろうな。人間ってそんなもんだろ。能力以上のことができるときとか、神がかっているときとか、どこかに拠り所を置いておかなきゃ立ち続けることもできないって話だ」
だからこそ、このごろの戒人の変わりぶりも、そんなプラスアルファの後押しが見て取れた悠治であった。ただそのキーマンが誰なのかはまだ見えていない。神妙な顔つき聞き入る戒人。
「オレさ、言おうかどうかと迷ってたけどよ」
悠治は言葉を止め、探るようにして、そんな戒人の顔を見た。戒人は次の言葉を待ち、悠治の顔を凝視した。
「ニシキのヤツ、いまごろヨーコ、口説いてるぜ」
「はっ?」
「出逢いの広場で。待ち合わせてるって。もう、二人でどっか、しけ込んじゃってるんじゃないの… 」
みなまで聞かず戒人は自転車屋を飛び出していった。
「 …かな? 知らんけどさ」
悠治がやれやれとあたまをかきながらあとを追うと、めずらしく全力疾走している戒人が小さくなっていった。
「エリマキトカゲじゃないけど、生死にかかわる時は、さすがに走るな、アイツも。ははっ、これで今日は早く寝れるや。しかし、ニシキも妙なことオレに吹き込んで。どうなるか楽しみ、楽しみ。さあ、ビールでも飲んで寝るか」
悠治は店のシャッターを下ろし始めた。