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三春には古くから
郷土玩具の子育木馬が伝承されてるっス…
「三春駒」というんですが知ってます?
それはいつ頃から作られてんのか?
それを遡れば遠く平安時代の征夷大将軍
坂上田村麻呂へと結びつく…
田村麻呂とは奈良・平安期の代表的武人
文の菅原道真に並び
武のシンボルとしての崇拝を集めた軍神…
それが何故?
そもそも田村麻呂と東北地方の繋がりは
八世紀からの度重なる蝦夷討伐
それだけに奥州には
田村麻呂の伝承伝説が数々残り
同様に田村麻呂創建と伝わる寺社も多い…
しかしぶっちゃけこの地域で
征服者の尖兵である筈の田村麻呂が何故
英雄として扱われているのかの疑問
一体どうしてなんですかね?
まぁそれは当然
勝った者が歴史を作るからっつう事だと
思いますねぇキッパリ…
まぁ田村麻呂の奥州攻めでは
「アテルイ」や「モレ」の名ぐらいしか
知られて無いッスけど
この辺りにある大滝根山の麓には
大多鬼丸と呼ばれる者が存在したらしく
勢力を誇っていたらしいんですけど
英雄田村麻呂の登場で
滅ぼされたっていう言い伝えなんですね…
恐らくこの辺りの先住者なんでしょうが
朝廷に服従しなければ全て敵
それを滅亡させた田村麻呂はまさに英雄
それはインディアンを虐殺する
正義の騎兵隊みたいなもので御座います…
おかしな話だと思うんですけどもね…
そんな訳で長くなるので続きはまた明日…
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