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建国記念の日とは
初代神武天皇が
御即位あそばされ奉った日で御座候…
しかしも案山子それはまだ
大和盆地の小さな国の話でしかなく
畿内勢力が東北地方に侵攻するのは
第十二代景行天皇の御代
その皇子である
日本武尊の東征によるものと伝わる…
とはブッこいたものの景行天皇とは
実際実在したのかどうかが
本気のマジで眉唾で
兎にも角にもその寿命が
百四十歳を超えている事にクリビツ!
ギネスじゃぁ~!
皇子である日本武尊に致しましても
古代帝国主義の勢力拡大を象徴した
伝説上の人物であるともっぱらで
されど同時代の大和の勢力が
この辺りにまで及んだという話は
あながち冗談とも言い切れぬそうな…
その証拠に福島県の沿岸部には
その痕跡らしきが色濃く点在
古い伝説伝承の中にも
その事が深々と刻まれて御座います…
更に時代は下り平安の世
坂上田村麻呂が蝦夷討伐に現れると
その支配地域は内陸部に広がり
少しずつ北上した先には多賀城
そしてその先
「つぼのいしぶみ」への到達へ至る…
津軽の先までが統一されるのは
そのはるか先の話
北海道が日本領と定められるのは
露国が極東を
脅かし始めてからのお話で御座い候…
さてさてその国土の広がりの中に
「大甕」という土地の名がある…
この名は古代
蝦夷地と大和国家の国境を意味し
新しい土地を征服するごとに
「大甕」もまた
少しずつ北上していく…
そのため
この名で呼ばれる土地が幾つか残る…
因みの因みに
ワタクシが歩いた中だけでも三箇所…
茨城日立の大甕と
福島原発から北へ十キロ先の大甕
そして磐城国道49号近くの大甕など…
中でも茨城日立の大甕には
それらしい伝承神話が今もなお伝う…
そんな建国記念チックな駄話でした…
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