


芸人「たかまつなな」さんが先祖と称する
坂上田村麻呂は
征夷大将軍様であらせあそばされることは
ひとまず置いといて…
所の所で
その田村麻呂が滅ぼした「多田鬼丸」とは
ぶっちゃけどんな人物かっつうと
人々を苦しめた悪鬼という話と
そして英雄だとする二つの伝承が残される…
まず、悪鬼伝承については言うまでもなく
この時代それ以前それ以後と
朝廷に敵対した抵抗勢力には洩れる事無く
貼り付けられる悪役レッテルであり
大和神話に出て来る悪者なんつうのも全部
似たような侵略戦争の
敵対勢力だったのではないのかと想像する…
そんな平安朝廷の創作話の中で多田鬼丸は
妖術を使い雲霧を呼び
陽の雨を降らせ激しく暴れ回ってたそうな…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
そんな奴に田村麻呂が勝てる訳無いのだが…
一方、英雄とする言い伝えには
朝廷が一方的に租税を要求して来たとあり
服従を迫る朝廷に対し
先祖伝来の土地や人々の暮らしを守るため
その命令を拒否し続けてたっぽい…
そして朝廷は将軍田村麻呂を派遣
決戦に際し多田鬼丸には
北奥の蝦夷首領アテルイからの援軍もあり
開戦序盤は地形を生かした善戦も見せるが
朝廷軍の圧倒的な兵力に
やがて少しづつ追い詰められ
最後は鬼穴と呼ばれる洞窟にて側近と共に
自害した御臨終…
↑↑↑まぁ教科書みたいな説明でしたけど…
因みに個人的に不思議に思う事なんですが
古代帝国主義に抵抗した蝦夷の首長である
多田鬼丸やその側近として活躍した
豪傑鬼五郎兄弟なんて方々が
今も崇め奉られてるのは当然ロンモチだが
それを滅ぼした田村麻呂もまた伝説的英雄…
それはなぜ?
もしや、多田鬼丸の本拠地は現在の田村市
一方、田村麻呂は現在の郡山市出身
同じ福島県出身者って事で愛着が湧くのか?
余談ですが
多田鬼丸の本拠地と田村麻呂の生誕地とは
直線二十数キロの距離その間が
当時の大和と蝦夷の境界で御座いに御座い…
因みに同じく県内で起こった戦争ですけど
幕末戊辰での会津戦争の事ですが
会津人達は未だ長州人が大嫌いですからね!
つう訳で
長文だと親指の付け根が痛くなりますので
また次回、完結編でお会いしましょう…
今回も大した事が書けませんでしたの残念…
それとひとつ書き忘れなんですが
田村麻呂は自害した敵将多田鬼丸の遺体を
広く景色の見渡せる高台へ丁重に葬ったと
そう伝えられている…
その後も続く蝦夷との戦いでも
適に対しての敬意も忘れる事が無かった…
そういう所も
後世の人々が将軍田村麻呂に好意を寄せた
人間像ではないでしょうか…
以上…
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