


住友ビルの
その48階に資料館があったりしまして
実はそれが結構悲しい展示物…
七十年も遡る昔々の話なんですけども
戦争に纏わる話は
やはりずしりと重いもので御座います…
遠い戦場に放り込まれた兵士たちの事…
57万とも70万人ともいわれる
シベリア各地に強制抑留された人々
敗戦時に海外在住だった660万以上の
引き揚げと途中での悲劇や集団自決…
そして未だに消息が不明である人々達…
その資料のひとつひとつは
胸の苦しみを覚えるものでありました…
マジでパンチ効いてます…
それは伝わらなかった戦後と
伝えられなかった戦後
そして本当は誰かが伝えようとしてた
日本の戦後でもある…
当時の日記にこんな一文がありました…
戦友が最後に
「お母さん…」と母親の名前をよんで
息を引き取りました…
あの光景だけは、彼の顔だけは
終生、私の脳裏にあるでしょう…
今日の僕は
自分のこれまでの薄っぺらい生き様と
平和ボケしたこの世の中に
己が幸福である事を教えられるだろう…
