ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

投降命令受ける小野田さん=1974年

2014-01-18 04:15:45 | トピック

終戦知らず30年
1月17日11時28分配信時事通信
元上官谷口義美さん(手前右)から投降命令を受ける小野田寛郎元少尉=1974年3月9日、フィリピン・ルバング島(鈴木紀夫氏提供)より

(時事通信) 17日12時21分配信



フィリピン・ルバング島のフィリピン空軍基地に到着し、出迎えた人たちに敬礼する小野田寛郎さん=1974年3月10日撮影

(毎日新聞) 17日22時24分配信より



元陸軍少尉の小野田さん死去=30年ジャングル生活-「自然塾」で青少年育成

フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした後に帰国した元陸軍少尉で「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが16日午後4時29分、心不全のため都内の病院で死去した。91歳だった。自宅は東京都中央区佃。葬儀は家族で行う予定。


親戚によると、体調が優れないため今月6日から入院していた。3月に自衛隊で講演する予定で、楽しみにしていたというが、9日に容体が急変した。
 和歌山県出身。旧制海南中学卒業後、商社勤務を経て陸軍に入隊し、陸軍中野学校二俣分校でゲリラ戦の特殊訓練を受けた。1944年フィリピンに派遣され、ルバング島でゲリラ戦の指導を命じられた。


 終戦後も「任務解除の命令がない」とゲリラ戦を続行。ジャングルで冒険家の男性に会ったことをきっかけに、74年3月に帰国した。
 翌75年4月、ブラジルに移住。牧場を経営する一方、日本で84年から、キャンプを通して青少年の育成を図る「自然塾」の活動を始めた。89年には財団を設立し、理事長に就任。福島県塙町にキャンプ場を開き、経験を生かして野外活動の指導に当たった。長年の青少年育成が評価され、2005年11月には藍綬褒章を受章した。 
 96年5月には、フィリピンの地元州知事の招きで22年ぶりにルバング島を訪問。マニラのマラカニアン宮殿で当時のラモス大統領と会談した。
 近年は、冬場に牧場管理のためブラジルに滞在する以外は日本で活動。自然塾での指導のほか、講演などで全国を飛び回っていた。

※ジジイのたわごと
 小野田寛郎さんが、太平洋戦争終結を知らず、フィリピン・ルバング島に凡そ30年間生き続けてたところを1974年、無事発見されて帰国した時は「現代版、浦島太郎」として大きくニュースで取り上げられた。
 その後時折、小野田寛郎さんのニュースがマスコミで発表されたりしてたが、その後だんだん、小野田寛郎さんのニュースがマスコミに登場しなくなってから、随分長い年月を経たようだ。

 なお、小野田寛郎さんの動画などは、インターネットで検索すれば、沢山見れるので、興味がある方は、どうぞ。


小野田寛郎さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。