消える幻の貨物新幹線残骸 摂津の高架橋、「謎」のまま撤去へ
産経新聞 1月20日(月)15時14分配信
「幻の貨物新幹線」の残骸であるコンクリート製の高架橋。列車が通ることのないまま姿を消す=大阪府摂津市(写真:産経新聞)より
大阪府摂津市の東海道新幹線をまたぐ“謎の高架橋”をご存じだろうか。巨大なコンクリート製の構造物は、半世紀前に建設された「幻の貨物新幹線」の残骸だ。かつて東海道新幹線に高速貨物列車を走らせる計画があったことを示す貴重な「遺構」だが、JR東海は高架橋をすべて撤去する方針を固めた。実現していれば、物流の歴史が変わっていたかもしれない壮大な計画。その名残をとどめる遺構は、列車が通ることのないままひっそりと姿を消す。(大竹直樹)
◆半世紀「気づかず」
「言われるまで気づかなかった。建設途中にも見えるが、長年あのまま放置されているよ。無駄だね」
新幹線の鳥飼車両基地(摂津市)に近い住宅街。近所の久保強志さん(74)が遺構を見上げた。貨物新幹線の遺構であることを示す記念碑などはなく、地元住民は誰も気にも留めてこなかったという。
JR東海によると、遺構は高さ約15メートルに位置するコンクリート製の高架橋。東海道新幹線の線路をまたぐ形で、もともと長さ約90メートルあったが、既に撤去工事が進み、今では長さ約40メートルに。近い将来、すべて撤去する方針だ。
◆計画破綻も日々点検
昭和34年の国鉄資料によると、貨物新幹線は東京-大阪間を5時間半で結ぶ計画だった。夜間に最新鋭の高速コンテナ列車が走行。38年の国鉄パンフレットには、コンテナ車のイメージ模型も紹介されている。
遺構は「無用の長物」と化していたが、JR東海は62年の国鉄民営化以降、耐震補強工事を施し、日々の点検も欠かさず行ってきた。ただ、同社の担当者は「これまで残してきたのは、『遺構』だからというわけではない」という。
遺構の真下には、最短3分間隔で1日に336本の新幹線が通過。高架橋の撤去工事のために新幹線を止めることができなかったのが主な理由だ。
JR東海は「安全に撤去できる工法が確立できたため、撤去することにした」としている。
◆「どうでも」「感慨」
部活帰りの女子中学生の集団が近くを自転車で通りかかった。
「トンネルか駅かなんかだと思った」「取り壊されてもどうでもいい」と反応はさまざまだが、半世紀前の貴重な遺構と知ると「せっかくの記念だから、残しておいてもいいのでは」と惜しむ声も。
昭和の鉄道史に詳しい作家の小牟田哲彦さんは「新幹線の建設当初は貨物輸送の可能性を構想していたことが分かる遺構。半世紀を経て撤去されるのは感慨深い」と話している。
※ジジイのたわごと
新幹線開通後、50年経ったようだ。50年の歴史の中には、使われる事も無く、消え去る貨物新幹線があったわけだ。
もし、貨物新幹線が完成してたら、国内の物流システムや価格体系が、現在とは大きく変わっていたかもしれない。或いは、年末年始で人の往来が多い時や、修学旅行などの臨時列車の運行も可能となったであろう。
※本日最後のブログです。